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毒親はなぜ人の気持ちがわからないのか


私の母親

私の母親について書きたい。彼女は一見、美しく、見た目より若く見え、人当たりも良く、人に好印象を持たれるタイプだと思う。実際友達からも、「お母さんきれいだね」「お母さん優しそう」などと言われてきた。
しかし、家庭環境がよく人を見る目に長けている友人からは、「なんか〇〇のお母さん怖いね~」と言われたこともあり、実際私は母親を恐れていたので彼女の見方は的確だったといえる。

困ったときになぜか助けてくれない

日頃は私を監視しており、過干渉なのに、いざ本当に困ったときに助けてもらえなかった経験が多い。それがなぜなのかを考えていきたい。

①子供の心より世間体が大事だから
(1)小学校の頃のエピソード①
小学校低学年のころ私は割と激しいいじめにあっていた。
ある朝学校に行くと、上履きが女子トイレの便器の中に捨てられていた。「ねートイレに靴が捨てられているんだけど」それを見て爆笑する昨日まで仲が良かった同級生の女の子2人。
彼女たちがやったんだな、と私は悟った。その直後の体育の時間は靴がないので靴下で過ごした。
それを皮切りに、鉛筆や消しゴムなど私の所有物が毎日のように便器に捨てられるようになった。誰がやったかは見当がついているものの、いつも私が見ないうちに行われているので、犯人も突き止めることができないまま…。
捨てられては、親に報告して新しいものを買ってもらうのだが、それがまた便器に捨てられている。先生にもいったけれど、状況は改善されず、
クラス替えが行われるまでそれは続いた。
親は、当時のことを振り返って「あなたは、全然何も気にしていなくて平気そうだった」という。私は平気だったのではなく、あきらめていたのだ。
「あーまたか」といつも思っていた。担任や親に行ったところで無駄だ、とどこかで感情のスイッチを切っていたように思う。
また、大人になってから聞いたところによると、親が当時、一応担任に手紙を書いたりしたらしいが、「こんなことはよくある」と言われて、あきらめたそうだ。自分が学校にいじめの件を強く訴えることで、自分がモンスターペアレントだと思われるんじゃないのか、と心配になって訴えるのをやめたらしい。
普通子供がこんな目にあったら、自分も一緒に登校して見守る、担任に改善されるまで訴えるなどの行動に出ると思うが、私の母は、「自分の子どもを助ける」よりも教師から「自分が変な親だと思われないこと」を優先したようだ。

(2)小学校の頃のエピソード
私が小学校1年生の一番最初のテストの点数は「96点」だった。
その点数を今でも強烈に覚えている。
それは母親にテストを見せた時、間違えた個所をさし、「ここを間違えなければ100点だったのに」と言われたからだ。(この~だったのに。という言い方を母親はよくする。)
勉強したプロセスをほめてもらえることもなく、ただ結果が完璧でないことを指摘されただけで終わった。
それ以降、「100点でなければだめなんだ。ミスしたらいけないんだ」という考えが強烈に刷り込まれたように思う。
その後も学校のテストで100点が取れないと、学校で泣き出してしまったりと、周りから見るとなんだコイツ的な行動をとっていた。
それをみた友達のAちゃんが、びっくりして自分の母親に「〇〇ちゃん(私が)100点じゃないとお母さんに怒られる~って泣いてたよ!」と報告したらしい。
Aちゃんの母親もびっくりしたのか、それを私の母親に伝えたそうだ。
そのときの母親の反応は…嬉しそうだった。その嬉しそうな顔を今でも覚えている。
普通は、自分の子どもにそんな精神的な負担をかけていたのかと自分の行動を反省すると思うが、同級生の親にテストの点数でマウントをとれたということで、得意だったんだと思う。

(2)中学生のことのエピソード
小学校受験をさせられたこともあり、教育に力を入れている学校だった。
そのため、学校では、頻繁にテストが行われていた。中学校なのに毎回テストには順位がつけられる。詳細は忘れたが、テストの中でも特に重要っぽい実力テストというものが行われる1週間ほど前。
私は学校で風邪がうつったのか、熱を出してしまった。
母親は怒った。「大事な時に何やってるの!!自己管理ができていない」
普通に考えて、普段真面目に勉強しているし、1回のテストの成績が悪くてもそこまで問題はないだろう。しかし、母親は「良い成績」をとる結果のほうをあまりにも重視しており、私が体調が悪く苦しんでいることはどうでもいいようだった。
子どもを自分の願望をかなえるための道具としか見ていなかったような気がする。

