徳を積むということ、名著「還暦ルーキー」から

「ビジネスで成功したかったら、徳を積みなさい」

とは、ビジネスのメンターである松田豊さんが日頃おっしゃっている言葉です

松田さんご自身も、大学への寄付などで徳を積み続けていらっしゃいます

どうやら自分のことだけしか考えられない人は、なかなか成功できないようになっているらしい

それが宇宙の法則のようです

そして徳を積むと聞いて、私の頭に真っ先に思い浮かぶのがこの方です


還暦ルーキー

ここに一冊の本があります

タイトルは「還暦ルーキー」

著者は、平山譲さんです

そしてこの本の主人公、古市忠夫さんが、その「徳を積む」で真っ先に思い浮かぶ方なのです

この古市忠夫さん、なんと60歳でプロゴルファーデビューを飾った実在の人物です

とにかく只者ではありません

今まで何度も読み返し、その度勇気をもらった「還暦ルーキー」

今回は、この本を通して古市忠夫さんを知って頂こうと思います


古市忠夫さん、プロゴルファーになる以前は、神戸市長田区でカメラ店を営んでいました

趣味はゴルフ倶楽部通い

その頃の古市さんにとってゴルフは、少しばかり贅沢な趣味でした

そのためラウンド費をもらう時には、奥さまの小言を肩身の狭い思いで聞き続けなければなりませんでした

ところが、倶楽部に行くと古市さんの状況は一変します

実は古市さんは、倶楽部で誰も達成したことのないクラブチャンピオン連続6回、トータル10回優勝を成し遂げていました

そのためクラブハウスの皆が、古市さんに尊敬と羨望の眼差しを向けていたのです


古市さんは、30歳になるまでゴルフをしたことがありませんでした

それが30歳のある日、お店のお客さんに無理やりミニコースに連れて行かれ、その魅力にはまりました

そこから20年間は月2〜3度の割合でラウンドを続けていました

古市さんは、クラブに入会する時2つの目標を立てました

1つは、クラブチャンピオンになること

もう1つは、ハンディキャップをゼロに減らすことでした

この2つを達成するまでは、決して逃げたり諦めたりしないと決めたのです

その決心の裏には、奥様の存在がありました

ラウンド費を浪費と言って小言を言う奥様でしたが、古市さんが半ば諦めながら「会員権が欲しい」と言った時には黙ってお金を振り込んでくれました

そのお金は、奥様が欲しい服の一枚も買わず我慢に我慢を重ねて貯めたお金でした

またラウンドの朝には4時に起きて朝食の支度をし、練習で帰宅が深夜になった時でも、眠らず待って温かいご飯を用意してくれる奥様でした

そんな奥様の内助の功を身にしみて感じていた古市さん

その古市さんが覚悟を持って立てた目標でした

けれど周囲はその目標を聞いて笑いました

