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気持ちに鈍感で幸せなら、人の心を気にできる不幸でも良い。

私はこれまでの人生で、基本的に人間は性善説であると思っていました。(人は生まれた時は善人)。
でも、歳を重ねるごとにそうじゃない人もいるというのに気付いていきます。

それでも、私は人を信じたいし、生徒を信じたい。
私は運もあってか、これまで生徒との間で根っからの悪には出会って来ませんでした。
でも、対大人ではぶつかりがありました。
どちらを優先するかという問いには、迷わず生徒を選んでしまいます。
そのため、一部教師にはものすごく嫌われてしまうようです。

基本的に教師は生徒のために良いように動こうとするものですが、中には自分の私利私欲で判断をされる先生がいます。
基本的に人を信じすぎてしまう私は、すごく傷付きます。
どうしてそんな考えや行動をするのだろう。

わかろうと思っても、これはわからないんですね。
ドイツ語でどんな良い言葉を言われても、私にはわかりません。つまりその逆ももちろんあるということです。

私はある人に『笑ってごめんなさいって頭を下げなさい』と教えられました。
すごく難しいことです。
でもあとで舌を出してベーってしてようが、負けるが勝ち。
そんなふうに物事を考えられるようになって来ました。

子ども達は国の、世界の財産です。
本当に可愛くて仕方がない。
その子達を守るためならなんでもすると意気込んでいたら、風当たりが強く、精神をやられてしまい休職するまでに至ってしまいました。

復職ができた今、生徒たちと関わらないようにと管理職に釘を刺されました。子ども達が私の言うことしか聞かなくなると困る、と言う内容でした。
そんな能力があるのなら私は宗教でも開きます。
私はなんのためにここにいるんだろう。
納得できないこともありますが、子ども達の笑顔が全てを洗い流してくれます。

病み上がりで本調子とは程遠いですが、少しでも生徒と関われることの喜びを、改めて噛みしめています。

生徒に関わるなと言われてしまった現状で、どういったアプローチをしたら良いか、本当に模索中です。
4月から学校が始まり、休みが増えている子達がいます。
私が担任なら迷わず話を聞きに行くのですが、越権行為で周りの目が厳しくなってしまいます。
このnoteはリニューアルをし、一からやり直していますが、本当はどうしたの?と当たり前のように話しかけたい。
それを制限されていることが本当に悔しいです。

でも、その中でもできることをしようと前向きに捉えています。
しばらく休んでいたため、毎日へとへとですが、それでも生徒と何気ない会話にどれほど癒されているでしょう。

本当は教師一人一人が理解をし合い、子ども達のためにチームとなって動けたなら良いなと思います。
でも現状はそうじゃない。
一人一人の想いが違うからです。

だからと言って野放しにはできないものです。

自分にできることを一つずつしていく。
それだけなんですね。
私は子ども達と話すことが大好きです。でも監視されているからなかなか行けない。
なんとかならないかぁと模索中です。
それは私のためでもあるからです。
何かあれば話を聞いていきたい、休んでるならどうしたのと声をかけたい。
それを制限されている今、私は教師を続けるべきなのか、ターニングポイントだと思います。

とは言え、復職し、毎日仕事に行く。
この当たり前が当たり前じゃなかったという事実を大切にしていきたいです。

人の心がわかってしまうと言うのはセンスでもあり、傷つきやすく脆いという弱点があります。
それでも、傷ついてでも人の心がわかる、そんな人になりたいと思います。
それが私の原動力でもあり、生徒が卒業してからも繋がりを持ってくれる理由なんだと思います。

皆さんは卒業した後、先生とご飯に行きたかったですか?
私は年に数回レベルじゃなくご飯に誘われます。
私とのたわいもない会話を楽しんで、思い出を大切にしてくれているように感じます。
給料面と労働量が割に合うかはわかりません。
でも、卒業してからでも会いたいと思ってくれる人がいる。
これは何事にも変えられない宝物です。

何をしたわけでもない、ただただ人の何倍も生徒達と会話をし続けた結果です。
そんな背中が子供達の自慢となれるように努めて来ました。
生徒が活躍してそれを自慢する教師ではなく、この人に教わったことを誇りに思える、そんな人でありたいと思います。

人の心を深読みすると本当に傷つく場面が多いです。
それでも人に優しくありたい。
強くなれじゃなく、強くあれ。
そうやって毎日を乗り越えていきたいです。

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