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短歌五十音(み)宮崎信義『夏雲』

「宮崎信義は一九一二年、明治四十五年二月二十四日に、滋賀県の母の里で生まれた。(…)彦根中学時代に前田夕暮の主宰する「詩歌」に入会したのが昭和六年。それから一筋にぶれることなく、九十六歳と十ヶ月で亡くなるまで、口語の短歌を詠み続けた。」(光村恵子「宮崎信義生誕百年を記念して」)

山と水と

動哨
銃剣をかかえて雨の夜の山麓を動哨する 風につれてしずくの落ちる音がする

ぼうと人影のような木影をにらんで敵に近づく構えをする どうにも眠い

1932年に満州国を建国した日本はさらなる権益を求めて華北5省に手を伸ばした。37年、盧溝橋事件によって日中戦争がはじまると、中国では国民党と共産党が手を結んで激しく抵抗した。

手紙 長女の誕生をしらせてくる
女の児が生れて母子ともに元気だという 信隆はお祖母ちやんとねているそうな

児の写真
ちよこちよこ歩いていた信隆が兄らしく立つている 横にあんよを出している迪子

前線へ
信隆ちやん迪子ちやん 児の名に足を合わせると疲れを忘れる 力が出てくる

※「迪」のしんにょうは本来二点だが、noteでは再現できなかった。

戦争が激化すると、日本は国民政府からの華北5省の分離ではなく国民政府そのものの打倒を目指すようになる。日本は上海をはじめとした都市部を空爆し、首都南京を占領して軍民を虐殺した。

水(一)
つめたいきれいな水がのみたい 内地の水のうまさもはるかな思い出になつた

すみれ
爆弾にぴりぴり地がゆれる 目をあけると右前に微かにゆれているすみれ

菫をつむと指先でくるつと廻して目に近づける 鼻にあててかいでみる

落葉
これが見おさめになる風景かもしれぬ 山に松があり雑木があつて内地とそつくり

小便をする気持ちよさ 呼吸いきをする楽しさ 水のうまさ ああ淡紅色の空気のうまさ

日本は広東と武漢を占領したものの軍事動員力が限界に達し、戦争は持久戦となった。国民政府は重慶に首都をうつして抗戦し、共産党は日本軍の占領地周辺でゲリラ戦を展開した。

野戦病院(一)
負傷した戦友をはこんできて、入院中の戦友に会う
呻き声呻き声 膿や血の匂い 小便の匂い その中に何人も知った戦友がころがつている

小便 膿 血 蛆虫蛆虫 人手も薬品くすりもない野戦病院やびようでも眠れるだけはよいという

迫撃砲
ヒユルヒユルヒユルと鈍く頭上を越えはじめ やがて間近に落ちだした砲弾

思い切つて左へ走りだす ヒユルヒユルヒユル ヒユルヒユル ドーン うしろ 横

日本は国民党親日派の汪兆銘を擁立して南京に国民政府を樹立したが、中国国民には傀儡政権とみなされ、国際的な承認も得られなかった。戦況が泥沼化するなか、日本は仏印進駐を行い太平洋戦争に突入した。

手  遺骨にするために戦死者の手を切取る
ばらばらの装具 右頬のほくろのある死顔 銃剣をぬくと腕をつかんで切りはじめる

切りこむと指先がぴくぴくと動く 鶏に似たざらざらの青黒い手を切つていく

ぐるぐるねじて手を切つていく たたくように戦友の手を切つていく

切取つた手を腰にさげる 降り出した雨がぽつぽつと木の葉にあたり手にあたる

片手のない死体は 雨にたたかれて上向きのままだ 鉄帽がねじれたまま眼を閉じている

1944年、日本は大陸打通作戦(一号作戦)を計画した。中国西南部にある日本本土空襲のためのアメリカ空軍基地の破壊を主目的としつつ、華北から南洋までを縦断する陸上輸送路の確保を目標とするものである。

銃声
銃声がやむとうそのように静かな山だ ポケツトの児の写真も久しくみない

火葬
二日間戦死者の手を持って歩いて
おーい戦友の手を持って集れという 今夜は銃声が少いからこつにしようという

山崎の次が齋藤 次が橋爪――火をかこんでこげていく戦友の手をみている

こげる手を裏がえす これが山崎 これが齋藤――あいつらはもういない

一号作戦はおおむね達成されたが、太平洋戦争の戦局の悪化によって撤退を余儀なくされ、中国戦線は縮小した。しかし支那派遣軍は重慶の侵略を諦めきれず、1945年4月湖南省の芷江しこうに侵攻した。これを芷江作戦という。

「この歌集の「山と水と」〔に収められた歌〕の多くはこの〔芷江〕作戦中のもので、山中で中国軍に包囲される形となり激しい山岳戦が続いた。」(あとがき)