経済的な理由からサンデーゴルファーを余儀なくされていた古市さんが立てるには、大それた目標だったからです

週1度しか倶楽部に通えない古市さんは、その代わりにゴルフセンターへ打ちっぱなしに通い、そこで週1回訪れるプロゴルファーの指導を受けることになります

寺本一郎というそのプロゴルファーの教えは的確でした

それは「難しいことは考えず、構えて、上げて、下ろす」というもの

それ一辺倒でした

つまり、力むことなく焦ることなく自然体で行えば良い、ということです

この教えを元に、クラブを振って振って振りまくった古市さんは、とうとう2000人からなる倶楽部のチャンピオンとなるのでした

と同時に「ゴルフに必要なのは、金と暇と体力である」という金持ち志向の格言をも覆してみせたのです

古市さんは、ゴルフウェアも買わず、クラブも折れるか錆びるかするまで買い換えませんでした

また写真の配達を大急ぎで済ませることで、ゴルフの練習をする時間を捻出しました

さらに1日5キロのランニングを、雨の日も雪の日も欠かさず行うことで体力維持を図りました

そうして古市さんが輝かしい成績を残し、ゴルフ三昧の生活を送る中、その日の朝がやってきました

1995年1月17日です


大震災

その日古市さんは、激しい衝撃で目を覚ましました

これまでに経験したことのない激震

阪神淡路大震災です

まだ夜も明けきらぬ頃の出来事でした

家の中はタンスなどの家具が倒れ、大変な惨状となっていました

窓を開けると家からわずか100メートル先のところに一筋の白煙が見えます

「あかん!あの火はこっちに来る!」

古市さんは、家族(妻と娘2人)を近くの公園に避難させると、消防団のヘルメット、手袋、懐中電灯を手に外へ飛び出して行きました

そこで古市さんは、我が目を疑う光景を目にします

見慣れた街並みが一変していたのです

向かいの5軒長屋が、マッチ箱をひねり潰したようにひしゃげ、あるべき建物がいくつもぺしゃんこに倒壊していました

すると、その建物の中から人の叫び声がいくつも聞こえてきます

「助けて!誰か助けて!」

生き埋めになった人の声でした

一方きな臭いにおいから、火の手が近づいてくることも判ります

古市さんは決めました

ー 親しい親しくないは関係なく、すぐ助けられる人から優先的に助ける!火が回る前に、一人でも多く助ける!と

けれど炎は勢いを増し、今では20メートルもの火柱となっていました

古市さんは、できる限りの人を助けながら自身も逃げました

途中動けなくなっていた人を背負いながら、火元と反対方向である南に向かって・・

(この辺りは、とても辛い描写が続きますので、お知りになりたい方は、どうぞ本の方でお読みください ただ古市さんが自身の信念に基づいて、驚くほど多くの方の命を救ったこと、また泣く泣く見送ったことを記しておきます)

