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初めての就活|留学〜卒業までの半年
帰国した6月末には、世間一般でいわれる就活から大きく出遅れていました。しかも、1年間不在中の専門課程単位を卒業までに取得できないと留年になるので忙しい日々が始まりました。
就活ではある教授から松下電器を就職後2〜3年後に南米赴任承諾が条件で紹介を受けていましたが、日本の大学生活を3年間で卒業する事に中途半端な気がして大学院に進む事を考え始めました。
当時国際法を教えられていた大内教授は、西南学院大学の英専卒業後に中央大学法学部に再入学され、そこからエール大学の大学院を経て、国連勤務を母校の教授として帰国されるまでされていた方でした。
苦学の末、長く米国生活もされておられたので色々とアドバイスも頂けると期待し、相談に伺ったのが新しい運命の歯車が回り始めたキッカケになったと今では思います。
転学含めての大学院進学を相談すると、開口一番に
「尾中くん、学費や生活費はどうする?親のスネはかじれるほど太いのかね?」
「いいえ、スネは細く親に甘えるわけにはいきません。スカラーシップなど探さないといけないと考えています。」
「勉強、研究は好きなのかね?」
「机にかじりついての勉学、研究は正直言って好きではないです。」と正直に答えると、
「アメリカに行ったのでわかるだろうけど、大学からストレートに大学院に行く必要は必ずしもないでしょう。社会に出て働いてやはりもっと勉強したいとわかってから大学院にチャレンジしても良いのでは?」
「仰るとおりですね。目的が不明確で何となくというか半端な気持ちではダメだと思います。ただ外交官試験は目指してみたいとは考えています。」
「留学中にRadio Shackと言う家電、パーツ小売店を見かけた事はありましたか?実はその商品買付部門が東京にあるけど、興味はありますか?」
「面白そうですね。興味はあります。」
と返事するや否や大内教授は直ぐに電話され、二言三言話されたと思いきやそのまま受話器を私に差し出されました。
「君?旅費は出すから来週水曜日面接に来れるかね?」
「はい、大丈夫です。」
「そうかね、では来週水曜日に来て下さい。」
ツーーー
えっ?
「どうだった?」
「来週水曜日に面接に来るようにと言われました。」
せっかく上京するならこれからはコンピュータ時代と思い、フェアチャイルド社のアポも取っての上京でした。
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