幸せになったら面白くないという呪い

ちょっと不幸だから面白いよねって大学生の時に言われたことがある。
当時、Twitterにうまくいかない恋愛や失敗した就活の話を面白おかしく自虐して、わりと周りから面白いと評判だった。あまり知らない同じ大学の人からもファンだなんていわれて、調子に乗った。

社会人になってからも、同僚のなかでもパワハラがきつい部署に配属され、上司や先輩からされたことの愚痴を同期との飲み会で面白おかしく話してうけていた。

自分の辛い話を面白おかしく伝えると周りは喜ぶ、という感覚が私のなかで積み重ねられていった。元来の自尊心の低さも相まって、誰も私の幸せな話なんか聞きたくないのだろう、とも思った。

そのうち転職をし結婚することになった。私をコンテンツとして面白がってくれていた人からは、そんな普通の人と普通に結婚しちゃっていいの?と残念そうに言われたりもした。
一方で、心から喜んでくれる沢山の人達もいた。

もっと破天荒に生きてほしいし、少し不幸であってほしい、それが周りからの期待なのかなと今まで思っていた。

勿論そう思っている人もいるとは思うが、それ以上に、『幸せになったら面白くなくなる。』『周りは自分が幸せになることを望んでいない』そういう呪いを自分自身にかけていたことに気づいた。

そして、それは単なる錯覚であろうということにも、結婚の報告に喜んでくれる人たちを見て気づいた。むしろ自虐ばかり言って心配をさせていたのかもしれない。
今後は自虐ではなく、幸せな話をいかに面白くするかということを考えていかないとなぁと思う。


(西日本出身なので面白くありたいと思ってしまうのは治らない…)

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