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千利休が令和に生きていたら・・

信長と秀吉の茶頭に重用され、茶人としての地位を高めた利休。
秀吉は茶の湯を政治的に利用しており、茶会もよく開催していた様です。

1587年10月1日に京都北野天満宮の大茶会が開催されました。この大茶会を取り仕切ったのは千利休。身分に関わらず、すべての茶人に参加を呼びかけ、当日は茶屋が1500席並んだ程の大茶会🍵🍵🍵

この大茶会では、黄金の茶室が展示されていました。黄金の茶室は、天井、壁、障子の骨、茶道具全て黄金で作られたものです。茶の湯の文化を広めるとともに、秀吉の力を見せつける機会であった様です。

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おしゃれで見た目にも美しく華やかな令和の抹茶スイーツ

千利休の侘び茶の精神とは、精神的な充足を求めるもの、特に簡素で静寂な境地を重視たもの。

侘び茶の精神とは少し離れた、華やかではあるが、丁寧で繊細さもある令和の抹茶スイーツを、利休はどんな評価をするのだろうという思いで、描いたイラストです。


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