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第一回 スピノザまでの長い道のり

スピノザの『エチカ』を手にするまでに、ずいぶん寄り道をした。スピノザの名を始めて聞いたのは、大学の講義だったろう。だが、そのときは何も感じず素通りした。はじめて気持ちが動いたのは、ゲーテの言葉のなかにスピノザへの尊敬と感謝がつづられているのを発見したときだった。激しい感情の持ち主であるゲーテは、スピノザの『エチカ』と出会い、自分の「特異な本性」を陶冶することができたという。私もいつか読んでみたいと思った。しかし、その「いつか」はなかなか訪れなかった。神経学者アントニオ・ダマシオの『感じる脳』(邦題)を読まなければ、けっきょく一生、その「いつか」は訪れなかったかもしれない。

資料関係

ダマシオは感情と身体についての仮説をスピノザの哲学と結びつけていた。数百年も前に生きた哲学者が書いた精神と肉体の関係をめぐる知見は、最新の脳神経学に照らし「正しかった」というのである。驚いた。ようやく背中を強く押され、書店に走った。岩波文庫の『エチカ』(畠中尚志 訳)上下巻を中身も確かめずに買って帰った。だが、ページをひらいて本文を読み始め、のけぞった。これは……いったい、何を言ってるんだ????

定義 
一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。
二 同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して……

冒頭から、こんなふうに定義がつづく。「実体とは」「属性とは」「様態とは」といった具合に。ほんの二、三頁を読むのに何時間もかかった。だが、どれだけ集中して読んでも、まったく意味がわからなかった。

図書館で借りた本なら、読まずに返していたかもしれない。だが、買ってしまっていた。毎晩のようにページを開き、「うーん」とうなりながら、すこしずつ読んでいった。ふだんなら決してやらない苦行のような読書を私に強いたのは、スピノザを読むべしと誘った、ゲーテやダマシオの言葉だった。彼等が深い尊敬をこめてスピノザを語っていたから、私もわかりたかったのだ。なのに、一行たりともわからない! 日本語なのに、わかる文章がひとつもないなんて。衝撃だった。

だが、わかりたいと願う気持ちは、「わからない」という壁が高ければ高いほど獰猛になる。このときはそうだった。この向こうには何があるんだろう、どんな世界があるんだろう。ゲーテが「師」と仰ぐスピノザは、いったい何を言っているのだろう。少しでもいいから、彼の思想を受け止めてみたかった。かすかな手がかりも見逃さず、なんとか見知らぬ森の奥へ分け入ろうした。だが、『エチカ』の壁は思った以上に高かった。粘り強く読んでいても、何を言いたいのかわからない。意味がわかっても、「だから?」「それが何なの?」と思ってしまう。さすがに自分には無理なのかもしれないと諦めかけたある日、こんな言葉に出会った。

定理一三 絶対に無限な実体は分割されない。

私はこの言葉を読んで、「あ!」と思った。いままでどう読んでもさっぱりわからなかった世界に穴が開いたような感覚だった。「絶対に無限な実体は分割されない」。その言葉を読み、そのとおりだと思った。それは直感的な「同意」だった。私はこの言葉を手掛かりに、それまでの文章を読み返していた。すると言葉と言葉の関係がうっすら見えはじめ、ばらばらに見えた概念が、スピノザの表現しようとしている大きな世界を織りなす、有機的な言葉であることがわかってきた。少しずつ読むことが面白くなっていった。私は数か月かけて『エチカ』をなんとか読み終えた。

『エチカ』を読めたとも理解したともいえないが、忍耐強く読み続けた数か月は私の内面に、重要な変化を生み出した。それは自分の内側にいかに多くの「ごまかし」があるか、そのことに気づいたのだ。そしてその「ごまかし」が私の「本性」を覆い隠すことで、なんと無理なことをし、自分も他人も傷めてしまい、くりかえし自信を失ってきたことだろう。『エチカ』の難解な壁もむこうに、ひとことで言えば、自分自身を知り、もっと「よく生きる」ことへのヒントがある、そう思えたのだ。

『エチカ』をまがりなりにも通読した日から何年か経ったころ、海外版権をあつかうエージェントから、フレデリック・ルノワール氏がスピノザについて書いた本があると紹介された。私はすぐに飛びついた。

ルノワール氏のスピノザに関する本を日本で翻訳出版できることになり、とてもうれしかった。訳者の田島葉子氏は、いままでルノワール氏と何度も仕事をしてきた訳者である。ぜひとお願いし、一章ごとに翻訳できた順に送っていただくことになった。連載を楽しみにするような日々。読むたびに「そうだったのか」「なるほど」と深く納得し、ひとりで唸りながら読んだ『エチカ』に、新たな傍線が引かれていった。ぐんと身近になり、私は自分が受け止めていたことが、いっそう明瞭になっていくのを感じた。スピノザの言葉が、17世紀オランダという歴史の舞台の中に、スピノザの人生の中に、よく響くように位置づけられていた。かつて読んだ言葉が、何倍も生き生きとした言葉となって胸に届いた。章によっては、読んでいて泣けてしまうところもあった。この類の本を読んで、こんなふうに思うことはあまりなかったから、知的にも心情的にも、大いに揺さぶられたのだった。最後の原稿が届いた日、いよいよ本という「かたち」にする仕事がはじまることに背筋の伸びる思いがした。

