子供も1人の人間であるという考え方

あまり自分のことを赤裸々にインターネットに晒していくというのは健全なことではないが、お医者さんや記事などで集めた情報を自分に当てはめて書いてみようと思う。

この記事は素人の偏見と体験談だけで構成されているので何一つ正しくありませんが、家族に対する1つの考え方として役に立てば幸いです。

母と子は別人である

この事実を知るまでに十数年かかってしまった。SNSやまとめサイトなどでいくらでも自身の境遇に似た人間を探せる昨今でも、「毒親」「脱出」というパワーワードよりさらに深い事情を検索することはなかなか難しいのかもしれない。

私の母は感情の起伏が激しく、人との付き合い方に対して無知で馬鹿な更年期の女性だ。共に暮らし、長所もあるが短所が目立つのは良い影響をもたらさない。不機嫌になると大きなため息をつき、口をきかなくなる程度で残酷な虐待は無い。(この親のみを見て毒親について知ったかぶりした記事です。本当に申し訳ありません)

毒親と呼ばれる人々の一部は「子供が自分の思い通りになる」という思考のもと行動する。そして「子供に意思がある」と思わず、期待にそぐわない態度で返された親が結果的に虐待やネグレクトに走る。これが母と子は別人であるという考え方の重要性である。あくまでインターネットでドロドロしたエッセイやツイートを読む限り、そんな気がしている。

 子と親の依存関係はある程度仕方のないことであり、障害のない家庭で育った子供に「家族とはいえ他人だから母親と話すな」と言うのは明らかにおかしい。だが私の場合はかなり依存が進んでおり、「不機嫌な母に」「無視される」という思い出は私が母を求める理由として充分に成立していた。"フキハラ"という言葉が浸透はしていないにしろ、世に放たれたことに安心する。

しかしよく考えればこの話も充分におかしい。母の機嫌が悪いならただ「機嫌が悪いなあ」と思っていればいいはずだ。わざわざ自分以外の感情に共鳴する理由は無い。それでも子供は「親が不機嫌だと嫌な事をされる」と学習し、親も不機嫌でいると子が気を使ってくれる状況に甘える。子が親を世話する親と子の役割が逆転しているとも言えるこの状況で育った子供は一見慈しみ深く優しく見えるが、それはただ優しくしないと嫌われる事を恐れた上での自己防衛だ。自分が大人に甘えるという選択肢は消えてしまう。

ただ家族というだけの、血が繋がっているだけのちっぽけな共通点で共に暮らしているだけの他人に感情をコントロールされる必要はどこにも無いのだ。家族は理解し助け合える素晴らしい存在だ!という話は紙の中の非現実でしかない。人と人は絶対に1つになれない。それを心の底で理解しきれず、今日も母の足音に怯える。

毒親の連鎖

毒親と呼ばれる人々からの被害がこれだけであれば、すぐ縁を切って親と別の世界で良い他人と幸せになれる子もいる。しかし、毒親は子にその毒が伝染してしまう

多くの幼子は親がどうやって話すか、動くか、学習して育つ。よく「男はお母さんみたいな女の子が好き」(おかしな話だが「お世話してもらいたい」とも捉えられる)という俗説がある。物凄く極端な話、固定概念の世界では女性=ママであり、男性=パパなのだ。

「男はお母さんみたいな女の子が好き」という言葉は言い換えると「女の子に母を投影している」ということになる。母への優しくして!褒めて!という欲求を姉妹・友人・恋人などにそのまま投げつけてしまう人がいる。これも前述した通り、ある程度は仕方ないし多少は誰にだってある。よくフィクションのキャラクターに母性を見出し崇拝する文化がインターネットには存在するが、それも"多少"の粋に収まる行動だろう。(過半数はネタのため)

しかし親への執着が強い子、多くの場合毒親育ちの子供は親から貰うはずだったこと、してほしかったことを赤の他人に求めることがある。母性や優しさといったタイプ(嗜好)の話に留まらず《自分を100%理解してくれるただ1人の存在》以外を容認しなくなる最悪のパターンもありうる。理解し合えなかった家族の姿をまた他人に求める。それは自分の役割が親になっても続き、子の行動が自分の求めた家族像に重ならなければ1人で苦しみ傷つくことになる。それを発散できなかった結果、今度は自分が不機嫌になることで我が子をコントロールしようとしたり子が自分を見捨てる事を過剰に恐れるなど、その子供も健全に育つとは言い難い。

いくら親の行動を否定しても親の記憶を消すことはできない。通院などで普通の人間に成れたと思っても記憶には不完全だった家族の姿がある。自分にはああいう親がいて、こう育ったという事実をしっかりと飲み込んで友達に、恋人に、新しい家族に親とは別のアプローチで近づいて行くことが出来る人は強い。家族を持たないという選択肢に辿り着くのもまた強さだ。その強さを手に入れるにはどうすればいいのか。


子の自立

誰かにずっと助けられなくても生きていける状況を自立と言う。親はああ思っていても友人はまた違う意見を持っている。どちらを選んでもいいし、どちらを放棄してもいい。選ぶという考えに囚われず自分が考えた方法を実践できれば更に自立は進む。

今の状況から抜け出し1人で生きていけるようになるには一人暮らしをして新しい人間関係を構築していく方法が最も普遍的だが、未成年やお金が足りない時は不可能である。

その次によく聞くのが話し合いだ。自分はこれができます、よって貴方が世話を焼く必要はありません、私もありません、ということを親に伝える。これは不可能に近い。伝えても理解してくれないから耐えている家庭が多いためだ。この方法に重要なのは第三者の介入であり、ドロドロに溶けてくっついた親子の間に仕切りを入れる。教師や医師が毒親に対して貴方のお子さんは自立できるはずなので、世話を焼かないでくださいと突き放す。家庭という閉鎖的空間にちゃんとした人間を放り込むというのは現状打破として効果的である。(口を出された結果激高する親もいるため現状打破がいい方向に転ぶとは限らない。破るだけ)

もちろん病院に行くことで自分を変えることはできる。被害がひどければ警察や189に連絡ができる。代表的な行動がこの4つというだけで人脈や運に頼れば星の数ほどの解決策が見つかる。

これらの道を全て塞がれてしまったら何をすべきかまだ私はわからないが、まだ助かる逃げ道が見つかる場合大事なのは心の持ち方なのだろう。ただの他人に左右されなくても自分の機嫌を自分でとれるようになる、つまり自分がなぜこんな気持ちなのか?という原因を探り、解決が可能ならばする、というサイクルを繰り返すと多少気分が落ち着く。不可能ならば他人にヘルプを出す。このヘルプは手を貸して達成しなければならないということは無く、嫌なので逃げますという意思表示をしても良い。

親子は元々一つだった。それ以上でも以下でもない。自分とその他大勢が親子神話から解放されることを願う。

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