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父と母の50年前の交換ノートをつまみに飲む

「おもしろいもの見つけたんだけど、見る?」

先日、実家でビールを飲んでいると、父がそう提案してきた。そのくせ「でもどうしよっかな…やめようかな…」とモジモジし始める。

何なの、気になるから見せてよとお願いすると、父はひとしきり葛藤したのちに、数冊の古そうなノートを持ってきた。近所に住むわたしはしょっちゅう実家に帰るが、そんなノートを見るのは初めてだ。

「まだまだあるけど、これが最初の1冊」

手渡されたのは、父と母が高校生のときに交わしていた交換ノートだった。

「うそ!」

そんな青春行為をしていたことすら知らなかったわたしは、目を輝かせてノートを読む。

「なに、『交換日記が始まることをここに宣言します』って(笑)」

「声に出して読むな!」

父と母の名誉のため、これ以上の内容は控えるが、1ページ目だけ撮影&掲載許可を得た。それがヘッダーにも使ったこの写真。

2つ並んだ拇印のところに小さく『君も押せ』と書いてあるのがウケる

両親は、高校時代から10年付き合って結婚した。もともと高校1年生の頃、母には自然消滅しかけの他校の彼氏がいて(なんておませさんだ)、必死で父がアプローチしたと聞く。

余談だが、わたしは中学時代に「身近な大人にインタビューして作文を書こう」という宿題が出て、面倒だったので両親を取材して馴れ初めから結婚までのエピソードを作文にした。

母に結婚の決め手を問うと、「出世しそうだったから」と正直すぎる答えが返ってきたことをよく覚えている。

この作文に大ウケした先生が、あろうことか学年全員にコピーを配布したので、我が両親の甘酸っぱい恋愛模様や現実的な結婚事情は200人に知れ渡るところとなった。なお、この事実はもちろん両親には言っていない。

話を戻すと、渡された交換ノートは二人が付き合いたての頃、父の誘いでスタートしたものだった。当時は友達の冷やかしが照れ臭くてクラスで会話すらできなかったものの、早朝や放課後、こっそりと机にノートを入れ合ったそうだ。

ノートを読むと、小説や映画の感想、思春期らしい日頃の悩みからオリジナルポエムまで、父はあらゆることをびっしりと書き込んでいる。対して母は、授業や部活のことなどあっさりとした日記で返している。文章の量で、当時の2人の関係性が見て取れるようだ。

わたしは父と一緒に、爆笑しながらその交換ノートを読みふけった。失礼だが、これほどおもしろい酒のつまみはない。ビールはいつもうまいが、こうなるといつも以上にうまい。

父もすごく楽しそうだ。オリジナルポエムのページになると、即座にページをめくろうと暴れていたが。

そんなときにふと、先日noteに初めて投稿した記事のことを思い出した。

記事の最後に、このnoteは「誰に向けて書くでもない」と書いた。だが、両親の交換ノートのことがあって、その考えを改めることにする。

わたしは、イマジナリー娘 or 息子に宛てて書こう。

ドン引きしないでほしい。

確かにわたしは、これまで一度も子どもを産んだことがなく、なんなら結婚もしたことがない。残念なことにその予定もない。

(現在の恋人と「いつか結婚しようね」とは話しているものの、その約束はときに簡単に破られることを30歳のわたしは知っている。未来は分からない)

それでもわたしはこのnoteを、未来の我が子に宛てるつもりで書きたい。両親の交換ノートを読み、娘として当時の親の心に触れるという最高のつまみを知ってしまったからだ。

いつの日か、「お母さんは30歳の頃、こんなふうに考えてたんだね」と、我が子と一緒にお酒を飲みたい。このささやかな夢を実現するためには、たとえ結婚の予定がなくとも、準備しておくに越したことはないだろう。

生き恥をさらすような日記を書き連ねる中で、まだ見ぬ我が子が将来、クスッと笑ってくれたら本望だ(その頃にもこのnoteのサービスがあることを切に願う。未来は分からないが)。

加えて、こと今回の日記に関しては、内心もう一人に向けても書いている。いつの日かこのnoteの存在を教えようかと思っている、恋人に向けて。

わたくし、あなたとの結婚、さらには子どもとの未来までイメージできてますよ。いえいえ、プレッシャーなんて全然かけてませんよ、はい。

ベトナム語の勉強資金、もしくは至高のビールに出会う旅に、有効活用させていただきます。