そうして震災の長い一日が過ぎて行きました


神の采配

古市さんが、商店街にあるカメラ屋に戻ってきたのは、地震の日から3日経った午後のことでした

それまでは、救助活動に奔走していたのです

店はその全てを消失していました

「なんでこんなことに・・これからどうやって生きていけばいいの」と咽び泣く妻に、古市さんは言いました「もう泣くな、お前たち3人くらい俺が食わしてやる」


阪神淡路大震災は、淡路島を震源とする震度7の直下型地震

この地震により、24万455棟の家屋と6432人の生命が奪われました

命があるだけでもありがたいことでした

そしてその後も古市さんは、復興に向け奔走します

着替えもろくにせず、髭も伸び放題のまま・・

そんな古市さんが、初めて自らのために行動したのは、瓦礫撤去前日のことでした

実は震災翌日、古市さんは消防車の助手席に座って救助現場へ向かう途中、駐車場に1台だけ焼け残っている自分の車を確認していました

それを取りに行ったのです

「不思議やなぁ」

古市さんは首を傾げました

古市さんが首を傾げたのには訳がありました

実は、車をこの駐車場に停めるようになったのは、震災のわずか1ヶ月前のことでした

それまでは、自宅前の駐車場に25年もの間停め続けていたのです

移動した理由は、地主から、以前の駐車場にマンションを建てるからと言われたからでした

そのため、しぶしぶ移った立体駐車場でした

「家もなにもかも焼けたのに、こいつだけが残りよった 不思議やなぁ」

けれど、さらに不思議な事が起こりました

古市さんが、車の後部に回り、トランクを開けようとした時のことです

古市さんは、日頃トランクには何も入れないことにしていましたので、開けたところで予備のタイヤが一輪入っているだけのはずでした

ところが・・・

「あっ」

古市さんは思わず大声をあげました

トランクの中には、あるはずのないものが入っていました

ゴルフバッグです

平素古市さんは、盗難を恐れて、ゴルフバッグをトランクに入れっぱなしにしないようにしていました

それがなぜかここにありました

なぜ入れたままにしておいたのかは思い出せません

「奇跡や」

古市さんは思いました

「神様って、いるんやなぁ」

そしてこの時、古市さんの心には、ある決意が芽生えていました

「俺は、こいつで喰っていく」

古市さんがプロゴルファーになることを決めた瞬間でした


プロゴルファーへの道

プロゴルファーになると決めた古市さんですが、その前にすべきことがありました

街の復興です

ひとまず自分のことは後回しにして、古市さんは復興に向け動き出しました

街づくり協議会の一員として、行政と区民とのパイプ役となり奔走しました

そうして街の復興に尽力しつつ、古市さん自身も家を建て直すことができました

と言っても、建設には2千万円ものローンを組まなければなりませんでした

妻からは、「この先どうやって、ローンの返済をしていくの?どうやって生計を立てていこうと言うの?」と詰め寄られます

とうとう古市さんは、妻に自分の思いを告げました

「俺、プロゴルファーになんねん」

・・・・・・

妻は、あんぐりと大きな口を開けました

「はあ? 」

「お父ちゃん、なに考えとんの それは、お父ちゃんの夢やろ?けど、夢じゃ食べていかれへんやん」

そんな妻に、古市さんは言いました

「可能性は限りなく0に近い けど0やない」

とは言え、プロテストを受ける費用は、受験料、宿泊費や交通費、食費など、諸経費をトータルすると100万円はかかる計算となります

それを聞いた奥様はソッポを向いて言いました

「おとうさん、話にならんわ!」


妻のみならず周囲の者は皆、古市さんのプロゴルファーへの夢を嗤いました

遠い夢に手を伸ばすより、近くの現実を直視して地道にローン返済に励めと、知人たちからは諭されました

けれども古市さんは諦めませんでした

諦める代わりにプロテストまでの一年間は、ただひたすらゴルフの特訓に明け暮れる日々を送りました

ただ、古市さんはゴルフ場へは行きませんでした

ラウンドするお金がなかったからです

その代わり、打ちっぱなしのゴルフセンターで、足許に敷かれた絨毯マットが擦り切れるほど打ちまくりました

グリーンは、近所のゴルフショップで人工芝を買い補いました

またバンカーは、自宅から3キロほどのところにある海浜公園の砂浜で、潮騒を聞きながらサンドウェッジを振ることで代用しました

さらに深夜に2時間の素振り、6〜10キロのランニング、そしてクロールで休まず1キロ泳ぐことを繰り返しました

そうしてプロテストの日が近づいてきたある日のこと

あれ程ゴルフに反対していた奥様が、古市さんの目の前に黙って100万円を置きました

奥様は、無店舗ながらフィルム現像の受注をして貯金をしていました

食べるもの着るもの、その他全ての生活費を切り詰めて、どうにか貯めた100万円でした

奥様は、いつもそうして古市さんを支え続けてきたのです


プロテスト

古市さんは、還暦を迎えていました

そして彼は今、最終プロテストを受けようとしていました

参加人数150人中、4日間の合計成績で上位50位タイまでが合格となるこのテストに、若いエリート受験者の多くは、1週間も前から泊まり込みをし、毎日ラウンドしていました

けれど古市さんは、最終テスト前日の現地入りとなりました

それは、宿泊費とラウンド費を最小限にとどめなければならなかったことにもよりますが、実は、最終テストまでの1ヶ月間、ゴルフクラブを握る時間さえないほど忙しかったためでもありました

