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【掌編小説】過去への手紙

過去への手紙

作・大西貴志

「明日から期末テストだ。今日は早く帰ってしっかり復習するように」

担任の藤沢は、そう言い残して放課後のチャイムとともに足早に教室を後にした。

高校生活最後の期末テスト。最後くらい頑張んなきゃな。と、森下加奈子は教室の前に貼り出されたテストの時間割を確認した。

げろ。一限目から苦手な数学かよ。げろげろ。

「かーなーこー」

最前列の席からここがオペラの劇場かと勘違いしてしまうほどの声量で、篠原美香がこちらに向かって走ってくる。ドタドタと美香の足音が教室に響く。彼女は声だけじゃなく、体格だってオペラ歌手顔負けの一級品だ。

「ねぇねぇ。知ってる?」

美香の話はいつも主語が抜けている。そして主語が抜けた時の話題といえば、大概が噂話である。

「知らない」

「南口の郵便ポストの噂! あそこ、何でポストがふたつあると思う?」

美香の聞いた噂によると、新宿駅南口、新宿ミロード前にあるふたつの郵便ポストの右側のポストに午前0時に手紙を投函すると、過去の自分に手紙を送れる。と、言うことらしい。

アホらし。そんな事より明日の数学の方が大事だ。

「加奈子! 一緒にこの噂、検証しようよ」

「嫌だ」

「えー、加奈子ならやってくれると思ったのにー」

そう言う美香の手には、すでに便箋と封筒、ペンが握られている。

「わかったわよ」

加奈子はそう言うと、美香から便箋とペンを受け取った。しかし、急に過去の自分に手紙を書けと言われても何を書けばいいのかさっぱり分からない。何も思いつかない加奈子は面白半分で

 『篠原美香と友達になっちゃダメよ モリシタカナコより。』

と、書いた。

「加奈子、ひどいー。本当だったらどうすんのよ」

「大丈夫だって。どうせ嘘なんだから」

加奈子はそう言って、そのまま便箋を美香に手渡した。

 

都立新宿高校の校門を出て、甲州街道を駅に向かって歩く。学校からの帰り道、ふと気になった加奈子が美香に聞いた。

「美香は何て書いたの?」

「ははひ?」

東南口にあるクレープ屋『プチバリエ』のチョコバナナクレープを口いっぱいに頬張りながら、美香は片手で器用に鞄の中から便箋を取り出し、加奈子に差し出した。

美香の便箋には『脱!非モテ計画!』と題されたダイエット計画がびっしりと書かれていた。

「すごいね、これ」

「へひょう?」

「これ、今から始めればいいじゃん」

「あえあえ」

美香は頬張ったクレープを一気に飲みこみ、話を続けた。

「ダメダメ。今から始めたって遅いの」

「何で?」

美香は加奈子の問いかけには答えず、またクレープを口いっぱいに頬張った。

駅の改札に着いた時、美香が言った。

「さて、午前0時まで何しよっか?」

「え? それまでずっと新宿にいるつもりなの?」

「当たり前じゃん。だって0時きっかりにポストに入れなきゃなんだよ?」

さも当然のように美香が言う。呆れた。明日から期末テストだと言うのに、こんな事で風邪なんかひいたら目も当てられない。美香には申し訳ないけど、流石にそこまで付き合いきれない。

「ごめん。私、やっぱりパス。美香、後はよろしくね」

加奈子はそう言うと、手を振って足早に改札をくぐった。

「ええー」

美香は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐに笑顔になって手を振ってくれた。

「じゃあ、また明日ね」

美香の声を背中で聞きながら、加奈子はホームへの階段を下って行った。

 

 翌日。いつもと何ら変わらない朝。昨日の手紙の事などすっかり忘れた加奈子は、いつものように学校に行った。今日から期末テスト。一限目は苦手な数学だ。始業前、加奈子がペンケースから筆記用具を取り出そうとした時、消しゴムが床に落ちてしまった。

「あ……」

落ちた消しゴムがコロコロと転がって行く。加奈子が椅子を引いて消しゴムを取りに立ち上がろうとした時、消しゴムが女の子の足に当たった。細すぎず、すらっと伸びたふくらはぎの美しい曲線。張りのある綺麗な太もも。加奈子は思わず見とれてしまった。

そして、上から手が伸びてきて、その手が加奈子の消しゴムを拾う。色白で指が長く、綺麗な手。見上げると彼女はツヤのある長い髪をかきあげ、にっこりと笑い、話しかけてきた。

「これ、森下さんの?」

「うん」

まるで天使のように微笑む彼女の笑顔に、加奈子は一瞬吸い込まれるような錯覚に陥った。

「はい」

彼女は加奈子の消しゴムを机の上に置くと、くるりと振り返って自分の席に戻った。

「ありがとう…篠原さん」

加奈子の言葉は始業のチャイムにかき消されて、彼女には届かなかった。

 

 

 

 

 

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