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小田急線、5畳、4万円。

「東京の大学に行く。」
父にそう告げたのは、推薦入試を受けることが決まった後のことでした。

「そうか。」と言って、そのあとに続く言葉はなく。会話終了。
わたしは“1人娘が家を出るのにその程度のリアクションなのか”と
予想通りの反応に予想通り少しだけがっかりしたことを覚えています。

卒業式を終えてすぐ、家の息苦しさから逃げるように東京に向かいました。

初めて1人暮らしをした部屋は
「東京の大学」に通うはずが、諸事情により神奈川県になり。
それでもそこそこ都会(だと思ってる)小田急線沿い、駅ビルと、伊勢丹のある街でした。

「狭くてもいいからオートロック付きのマンションにしなさい」
そう母に言われて住んだ部屋は駅徒歩2分、広さ5畳の学生マンション兼ウィークリーマンション。
キッチンもお湯を沸かす事くらいしかできない申し訳程度のものだったので
5畳の部屋に冷蔵庫とIHヒーターを乗せたカラーボックスを置き、更にコンパクトなスペースで生活をするはめに。

ミニマリストではない女子大生にとって5畳はとてつもなく狭いです。

TVでお金持ちの家が紹介されているのを見ては
「うちはだいたいこの家の玄関と同じくらいの広さだなあ」と思う日々。

少しでも部屋を広く使おうと
憧れていたロフトベッドを置いてみたりもしました。
ですが、天井が低かったので朝起きるときによく頭をぶつけていました。

大学の友達を呼ぶと、決まって部屋の狭さに驚かれます。
しかも部屋の大半がロフトベッドに覆われているという謎の空間。
「秘密基地みたい!」とみんなおもしろがってくれました。

一度に6人の友人が来た時はさすがにぎゅうぎゅう。
その状況がおもしろおかしくて、
床にスナック菓子を広げ、けたけた笑い合っていました。

テスト前日に慌てて「勉強しよう!」と友人を招いたはいいけれど2人で勉強するスペースがなくて。しょうがないから結局一晩中くっついて加藤ミリヤのライブDVDを見ていたこともありました。

一方で、1人で過ごす時間も多くて。
なにもせず、部屋でだらだらしているだけの1日もよくありました。
理由はないけれど、誰にも会いたくない。話したくない。
そんな日はただひたすら部屋にこもっていました。

とにかく毎日、自由気ままで。
18年間生きてきた田舎の実家より、
神奈川県の小さな秘密基地のような部屋にいる方がずっとずっと自由で楽しかったのです。

離れて暮らす家族がどんな様子かなんて気にすることもなく、時間は流れていきました。

それからわたしはなんとか大学を卒業し、
社会人になりました。
3度ほど引っ越しをし、
長く付き合っていた人と別れ、
転職も経験しました。

その途中で拾った猫が加わり、
その後、夫も加わりました。
あの頃あんなに毎日ふらふらと浮かぶように生きていたのが信じられないくらい穏やかで、地に足のついた日々を過ごしています。

今でもたまに、小田急線に乗ると
あの頃の思い出が脳裏にふわふわと浮かんできて、懐かしい気持ちになります。わたし、大人になったなあ。なんて。

もう夜中に友達を呼んで騒ぐこともないし、
なにもせず1日中寝ていることもない。
(半日くらいならあるけれど)
あの部屋で、テスト前日に一緒にDVDを見ていた友人も今ではマイホームを買い、立派なお母さんになりました。

そして、
2年ほど前から、今度は母親が一人暮らしをはじめました。
インテリアを揃えたり、友達を招いたりして楽しく過ごしているとのこと。
わたしはたまに東京で見つけたおいしい食べ物を送ります。
あのころ、母がそうしてくれたように。

父親の方はというと、最近保護犬を引き取って飼いはじめたらしく。
以前まで石のように固かった表情が信じられないくらい柔らかくなって、
定期的に連絡を取り合うようになりました。
帰省した際には待ち合わせをして一緒にランチに行くこともあります。
上手く関われなかった時間を、少しづつ取り戻すように。

実家を出てから、いろんなことが変わってしまったけれど、
今、家族も私もそれぞれ1人の人間として好きな場所にいるのだと思っています。

上京して、もうすぐ10年目。
初めて住んだあの部屋、そこにいた私は紐が切れた凧のようにただただふわふわと浮かんでいました。

大人になると、不自由になってしまうと思って、野良猫のように無理やりもがいていたつもりなのかもしれません。

あれから、ゆるやかに大人になった今。
毎日仕事に行くし(週休2日)、
家でもやらなきゃいけないことがある。
猫の遊び相手も忙しい。

けれど、あの頃と比べて不自由だとは思わない。ちゃんと毎日楽しいし、周りにいる他の大人たちもそれぞれ楽しそうに生きている。そう、”ちゃんと生きている”と思えるのだ。それは両親をみていても思う。

10年前に解かれた糸から、
また違う糸に繋がったけれど、
今のところ、ほどほどに自由にちゃんと生きています。


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