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「良い写真」について、考え続ける日々。

こんにちは、ポンさんです。
日頃から、写真について考えている事を記します。

写真を撮り始めた経緯

私の趣味は、写真を撮ることです。そもそも、写真を撮り始めたのは中学生時代からで、富士フィルムの「写ルンです」で撮った写真の焼き増しを友達にプレゼントしてました(笑)。

大学生時代に初めてフィルムカメラに触れ、オールドレンズで撮影されたポジフィルムの美しさ、現像の仕上がりに心を奪われました。
そして、友人が持っていた中判カメラ(ゼザブロニカ S2)のウエストレベルファインダー(WLF)に映し出された像を見た時の感動が、今でも忘れられません。この体験が、本格的に写真を撮り始めるキッカケとなりました。

使用してきたカメラ、そして自問自答

私が最初に使用したカメラは、母親が持っていたコニカのフィルムカメラ。そのカメラは写真好きの母方の祖父が使っていたそうです。休日は、そのカメラで都市や風景のスナップ写真を撮る日々。時間さえあればカメラ店に行き、中古フィルムカメラ、デジタル一眼レフ、レンズなどを物色して、店員さんに質問の嵐。その後、Mamiya645、Nikon D810など愛機は増えていきましたが、ある日ふと疑問に思いました。

「私にとって写真を撮る目的は何だろう?」

・綺麗でカッコいい写真が撮りたい?
・色々なカメラ、レンズ、
 フィルムを使って表現の探究?
・思い出をたくさん残したい?

表層的な部分にフォーカスしてばかりで、本質を捉えてない気がしました。
「趣味だから素直に楽しめばいいか?」と自問自答したのですが、腹落ちせず頭の中がモヤモヤ。

土門拳の「ことば」に救われた

私の好きな写真家の一人「土門拳」。
土門拳の「ことば」「リアリズム」に共感し、私の写真を撮る目的がクリアになりました。

それは、「良い写真」を撮ること。

土門拳の写真で、私が一番好きな作品は「こどもたち」こどもに対する愛情、躍動感、心が見事に写し出されており、これが私の撮りたい「良い写真」なのかもしれないと感じました。

そのため、今日いま時点の私にとっての「良い写真」の定義を整理してみました。

・一瞬を切り取る観察力
・自然であること
・写真から音が聞こえること
・想像を超えること
・人に喜んでもらえること


土門拳のことばに、かなり影響されていますが、私なりの解釈で言語化しました。
語彙力の無さは相変わらず(泣)。
詳しい解説は割愛(謎)。
面倒臭くなったのか俺(心の声)。

「良い写真」の定義は、人それぞれ。
他の人は、「売れる写真」「背景がボケているおしゃれな写真」が「良い写真」と主張されるかもしれませんが、人、物、時代などが変われば「良い写真の定義」も変わると思います。

写真だけに関わらず、絵画や建築など人によって「良い定義の基準」はバラバラ。正解など無いと思います。

それで良いのです。

まとめ

私は、プロの写真家ではなく、素人なので偉そうなことは言えませんが、写真を撮る目的を明確にすることで、いつの日か「良い写真」が撮れるよう、一歩ずつ探究を続けていきます。

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