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教師が見るゴールの設定の差違。

私は高校の教諭です。
教育活動をしていると、学校の方針に時々摩擦が生まれてしまいます。

例えば「あいさつをさせよう」というゴールが決まっていたらベクトルを合わせてその目標に向けて行動をしていきます。
でもその手法は人によって異なります。
最初からできることを強いるべきだ。
卒業までに出来ていれば良いのではないか。
マクロ,ミクロで考えが変わって来ます。

私はこのテーマならブレることなく卒業をするときに挨拶ができればいいと思っているタイプです。
だから初めはどんどんこちらから声をかけます。

『こんちくわー』『おっす!』
#挨拶がポンコツ

無視されても毎日繰り返します。
するとそのうち「ちわっす」とか「どーも」とか返ってくるようになるんですね。

じゃあ次のステップ!
「どうしたん?最近元気ないやん?」
「いつも〇〇とおるのになんかあったん?」

ここまでで信頼できると判断されたなら子ども達は話をし始めます。
「学校がしんどくて帰りたいです。」
『いや、俺の方がしんどい!よし一緒に帰ろっか。』

こんなふうに返すと「いいんですか?」って反応が大半。
『あかんの?だってしんどいんやろ?俺も疲れたわ。じゃあ1日くらいええやん、頑張って毎日来とるんやから。帰ろ帰ろ、なんなら退学願持ってくるわ!』

こんないい加減な対応も生徒達は意外な答えが返ってくることに戸惑い、帰りたいということを忘れます。
『ところでなんで帰りたいの?』やがて「実は…」と話し出すことがあります。

私は毎日種を蒔いているだけ。
その芽が育つのか育たないかは時の運。
でもあいさつをするということ一つとっても、こんなやり方をする人は教員に多くありません。
【なぜあいさつをしない!】と頭ごなしにしつける人もいます。
その人にとっては、今あいさつができることが大切だからでしょう。
批判ではないのですが、それって本当にあいさつをしているのでしょうか。させられているだけではないでしょうか。人って本当に関わりたいと思う人には挨拶をするものです。でもしたくない人もいる。それでも頭を下げることの意味は、関係が築けた後から教えてあげたらいいと思うんです。

教育には根気が必要です。
挨拶をしたいと思う人物に自分がなればいい。
この人に挨拶したら面白いことが返ってくる、挨拶だけじゃなくて何かプラスαの話をしてくれる、どんなことでもいいのですが、シンプルに言えば子どもに興味を持たれる行動をすれば、生徒達は自主的に挨拶をしてくれます。

そうしたなら、挨拶って大切だよね、だって挨拶からこうやって話ができるまで繋がったやん?
本当に子ども達に落とし込みたい教育はここからがスタートです。

教育者の皆さん、改めて聞きます。
ゴールはどこにありますか?
そのゴールは適切ですか?そのゴールへ向かう道は間違えてませんか?

教育は我慢です。
根気よく未来を見て、その未来のための手法を間違えないでください。
手法が目的になってしまっていることが多々あります。
100回おはようを言えばきっと100回目にはおはようございますをもらえますよ?
挨拶の大切さを我々教員がもう一度考えてみてはいかがでしょうか?

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