古市さんは、町の自治会長に選ばれていました

事情を話して断ることもできましたが、そうはしませんでした

街は今では家々が立ち並び、一見復興を遂げたかのように見えましたが、古市さんは、それで終わりとは思っていませんでした

古市さんは、震災後問題視されていた一人暮らしの老人の孤独死をなくしたいと考えていました

そこで彼は、地域に18人いる一人暮らしの老人を世話するボランティア団体「友愛グループ」を立ち上げました

そしてそれらの活動などで忙しく、最終テストはぶっつけ本番で挑むことになったのでした

けれどそんな状況でも、古市さんの心は喜びで溢れていました

「災害で未だに苦しむ人のいる中、自分は好きなゴルフができている  受かる、受からないやない、すべてに感謝してゴルフをさせてもらうんや」

そう思っていたからです


ところが、古市さんは初日から躓きます

成績は、トータル4オーバー、69位タイとなりました

合格ラインは2オーバーと見られていたため、このままでは不合格は間違いありませんでした

古市さんは、40歳近くも年齢差のある若者に混じってラウンドし、その力の差をまざまざと見せつけられていました

若者との飛距離の差は、歴然としていました

片や若者の方は、プロテストのプレッシャーで過度の緊張の中にいました

そんな時、自分の父親よりはるかに歳上らしい男(古市さん)のまったく緊張感のない様子に、逆に励まされていました


3日目が終わって古市さんの成績は、3オーバーと持ち直していました

けれどこのままではギリギリ合格圏内に入るか入れないか、というところです

ただ、多くの若い受験者が、最終日に向け緊張に震え上がってる中、古市さんだけは違いました

「俺は最終テストに入ってからずっと、ゴルフが楽しくてたまらない、今ラウンドを終えたばかりなのに、もう明日の最終日のことを想って、ドキドキワクワクしとるんよ」

そんな風でしたから、古市さんには怖いものがありませんでした

ただ心にあるのは、ゴルフがもっと上手くなりたい、現状に満足したくない、いくつになっても目を輝かせて人生を歩みたい、ということだけでした


アクシデント

飯島美栄子さんは、このプロテストで古市さんのキャディーを務めた女性です

飯島さんは、プロテストのキャディーをすることを苦手としていました

それは、選手がどれほどこのプロテストに人生をかけているか、その想いが痛いほど分かっていたからです

そのため、選手にアドバイスを進言することはしないと心に決めていました

そんな彼女が初老の古市さんを初めて見た時は、驚きを隠せませんでした

けれど自分の父親と大差のない年齢の老人が夢を追いかけている姿に、飯島さんの気持ちは変わりました

「この人を、一歩も二歩も前進して支えてあげよう」

またそう思ったのには、別の理由もありました

飯島さんは、10年もの間キャディーを続けてきましたが、ティーグラウンドでコースに頭を下げる選手は初めて見ました

さらにプロテスト中にもかかわらず、グラウンド警備員やキャディー一人ひとりにまで挨拶する選手も初めて見たのです

古市さんは、飯島さんに言いました

「俺たち今日一日だけ、このコースの上では、夫婦でええやろ」

飯島さんは、クスッと笑うと

「いいですよ、じゃあ、夫婦一心同体で頑張ろうね!」と言いました


最終日の午前中、この日の古市さんははパットが冴えて、成績は合格圏内ギリギリのところにいました

ところがその日の午後、古市さんは大きなアクシデントに見舞われます

それは残り4ホールとなった時のことでした


その15番ホールは、なんの変哲もないミドルホールでした

強いて特徴をあげるとするなら、フェアウェーの左側に深い松林があり、その松林の奥には池があってOBになっていることぐらいでした

もちろん、松林に打ち込めばプロへの夢は墜えてしまいます

けれど、たとえ初心者であっても、その松林に入れることは考えられませんでした


始め、古市さんの打ったボールは、フェアウェーとラフの中間辺りに落ちるように思われました

ところが次の瞬間、ボールはラフの上で、おそろしく高く跳ね上がりました

まるで意志を持っているかのごとく跳ね上がったボールは、そのまま10メートルほども跳ねて、松林の中に消えて行きました

古市さんは愕然としました

「神様は俺を見捨てたんか」

わずか一打の余裕もない状況で、ボールが林の中に消えてしまったのです

古市さんが、がっかりするのも仕方のないことでした

キャディーさんたちも心配そうに、そして気の毒そうに、古市さんを見つめていました

悔しさにうつむく古市さん

その時ふと、心にこんな想いが湧いてきました

ー おい、古市忠夫、おまえ、なんで今うつむいて歩いてんのや 

ー おまえ、今、大好きなゴルフしとるんちゃうんか

ー うつむくことなんか、いっこもあらへんやろ、ゴルフできとる、それだけで、おまえは幸せもんやろ

古市さんは、顔を上げ、無理やり笑顔を作りました

そして、空を見上げて、大きく息を吸い込みました

古市さんは思いました

ー ちっぽけやなぁ、こんなでっかい空に比べたら、ボールがはねたの、林に入ったの、プロになれへんやの、ほんまにおまえはちっぽけや

ー 今、大好きなゴルフができとる、精一杯夢を追いかけとる、それだけでえぇ、思い切りゴルフを楽しもうや!


