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一切の生産性を禁ずる日


エルサレムに住み始めてもうすぐ1ヶ月経つわけですが、初めてちゃんと「シャバット」を経験しました。

シャバットというのは、ユダヤ教で大切な日、安息日。金曜の日没から、土曜の日没まで、何もしてはいけない。家事や仕事はもちろん、運転も、電気のボタンを押すのも、花に水をやるのも、写真を撮り撮られるのもだめ。電子機器も全部オフ。
この期間、エルサレムは交通機関が全部止まるので、休日どこも行けなくて単純に迷惑に感じてた。あと私が住んでいるのは東エルサレムと言ってパレスチナ側のエリアなので、シャバット中と言っても周りはムスリムかクリスチャンしかいないから、あまりこの文化を感じたことなかった。

そんな中で、先週末。縁あって繋いでもらった、ユダヤ人の子のおうちで金曜の日没から土曜の日没を過ごさせてもらうことになった。厳格なわけではなく、ニュートラルな雰囲気だけど、ちゃんと信仰心を持っている子。初対面ハグして、やわらかい優しさ、信頼できる子だと分かった。

日が落ちるまでに、買い物も料理も掃除も全部済ませないといけないから、金曜日は大忙しらしい。夕暮れになり、シナゴーグへお祈りに連れて行ってもらった。学校の校庭みたいなところに椅子を並べて、近所の人40人くらいかな。集まって説法を聞いて、歌を歌って。どの曲も、短調の、どこか懐かしいメロディーで、すぐ覚えられる。キリスト教の賛美歌より素朴で、土の香りがするような旋律。ちょうどこの日は、コロナが収束したことを祝福するということで、「マスク供養」なるものをした。配られたマスクの紐を隣の人と縛って、大きな円にしてみんなで手に取り歌う。

それから、日が沈み蝋燭の火の前で静かに祈って、正式にシャバットスタート。近所の人に招かれて晩御飯。みんな、同じくらいの歳の若者たち。家族がいれば家族みんなで食卓を囲むけど、親元離れて暮らしてる若者はこうやってご近所さんで集まるみたい。いいよね、こういう繋がり。そこにいた若者の何人かは、アメリカからの移民で、明らかに垢抜けたオーラ纏っているんだけど、ちゃんと信仰深いのでそのバランスが面白かった。イスラエルに移民するユダヤ人のことをヘブライ語で、「アリヤ」。上るという意味。上京と同じだね。

食事は、お祈りを口にしてから、パンと赤ワインで始まり、すべてお肉なしのメニュー。それでもこんなに豪華なんだよ。あぁ、写真撮れなかったのが惜しい。この時のメンバーは半分以上がお互い初めましてだったらしいんだけど、みんなどんな一週間を過ごしたのかシェアして、夏の予定とか話して和気藹々と。英語とヘブライ語ごちゃまぜで。ここは、コミュニティーがすごく大切な役割を果たす土地だなあって思った。日本が失ってしまった、ローカルなゆるい繋がり。

泊まったお家は時計がなく、スマホで時間を見ることもできないから、朝起きるのも好きな時間に。ゆっくり起きて、またお祈りに行って、お昼ご飯にまた近所の子が食べに来て、おしゃべりして、お昼寝して、本読んで、散歩して。道行く人には皆「シャバットシャローム」って穏やかに挨拶。こんなアジア人1人でも当然のように挨拶してくれる。

そしてまた夕暮れが来た。「そろそろだ」って、大きな窓から外を見ると、真っ赤な夕陽が沈み始めてた。夕陽に向かってお祈り。その時の、夕陽を浴びながら歌うその子の姿がほんとうに美しかった。高い建物がないから、地平線がちゃんと見える。太陽が沈むまさにその瞬間を見るっていつぶりだろう。それから、星を3つ見つけられたら、シャバットが正式に終わるらしい。なんて素敵な。3つの星、数えられた!で小躍りに。シャバット終わりを迎えたら蝋燭に火を灯して、お祈り唱えながら、爪に火を映しておでこに当てる。これからの一週間元気に過ごすために火のパワーを身体の中に取り込むんだって。

シャバットを終えて、心が不思議と穏やかになった。祈り、自分と向き合うこと。周りの人を大切にすること。デジタルや娯楽が無くたって、美味しいご飯を家族や友達と食べるだけで十分心満たされる。いちいち写真撮らないから、目の前の人やモノに集中できる。やらなきゃいけないことあっても、やるのが禁止されてるから、焦る必要もない。神に感謝する概念は私にはわからないけど、幸せな人生のコツはのこれだと思った。何もしない贅沢。空白の時間を作ることで、心にゆとりが持てる。

備忘録として書いてるのでほんとうに長いしこれを最後まで読んでいる人がいるのか分かりませんが、休み知らずの日本人にはシャバット必要だなあと心から思いました。スイッチも禁止、というのは確かにエクストリームな感じするけど、そこまで強制的に生産性禁止されないと、結局働いちゃうもんね。月に一回くらい、心のデトックスに究極の安息日取り入れるのいかがでしょうか。

普段の仕事ががっつりパレスチナ側をサポートしていて、どうしても見方が偏りがちになるので、いろんな立場の生活文化に浸かっていきたいなあと思ったのでした。おしまい。

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