私はこの本を読めて、本当によかったと思う。ルノワール氏は、私にはぼんやりとしか理解できなかったスピノザの世界を、本質をたわめることなく、明快な筆致で伝えてくれた。哲学の解説書を読むくらいなら、原典を読んだほういいと思っていた私が、この本は素直に読めた。心の深い、稀有な読み手による解説は、単なる解説ではなく、それ自体がひとつの生きた作品となり、独自の思想書になっているのだった。著者のスピノザへの共感は、尊敬する友人に対する共感である。難解な思想のエッセンスをかみくだいて語る姿勢に、ルノワール氏の眼差しの温かさを終始、感じ続けていた。

氏の文章は、生命的な実感の深さ、スピノザのテキストを引くときに「切り文」に陥らない抜粋の的確さ、思想の要所をエピソードとともに語るわかりやすさ、などが特徴である。巻末に収録した往復書簡のなかで、スピノザ研究の世界的権威であるロベール・ミスライ氏をもって、『共通の友人(スピノザのこと)の人間像をこんなに具体的に生き生きと描き出したあなたの手腕に、感服せずにはいられませんでした』といわしめるものを、私も強く感じた。

哲学書であるにもかかわらず、フランスでのルノワール氏の知名度もあってか、本書は現在28万部を超える売れ行きだという。刊行から一年の間に、ノンフィクション部門のベストセラーリストにも顔をだし、著者みずからがテレビで「スピノザ」を語ることも多い。フランスとは土壌が違うといえばそれまでだが、この本は私たち日本人にも、「よく生きる」ためのヒントをくれるに違いない。

日本でもこの本を必要とする人に届いて欲しい。つよくそう願っている。小さな部数でスタートするこの本のことを少しでも知ってもらいたく、この場で連載をさせてもらうことにした。各章のテーマや内容、編集をしていて気づいたこと、本づくりのプロセスなどもあわせ、本のタイトルそのままに『スピノザ よく生きるための哲学』と題してスタートしたい。あいだに対談なども織り交ぜていけたらとも思っている。

編集担当 野村浩介

手持ち表紙


『スピノザ よく生きるための哲学』
2019年12月10日配本
フレデリック・ルノワール 著/田島葉子 訳
装丁・緒方修一 カバー写真・朝岡英輔
定価2500円(税別)
ISBN978-4-591-16470-9
【著者】フレデリック・ルノワール(Frédéric Lenoir)
1962年マダガスカルに生まれる。スイスのフリブール大学で哲学を専攻し、雑誌編集者、社会科学高等研究院(EHESS)の客員研究員を経た後、長年にわたり『宗教の世界』誌(『ル・モンド』紙の隔月刊誌)の編集長、ならびに国営ラジオ放送局(France Culture)の文化・教養番組『天のルーツ(les Racines du Ciel)』の制作・司会を務めた。最近は「よく生き、共に生きる (Savoir Etre et Vivre Ensemble) ための教育基金」の共同設立者、ならびに「動物たちの幸せを守る会(Association Ensemble pour les Animaux ) の設立者として、その活動にも力を注いでいる。宗教、哲学をはじめ、社会学、歴史学、小説、脚本等、幅広い分野にわたり五十冊を超える本を出したベストセラー作家。世界各国で翻訳され、日本でもトランスビューより『仏教と西洋の出会い』(二〇一〇年)、『人類の宗教の歴史——9大潮流の誕生・本質・将来』(二〇一二年)、『哲学者キリスト』(二〇一二年)、柏書房より『ソクラテス・イエス・ブッダ』(二〇一一年)、『生きかたに迷った人への20章』(二〇一二年)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(二〇一八年)、春秋社より『イエスはいかにして神となったか』(二〇一二年)、『神』(マリー・ドリュケールとの対談集、二〇一三年)ほか、十冊にのぼる訳書が出されている。
【訳者】田島葉子
1951年東京に生まれる。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院仏文学専攻修士課程修了。75年より故ジャック・ベジノ神父の論文やエッセーの翻訳に携わる。99年より十数年間、東京外国語センターのフランス語講師を務める。翻訳書に『利瑪寳——天主の僕として生きたマテオ・リッチ−』(共訳、サンパウロ)、『モリス・カレーム詩集——お母さんにあげたい花がある』(清流出版)、『哲学者キリスト』(トランスビュー)、『神』(春秋社)、『お金があれば幸せになれるのか——幸せな人生を送りたい人への21章』(柏書房)など。

▼『スピノザ よく生きるための哲学』は12月11日から発売です!



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