一方ボールは、膝が埋まってしまうほどの高さの雑草の中にありました

打つ方向には幾本もの大木が岩壁のように立ちふさがり、フェアウェーの緑がまったく見えませんでした

たとえボールを打てたとしても、幹に跳ね返され、後ろにいってしまうのは明らかでした

しかも、後ろは急勾配の坂になっていて、坂の下には池が口を開けて待っていました

「古市さん、とんでもないところにはいっちゃったね」

飯島さんが言いました

「これ、打てるんかいな」と古市さんが言います

すると

「あ!あそこ・・」

突然飯島さんはそう叫ぶと、上空を指さしました

上空は、すべて松の枝葉で覆われていましたが、飯島さんが指差す先に、穴が空いたような小さな隙間がありました

その隙間からは、青空が見えました

けれど、すぐに飯島さんは目を伏せます

拳大ほどしかない空めがけ、背の高い雑草の中からボールをすくい上げて打つのは、とうてい無理な芸当だと思えたからでした

けれど、このままいけば古市さんのプロゴルファーへの夢は終わってしまいます

「打てます」

「古市さんなら打てます」

飯島さんは言いました

「そうか、打てるか?」

古市さんがそう言うと、飯島さんは、もう一度言いました

「打てます!」

古市さんは、9番アイアンを手にします

そしてそのアイアンを、頭上にテークバックしました

ー やってみよう、打ててもゴルフ、打てんかってもゴルフや!


ゾーン

「しもたあ!」

古市さんには、ボールを打った感覚がありませんでした

けれど球の姿は見えません

周辺を見まわしましたが、やはり見つかりませんでした

「古市さあん!」

遠くで飯島さんの声がしました

古市さんは、あわてて松林の坂を走って上がりました

「花道!花道よ!」

そう言って飯島さんが指差す方向を見ると、「花道」と呼ばれるグリーンへ通ずるフェアウェーの一本道に、白いボールが見えました

古市さんは、走ってボールのところに行くと、そのボールを見てみました

それは紛れもなく、自分のボールでした

遠くでは2人のキャディーが歓声をあげています

ー ゴルフって不思議やなぁ

と、古市さんは思いました

飯島さんは言いました

「あんなところから出せたんだから、きっと、プロゴルファーになれますよ!」

けれど、不思議な現象の始まりは、ここからでした


ー なんや、この感覚は・・・

それは古市さんにとって初めての感覚でした

古市さんが初めて体験するその奇妙な感覚

それは、自分が行う全てのプレーの成り行きが、プレーをする以前に手に取るように分かる、というものでした

足許にあるボールが、2メートル先にあるカップに入る、と分かります

難しいラインを前にしても

ー これもや、これも入る

と分かりました

そして、ボールはその通り、まるで糸か何かで操られたかのように、カップへと吸い込まれて行きました

この先のホールでも、古市さんをとまどわせるものは何もありませんでした

古市さんは、ただ打てば良かったのです

そして、この日最後のパットを打ち、古市さんのプロテストは終わりました


終わりに

大好きな本を、かいつまんでまとめようとしたら、物凄く長いものになってしまいました

ここまで読んでくださる方いるかしら、と思いながら、もう一度物語の中に入り込めて、私自身は幸せでした

この物語については、また別の角度から書いてみたいと思っています

そして出来ましたら、皆様には本で読んで頂きたいと思っています

本物の人生に圧倒されますよ!


読んでいただき、ありがとうございました


                  きみどり























お心遣いありがとうございます! これからの励みにします!