見出し画像

ひとりで、餃子をつくった日のこと

「タネはもっと少なくていいのよ」

小学生の頃、餃子を包むの手伝うと、いつも決まって母にこう注意されていた。

なんでも適当なわたしは、さじ加減を間違えて、タネを多めにスプーンですくい、無理矢理包もうとしてしまう(案の定タネがはみ出る)。

次から意識して少なくするものの、テレビに心奪われ手元が緩み、またさじ加減を間違えてしまう。

我が家は「餃子の日」は、月一回。ごはんもおかずもない、オンリー餃子。家族の中で、最後まで、餃子のお代わりしていたのは私。大好物は、いまでもずっと変わらず、餃子だ。

結婚して、実家を出て、「餃子の日」はなかなか訪れなくなった。どこかへ餃子を食べに行くこともあるけど、なんだか餃子欲は満たされるような満たされないような。

王将もおいしい。家から徒歩五分の中華屋さんの餃子もおいしい。でも、当たり前だけど、それらは私の家の餃子じゃない。

この前の日曜日の夜、思い立って餃子をつくりはじめた。タネをつくるだけで、気がつくと1時間が過ぎていた。みじん切りの嵐、こねるのもひと苦労。作り始めて早々に、後悔した。やっぱり、餃子はつくるんもんじゃないなって。

15分、冷蔵庫でタネを寝かして一休み。冷たい麦茶をぐびっとのんで、餃子を包む作業に気合いをいれた。

十数年ぶりの、餃子を包む作業は、びっくりするほど長い時間に感じた。シーンとした空間の中で、たったひとり餃子を包み続ける。

テレビもつけず、すべての意識を餃子に向けていたからか、タネはひとつもはみ出ることなく、順調に包まれていった。

けれど、包んでも、包んでも、全然タネが減らない。終わりが見えない包む作業は、なんだかさみしい時間だった。あのころは母がいたのにな...めちゃ包むの早かったよな...。

フライパンに餃子を並べて、片栗粉を水で溶いたものをかけて蓋をする。ジュワッと勢いよくなる音を聴いて、「やっとここまできたー!!」と、まもなく訪れる完成に胸が高鳴る。

パチパチと元気な音と共に、焼きあがった餃子。パリパリの羽がついて、どこからどう見ても餃子だった。

達成感と嬉しさで、いろんな角度から写メって、ラインで母に写真を送りつけた。

「大好物が、自分でつくれるようになったんだね」

LINEを送りながら、うれしそうに笑う母の顔が、頭に浮かんだ。

今度の「餃子の日」は、夫のいる日にしよう。包む作業がさみしくならないように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?