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大阪の一角、私と茶店

それは大阪でもとびきり人が集まる駅、の地下街にあった。学生時代によく利用していた駅の改札を出てすぐの辺り。少しばかり隅っこすぎるが、確かにあった。緑色のたて看板と喫煙可能の文字とともに。

当時の私はひどく興奮したものだ。大都会の地下に煙草をふかしながら珈琲を飲める店があるとは。はじめは人も多く入りにくかった記憶があるが、その鬱とした気持ちもすぐに晴れた。

その最たる所以は、客層にあった。店内で談笑をしている人はほぼ居ない。

通勤途中のサラリーマンが1人で。
待ち合わせ前にお兄さんが1人で。
旅立ち前のハイカラなお姉さんが1人で。
夜勤明けらしい眠そうな目をしたおばさんが1人で。

そして私も1人で。

店員さんは必要最低限の会話だけして去っていく人ばかり。だのに大都会の地下街にあるからか、外にいる人たちのガヤガヤとした喧騒のおかげで静まりかえっているわけではなかった。

珈琲や軽食も特別美味しくはなかったが、そこにいるそれぞれの隙間のような時間、日常に溶け込んでしまった感情、噎せるような煙草の煙、それらに入れ込んでしまった。

学生時分であったため、ちょっとした大人の世界を覗き見たような気持ちにもなったものだ。

3年間通った。通ったと言えるほどではないが、時間があまったらそこに赴いて絵を描いてみたり、勉強をしたりした。大層な迷惑客だったろう、と思う。

遂に誰にも紹介しなかった。私だけの秘密の空間のような気がした。社会人になってからは1度も訪れていない。あの時の私のたしかな高揚感と癒し、焦燥はもはやどこにもない。

苦いブラックコーヒーとぶっきらぼうな店員の声。客が新聞紙をめくる音。外で子供が泣いている声とその他喧騒。

あの頃の、自分でいっぱいいっぱいの私でしか感じられなかった様々な要素も、今の私ではきっと陳腐に見えてしまうだろうことを恐れているのかもしれない。

なくなっていても良い。が、なくなっていなかったら、とは思う。お喋りな私の唯一の静寂と憩いと背伸びの場所。



追記 : 地下鉄東梅田駅の改札を出てすぐのトイレ前にあるお店です。良かったらどうぞ。

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