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「進撃の巨人」の郷に残る、装飾古墳を探検してきた!

こんにちは、タカトラです。

本日、2月18日は2月なのに、だいぶ気温があがりましたね。日田は20°前半まで上がったようです。

ここまで、日々の気温差が激しく変動すると自律神経が狂ってしまいそうですね。

体調管理に気を付けたいところです。

さて、今日は日田市石井町の「ガランドヤ古墳」に行って来ましたので、レポートを書いて行こうと思います。

「ガランドヤ古墳」とは、日田市石井町に残る装飾古墳であり、6世紀後半頃に築造されたとされています。

また、被葬者は地方の豪族だろう推測されています。
案内のオジサンのお話によると、当時の日田を統治していたとされる豪族、日下部氏ではないかとの事でした。

「ガランドヤ」の名前の由来は、盛土が流失した1号墳の露出・開口した石室の空間を「がらんどう(がらんとした洞)」と呼んでいたことからとされているそうです。

そう、この古墳は盛土が流出しているため古墳の骨組みがみれます。

それがこの写真です。

しっかりと石組まれて強固な造りになっています。

それにしても、重機などもなかった古代の人はこの石組み上げるのにどれだけの労力と時間がかかったのでしょうか?

さぞかし、この時代の古墳作りは大事業だったという事が想像出来ますね。今で言ったら、橋やダム、道路、トンネルなどのインフラを作るような事業になるのでしょうか。


古墳の中にも入る事ができて、装飾壁画を見ることが出来ます。
写真では分かりにくいですが、人物、動物、船、飛鳥、円分などが描かれているそうです。

壁画の意味は「黄泉の国」をイメージしているとも言われていますが、他にも色々な意味があるかもしれません。自分なりに想像してみるのも良いと思います。私は後世に残すための何かしらメッセージが込められているのではないかと思います。

装飾壁画を残す古墳は筑後川流域に多く、点在しているとの事、日田に筑後川流域の文化が入って来ていた事が伺えますね。

面白い事に、日田市の東側には前方後円墳が多く残されているそうです。(「ガランドヤ古墳」は、日田市の西側に位置しています。)

前方後円墳はどちらかというと畿内の文化だそうで、日田は西側勢力と東側勢力が拮抗していた事が伺えます。もしくは文化の合流地点だったのかもしれません。

この頃から、江戸時代に九州の政治経済中心になる要素があったのでしょうか。

古代の日田の情報は謎に包まれていますが、こういったフィールドワークから着想を得て洞察して行くことが必要になってくるのではないかと思います。

これからも、フィールドワークを積極的に行って、日田の謎を洞察して行こうと思います。

それでは、また、チャオ




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