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【エッセイ】5月の暑い日に蕎麦屋へ行った話

緊急事態宣言がまだ解除されていなかった先週の日曜日。
もはや家にいることが当たり前になってきており、休日に電車に乗って外へどこかへ行こうという気持ちは一切起きないものの、やはり天気がいいからと外へ行く気持ちを抑えきれずにとりあえず散歩へ出かけることにした。

とりあえず荒川の河川敷を歩こうと家を出てみたものの、この日はめちゃくちゃに暑いせいで家を出てから3歩でもう帰りたい気持ちにかられる。
この時時刻は11時20分。
思えば朝食を食べていなかった私は、隣にいる彼女に「腹減った。蕎麦食いに行かない?」と、かくも我がままに行先を変えてしまった。

さっそくスマホで近くの蕎麦屋を調べてみると、すぐさまGoogle先生が駅近くの「富士そば」を教えてくれた。

違う、そうじゃない。
今の私が求めている蕎麦屋はけっして「富士そば」なんかじゃない。
どこの駅にもあるようなそんなチェーンの蕎麦屋を求めているわけではないのだ。
私が求めている蕎麦屋というのは、スチャダラパーの『サマージャム95』の感じで、ザルかせいろな気分でそれが正論なやつだ。
断じて「富士そば」は正論ではない。
「"富士そば"は嫌だ」「"富士そば"は嫌だ」と願っていたとき、駅向こうに古びた蕎麦屋があったのを思い出した。

思い出した頃にはなんとなく駅の近くまで歩いてきていたので、足取りそのままに目当ての蕎麦屋へ向かった。
ぼんやりとした記憶を辿りながら駅から徒歩5分ほど歩いたところに、果たしてその蕎麦屋はあった。
古びた外観に歴史を感じる。
ガラガラと扉を開けると、声量がぶっ壊れている店主が「いらっしゃいませ」と半ば叫ぶ様に出迎えてくれた。
「お好きな席どうぞ!」とこれもまた心臓に悪い大きさで叫ぶ。
店内にはカップルが1組。
それ以外は誰もいなかった。
がらんと開いた店内には座敷の席もあったが、そこはあえて座らず、窓際の席に座った。

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間髪入れずに出てくるお水を飲みながら、テーブルにあるメニューと、壁につけられているメニューを交互に見る。
少し逡巡したあと、私は『天ザル』を、彼女は『山菜蕎麦』を注文した。

店内を見渡しながら「やっぱり鴨せいろにすればよかった」と思いながらまっていると、「おまちどうさまでした」と注文した『天ザル』と『山菜蕎麦』が運ばれてきた。
もちろん声量はぶっ壊れている。

「大は小を兼ねる」が基本スタンスな私なので、もちろん蕎麦の量は大盛りにした。
蕎麦好きはひと口目をつゆにつけずに蕎麦の味を楽しむと言うが、私はそんな煩わしいことはしないので、たっぷりつゆにつけてすする。
味はと言えば「普通」である。
可もなく不可もなく、である。
いや、もしかすると「富士そば」の方が美味しいまである。
いい意味でも悪い意味でも昔な感じがする味で、天ぷらがべちょべちょだったのだ。
「まぁこんなもんだよな」と思いながら途中彼女の『山菜蕎麦』をつまんだりしていると、大柄な男性が一人扉を開けた。

相も変らず大きな声で「いらっしゃいませ」と叫ぶ店主にたじろぎもせず、我々のうしろのテーブルへスムーズに腰掛けると、メニューを見ることなく「とりあえずビールとカツ煮で」と注文した。
着席から注文までその間わずか3秒。
「いいなぁ、私もこういう店でこういう注文したい」と思いながら、iPadを眺めている彼をぼんやり眺めた。

彼にビールが運ばれてきたタイミングでお会計をして、店をでた。
「ビールとカツ煮」の後に彼は一体何を食べるのだろう。
彼が締めに食べるものへ思いを馳せながら、家路についた。

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