(3)転職して1回目の休職の時
私は7年ほど勤めた大企業をやめ、転職したタイミングで上司のパワハラにあい、1年もたたないうちにメンタルをやみ、休職となってしまった。
そのタイミングで1週間ほど実家に帰ったのだが、元気そうに見えたらしく、「元気になったんだから、早く働かないと!」と言われた。
また、「今の会社を辞めるともっと状況は悪くなる、残業代が出ない会社もあるんだから、残業代が出るだけありがたいと思え」などと言ってきた。
つらい状況でも共感してもらえない…。弱っていた私にこの母親の態度は結構きつかった…。
ここからは推測なのだが、そこそこの会社で娘が働いているということは母親のプライドをある程度満足させていたに違いない。しかし、退職して無職になられたら、親戚や近所の人になんて思われるか…今の会社にしがみついてもらわなきゃ、私が困る!そう思っていたのではないだろうか。


②ASDの傾向がある

ASDとは発達障害の一種である。
自分のこだわりが強く、コミュニケーションが少々難しいという特徴がある。母親は、ややこの傾向があるのではないかと思う。
毎日、決まった時間(夕方。ちょうど小学校の帰宅時間のタイミングでなぜか買い物に行ってしまう)に、自分のお気に入りのスーパーに往復1時間かけて車で通い、1時間かけて買い物、さらに1時間かけて料理をしており、小学校低学年の頃から帰宅しても母親がいないため、かぎっ子の生活を送っていた。
最近、母親が専業主婦なのになぜ家にいなかったのか不思議に思ったが、「子どもが帰ってくるから買い物を日中に済ませておこう」と柔軟に思えず、自分の生活のリズムを貫くところからもASDなのではないか?と考えられる。

③親も毒親に育てられた

だいたい、いろいろな毒親の体験談を読んで思うのだが、毒親の親は大体毒親で「世代間連鎖」をしている。
私の母親の母親(私の祖母)は教師をしており、仕事が好きで定年まで勤め上げた。明るく生き生きして優しく、祖母のことは好きだったが、母親は祖母が亡くなる1週間くらい前まで、「仕事しかしていない。私は子供のころからほおっておかれた。だからは私は子供と一緒にいるために専業主婦になった」と愚痴を言っていた。
祖母が毒親だったかは断言できないが、あまり親子の愛着がはぐぐまれていなかったんだろうなと想像できる。そのためか、母は表面上愛想はいいものの、人付き合いが苦手で友達がほとんどいない。そのため、母も子どもにうまく愛情をもって接することができず、子ども(私)のありのままを愛せないため、子どものもたらす「結果」ばかりに着目してしまうようになったのかなと思う。

まとめ

ここまでつらつらと書いてきたが、「世間体を過剰に重要視してしまう」「発達障害の傾向がある(私はADHDの傾向)」「毒親に育てられた」というところは、すべて私と母親で共通している。そのため、私も気を抜くと毒親になりかねないということだ。これは考えると大変恐ろしい。まだ、子どもは2歳児だが、これから何が起こるかわからない。そのときに子どもの気持ちに寄り添い、子どもを助けられる親になりたい。
そのためには、私が変わらないといけない。
発達の特性や毒親に育てられたという事実は変えられないが、「世間体を過剰に重視してしまう」という部分は努力で変えられるのではないだろうか。言い換えれば「周りからいい親、立派な親」だと認められたいという欲を手放すこということだ。これは意外と難しい。そもそも、これまで頑張ってきたのが、「人に愛されたい。人に認められたい。すごい人だと思われたい。いい人だと思われたい」という他人軸の動機だったからだ。現在私は、メンタル不調で休職中だが、その原因も上記によるものだと思う。
まだ、手探り中ではあるが、以下の①②を意識している。

①他人の評価など関係なく、自分が楽しいと思って没頭できることをする(文章を書く、ものつくりをする、好きな場所に出かける)
これまでの休職中は、焦って英語の勉強をしたり、資格の勉強をしたりしてしまっていたが、好きでもないのに、自分の世間での価値を上げるための行動はしない。

②子どもと遊んで心から楽しいと思える時間を増やす
子どもと接しているときに、気づくと過去の嫌なことや、未来の不安などに意識を向けてしまうことが多い。意識が飛んでしまって、今目の前にいる子どもを見られていない。また、周りから自分の親としてのふるまいを監視されているような気がしてしまい、周りの目ばかり気になって子どもといるのを楽しめていない。
子どもと遊んで心から楽しいと思い、過去や周りの目を忘れ、子どもと心触れ合う時間を増やしたい。
(一緒に楽しめること:おしゃべり、絵本、お絵描き、お散歩、水族館、博物館)

毒親育ちのは子育ては相当ハードモードだと思う。
でも、自分が毒親にならないために、子どもに幸せに成長してもらうために、一緒に頑張っていきましょう。


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