真珠の耳飾りの少女 【二人の関係は】
知識を入れても右から左、海馬がイカれてるわたしでも「これくらいは知ってるよ」という名画、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。その作品にまつわるストーリーの完全妄想再現映画です。
話のポイントはこれです
「フェルメールとグリートは、二人でアトリエにこもって何をやっとるのか」
感性のある彼女は、顔料の調合まで任されもはや助手なのですが、絵の具混ぜるのに丸一日とか時間かからないでしょ〜!残った時間フェルメールの女になってんじゃないの?って想像は誰でもすると思います。妻もパトロンのライフェンもその前提で二人を見ており、嫉妬はするわ、荒ぶるわで当家は邪念が渦巻いております。
しかし映画内、フェルメールとグリートが肉体関係を持つシーンはないのです。だから彼らは愛人関係とは言えないのです!ただ、まったく気持ちがなかったわけではない、という微妙なところを描いております。フェルメールの熱い視線、今にも触れ合いそうな手、といった描写もたくさんあります。
直接的なシーンはないものの、どことなくエロティックでございます。当の絵画を見ればわかる通り、絵の中の少女の唇は濡れていて光っているのですが、映画内でも「唇なめて」とフェルメールがリクエスト。それがしつこい!なめてなめてと絵描く前に何回なめさすねん!て、今日も謎の関西弁でツッコミましたんでございます。
二人の絡みで最も性的なシーンといえば、グリートが耳に穴を開けるシーン。真珠の耳飾り(しかもフェルメールの妻の物!)をつけるためです。もちろんですが、穴あけ役はフェルメールです。これは暗に処女喪失を意味していると思う。
昔ですから、ピアッサーなんてございません。
わたしも、昔ホッチキスみたいな音させて「ガチャン」って大学生の時開けましたが。そんな便利グッズはありませんので、尖ったピックを蝋燭の炎で炙って、耳たぶに突き刺します。痛そうでした。グリートの目から涙が出て、それをそっとフェルメールが指で拭いますが…
これフェルメールの願望を象徴的に描いたシーンではないかしら?
さて、ここでいま一度、作品を見てみましょう。
この絵を見ていると、描き手と対象の間にやはりどことなく距離が感じられます。恋人とか愛人というよりも、もう少し離れた関係です。きちっと服を着て、ターバンを巻いて頭を隠しています。身体は向こうを向いて、振り返る形。相手に心を開いてはいないのではないかしら?
フェルメールが立場を守った、ということではないでしょうか。妻子を持つ身であり、そして相手はまだまだ少女であります。一線を越えたい衝動を理性で押さえつけたのでは。一方、大仕事(耳に穴あけ)を終えたグリートは走って肉屋のピーターのとこに行きます。「本当はずっとこうしたかったの!」といった衝動に見えます。多分この夜、ピーターの元で本当の意味で処女喪失したように見えたがいかに?
愛か恋か欲望か。わからないけど、フェルメールの方には気持ちがあった。一方グリートにとってフェルメールは、芸術家として尊敬や憧れの対象だったかもしれないけど、それ以上のものはなかったのでは。
見る人によって、捉え方が大きく変わってくる映画だと思います。しかもこの話は絵画とはなんの関係もなく、ただの妄想ストーリーなのだ!しかしよく出来ていると思います。
どちらにしろ、フェルメールが下心丸出しの、パトロンのライフェンのような人間でなかったことだけは確か。かっこいいぞ!フェルメール!
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