自己肯定感は上げたいけど調子に乗るのは怖い話

こんにちは、アラサーOLきよこです。

自信を持とう、自己肯定感を上げよう、というフレーズ、昔からよく聞きますしネット上にもそういう記事は溢れかえっています。

どれだけの人が自信を持てずに悩んでいるのか、想像に難くありません。

かくいう私もその一人です。

性格はわりとネガティブで、人からの評価が気になり、日々出来る人と比べては落ちこんだりしています。

自己肯定感は高いほうがいいに決まっています。自信がある人は輝いて見えます。

自己肯定感が高ければ対人関係も良くなりそうですし、失敗を恐れず色々なことに挑戦できそうです。くよくよ悩んだりすることもなく、それだけで人生全てうまくいきそうな気がします。

何より自分だって、「自分はなんて出来ないんだ」とがっかりすることにうんざりしています。

自分のことかわいいって思いたいし、頑張ってるって褒めてあげたいし、苦手なこといっぱいあるけど人の役に立てることもあるって信じたいし、駄目な自分を認めてあげたいです。

ですので、なんか自己肯定感上がりそうなことを色々試してみたりはしました。褒められたら「ありがとう」って返すとか、今日出来たことを日記に書いてみるとか。

ところが最近、自分のことを褒めようとすると、もう一人の自分が邪魔してくることに気付きました。

心配性な自分が「調子に乗るなよ」と警鐘を鳴らすのです。

そう、世の中調子に乗った人間が失敗するのは古今東西火を見るよりも明らかです。

私は自分が調子に乗るのが一番怖いのです。

私はネガティブで慎重、石橋は叩いて渡るタイプですので、大きな失敗もそれほどしてきていません。

常々謙虚に生きようとも思っています。

実際のところ「自己肯定感が高いこと」と「調子に乗ること」はイコールではありません。

弱い自分、駄目な自分を客観視して認めた上で、どうしていけば成長できるか建設的に考える、本来ならそれが正しいプロセスのはずです。

ですが、出来ない自分を許してあげたら努力しなくなるんじゃないか?とか、自分のことを可愛いと思い始めたら傲慢になるじゃないか?とか、自信を持ってポジティブになった結果慎重さを欠いて失敗するんじゃないか?とか、そんなことを無意識的に考えてしまい、自分を卑下する方向に走ってしまうのです。

自己肯定感を上げたいけれどなかなか上がらないのは、自分で自分にブレーキをかけているからなのでは、とようやく最近気がつきました。

ただしこれは長年の染み付いた習性のような気もしていて、気づいたからといって一朝一夕でどうにかなるとも思えません。

どういう教育の賜物かさっぱり分かりませんが、「許す」=「甘え」だとも思ってしまっています。

私が恐れていることの本質は、自分や状況を客観的に判断できなくなった結果失敗すること、または後退すること、なのだと思います。

いつでも客観的な判断が出来るなら、自信を持つことは全く怖くないはずです。

ごちゃごちゃ御託を並べたところで結局踏むプロセスは同じですが、まずは客観的な事実を受け入れるトレーニング、それを意識していきたいなと思っています。