出来なくて落ち込むのは簡単だけど褒められて喜ぶのは苦手な話

こんにちは、アラサーOLきよこです。

今日は褒められるのが苦手というお話をしようと思います。

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日本には謙遜という文化があって、自分の長所を認めるのが苦手な人が多いのではないかなと思います。

私も、そもそも自己肯定感が低い人間で、かつ謙遜文化も相まって自己PRなんかも大の苦手です。

一緒に働いてみると評価してもらえたりしますが、例えば面接とか、普段会わない上司などに自分の功績をアピールするとか、そういったことが本当に出来ません。

加えてネガティブマンなので、うまく出来たことより出来なかったことを繰り返し思い出して反省してしまいます。

落ち込むのって本当に簡単です。

目に見える失敗、うまくいかないことがあればもちろん落ち込みます。

そうでなくても、自分のちょっとした言動で場の空気悪くしたかも、とか失礼なこと言ったかも、というような気にしすぎかもしれないことや、恥ずかしい思いをしたことだったり、そんなことで落ち込んでばっかりです。

逆に褒められたら嬉しいけれど恥ずかしいし、身に余ると思ってなんて返したらいいか分かりません。毎回若干パニックになります。

もちろん「ありがとう」と言えばいいのですが、上手く言える時もあるし、相手や内容によってはなかなか上手く言えないこともあります。

自分の良いところって意外と自分では意識せずに出来ることでもあったりして、自分ではそれが「凄い」ことだと気付けなかったりします。

褒められても「このくらい誰でもできると思うけどな…」と思ってしまうこともあります。

自分のような凡人にできることは他の人にも出来るだろうし、人間ってやっぱり自分には出来ないことが出来る人を凄いと思いますから。

でもきっと「誰にでも」は出来ないから相手は褒めてくれているんですよね。

もしくは、そのコミュニティでは「貴重」であるか。これも大事なことだと思います。

例えば「チームの雰囲気を良くしてくれる」、そんなの仕事の能力じゃなくない?なんて思っても、チームで動くならそれも大事なことで、きっと努力すれば誰にでも必ず出来ることでもないはずなんですよね。

私はネガティブが得意なのでそういう「褒めてくれる」声を今まで流して無視して来たんじゃないかなと思います。

就活の時、散々自己分析が大事なんて言われて、よく分からないまま子供時代振り返ったりして、結局自己分析の意義も見いだせないまま就職しましたが、アラサーなんて年になってようやく「自分が得意なこと」をきちんと考えることは大事なのではと感じるようになりました。

得意なことを伸ばして生きた方がいいし、普通に、もっと素直に、褒められたら喜びたい。

落ち込むばっかりの人生なんて悲しいし、そのくらい素直で可愛げがある人になりたいのです。

今までは、きっと自分が凄いと思う観点で褒められないと、本当に「褒められた」って思えなかったんです。

それって自分のことを全然客観的に見れていなくて、あくまで自分の中の物差しで測っています。

しかも「他の人にも出来る」思考が入ると、もう日本一にでもならないと認められません。そんなのは一生無理。

だから、これからは褒められたら、それが人から見たら長所になりうるものなんだなって、お世辞だなんだは抜きにして、素直に思えるようになりたいです。