水(二)
   昭和二十年五月下旬の暗夜、湖南省馬渓骨附近で

水をくれ 腹をやられてもう駄目だが水がほしいと暗い叢から不意にいう

わしは――二大隊の――兵長 迫撃砲はくにやられてもう駄目だと静かなことば

ああ水がほしい 水を飲んだら楽に死ねる 一口水を飲んで死にたいという

僅かに ごつくりごつくり水を飲む 星明りでは顔もしつかりみえぬ

水筒の水を飲んで ああうまかつたこれで思い残さず死んでいけると静かになる

水をくれた者の名が知りたいという うまい水だつたと何度もいう

置去つた戦友への恨みもいわず もう動こうともしない一人の兵士

どうしようもない やがて銃をかつぎ歩きだす 夜空のきれいな山沿いの道

朝まではもたぬいのち せめてやわらかな草のしとね星のきれいな夜でかざれ

終戦
   宝慶市内へ連絡に出て敗戦をきく。その夜、中隊へも電話で連絡があつた。

降伏だ いよいよ無条件降伏だ 昨日陛下の放送があつたとそつという通信兵

ぞつと背筋をはしる悪漢 とうとう負けた 曇天つづきの――八月十五日

草粥

「終戦は宝慶でむかえ、長沙附近で武装解除を受けた。そして、岳州附近の洞庭湖に近い部落で、翌二十一年の春まで、窮乏の俘虜生活を送つた。それが「草粥」の時期である。」(あとがき)


ひとつまみの塩を薬のように味おうてなめる ほろにがく故国くにへのおもいがとけてくる

たにし 蕨 ののへり 芹 食えるものはみな粥に入れる 唐辛子で味つける

そら豆や豌豆の葉も食べる 重湯のような粥をすすつて 一日が暮れる

野戦病院(二)
   昭和二十一年一月、熱病で約二ヵ月間入院。名ばかりの野戦病院である。

もうねているだけ 食う力さえなくなつて 僅かに呼吸いきをしている 目をあけている

眠れぬ夜
背を合わせて寝る ああ早く帰つて百姓がしたい 勤めたいとわめき合う


みんな自分の女房をほめる しまいには笑いながらやつぱり女房はよいという

妻よ このひげ面で抱きしめたら 顔中がひりひりするぞ 顔がむけるぞ

母よ妻よ児よ元気だろうな ここは鶏や豚や犬や牛が鳴いているのどかな部落

帰還

「五月上旬には漢口へ集結、上海から鹿児島へ上陸をして復員し、六月二十一日、転居したわが家をたずねて帰宅した。……第三の「帰還」は復員してこれまでの職場である大阪鉄道局へ再び出勤しはじめるまでの、いわば精神的な空白時からようやくもとの一社会人に立ち帰るまでのものである。」(あとがき)

内地の山
みえる 陸地がみえる かすかに山の輪郭がみえる あれが日本

日本の山 日本の山 あれは五島列島という ふねは鹿児島へ向つている

標札
家族の転居先をたずねて帰る
応召あれからまる三年 還つてきたのが嘘のように標札の前に立つている

一息に戸を開ける 児が玄関へ飛出してくる 戦帽を脱ぎながら大きくただいまという

大きくなつたな重くなつたな 児を抱上げて頬ずりをする 部屋を廻る

畳はよいな ねころんで思いきりのびをする 児が跨つてきてお父ちやんという

布団を敷き蚊帳を吊る――夕刊 ラジオ 氷水 お父ちやんおやすみと児が先に寝る

蚊帳に入つて布団の上でのびをする 児の寝顔児の寝いき そして妻

生きて還つて(一)
さあ仕事仕事 故国くにへ帰つてもうせかせかと街を歩いている

生きて還つて(二)
生きていこう生きていこう 過ぎ去るはげしい思いの中に夏雲があり 街がある

あたらしく生きていこう みがかれた靴のかるさよ 児に送られて家を出る

あたらしく生きていくのだ 僕の標札と児と そしてどこまでも空が青い

「現代の歌人は、現在われわれが使つている用語で、その作品の内容となる現実を表現するのに最も適わしいそれぞれの形で、短歌を創るべきである、というのが私の年来の主張であり、このことを措いて短歌を生かしていく方法は見当らないというのが私の考えである」(あとがき)


参考文献

宮崎信義『夏雲』(新短歌社、1955)
光村恵子「宮崎信義生誕百年を記念して」(未来山脈)
大庭邦彦ほか『Jr. 日本の歴史⑥ 大日本帝国の時代』(小学館、2011)
藤井元博「失われた機会:中国国民政府の反攻作戦 1945」(NIDS防衛研究所、ブリーフィング・メモ、2021年5月)
NHK 戦争を伝えるミュージアム「日中戦争とは?」
『国史大辞典』(吉川弘文館、1979-1997)
『新版 角川日本史辞典』(KADOKAWA、1996)

次回予告

「短歌五十音」では、初夏みどりさん、桜庭紀子さんに代わってかきもち もちりさん、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉さんの四人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。

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お読みいただきありがとうございました。
本稿がみなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。

次回は中森温泉さんが紫式部『紫式部集』を紹介します。

短歌五十音メンバー

初夏みどり
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桜庭紀子
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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