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【短編小説】度胸のある人

 ニュース速報を見ながら、ぼんやりと思い出す。
 高校時代、私の友人にYという女がいた。彼女はよく言えば厳しい性格、悪く言えば適切な言葉を適切な場所と時間で使えない人だった。彼女は自分自身にとても厳しかったのだが、同時に他人に対しても同じように接していた。彼女は彼女にできることは全ての人間にも同じように適用されるものだと思い込んでいるタイプの人間だった。彼女の的確なアドバイスは確かに一部の人間にとっては発破となったのかもしれない。実際そういう奴もいて、勉学なり部活なりで結果を出すなどしていた。だが全ての人間がソイツのように強いわけではなくて、私の大好きなN子もその一例だった。
 N子はとにかく数学が出来なかった。出来ないと分かっている教科に対してやる気が出ないというのは仕方のない話でもある。三角関数ってむずかしいね、と笑う彼女は奨学金を借りたくないという理由で地元の大学を目指していた。当然数学は必須。だからN子はなんやかんや言いながら数学を一生懸命頑張っていた。
 そんなときにYの悪い癖が出た。期末試験でやはり「数学が少し足を引っ張っている」と言われたN子に、Yは「やり方を変えたら?」と言った。
「他の科目の時間を減らして、数学を重点的にやるの」
「でも、私は英語(N子は英語が得意だった)をやってから、数学をやるって決めているから……」
「結果が出ていないのに? そのままのやり方でいいわけないよね」
 私は「やめなよ」とYに言った。しかしアイツは聞かなかった。
「そうやってずっと自分の失敗を正当化できる意味が分からない。本番も失敗するよ」
 N子は数学が出来ないことをコンプレックスにしていた。Yはそれを知っ――いや、仮に知っていたとしてもYはあの言葉を投げつけていたことだろう。
「私のことは嫌いになっても構わないけど、いつまでも逃げるの辞めた方がいいよ」
 N子は引きつった顔で「そうだよね、ありがとう」と言って、走り去ってしまった。
 自信満々のYに私は言ってやった。
「いつか友達なくすぞ」
「えー? 私は正しいこと言ってるだけだし、現に友達はちゃんと居るよ?」
 そうだとしても、と私はため息をついた。Yの周囲にはYの暴言を耐えることができる人種しか集まっていないのだろう。私は低い声でYに告げた。
 真剣だった。
「あんた、それ直さないといつか後ろから刺されるよ」
 するとYはこう言った。
「あのくらいの言葉で潰れる程度の奴に、人を殺す度胸があるわけないでしょ」
 ……ほくそ笑んだYの横顔を、私は一生忘れないだろう。

 ニュースは速報のテロップがやたら目立っていた。近所でサイレンの音も聞こえる。N子は大学受験に失敗した。正確に言うと大学を受験できなかった。あの一件以降、N子は学校に来ることができなくなった。大好きな英語の授業で生き生きと教科書を音読することも、数学の先生を掴めて質問をすることも、できなくなった。廊下を歩く私の後からタッタタと軽い足音を立てて駆け寄って「おはよう!」と声をかけてくることも、放課後の図書室で赤本の背を一緒に撫でることも、できなくなった。彼女の心の弱い部分は、「あのくらいの言葉」で容易に潰されて、傷ついて、彼女自身をダメにしてしまったのだ。英文学を学ぶという夢は彼女の中で、あの一言のせいで完全に潰えたのだ。
 私はN子に何度も会いに行った。時々顔を出してくれることもあったが、基本的にはずっと体調を崩していて人と会える状態ではなかった。N子のお母さんはN子に何があったのかを知っていて、だからこそいつも私の来訪に喜んでくれた。でもセンター試験(今では共通テスト、か)があと一ヶ月に迫った頃、N子は私に「もう来ないで」と言った。きっとN子は私に気を遣ってくれたのだろう、私がN子の見舞いに行くと、勉強時間が減ってしまうから。そうすれば、私もN子みたいになってしまうだろうから。
 Yに酷い言葉をかけられて、ぽっきり折れてしまうだろうから、と。
 私はN子の意志を尊重して、大学受験が終わったらまた会いに行くと約束した。でも、その約束を果たすことは出来なかった。

 ……高校を卒業してから、私は一度だけYと話をした。YはYの言葉のおかげで大学に合格できたらしい奴から感謝を受け取っているようでご満悦だった。私の好きなN子はお前のせいで再起不能になるくらい傷ついたというのに。N子だけではない。B美もT代も、R奈も、E子も……。
 私もそのうちの一人に入るだろうか?
 輝きを失ったN子の姿を見て、深い悲しみと絶望に枕を濡らした私は?

 ニュースが何度も同じ内容を繰り返している。テレビの右端に映ったYの写真は随分と可愛らしく加工されていて、ホンモノはあんなに目がくりくりしていないだろうに、と思った。
 カーテンから春の日差しが零れて、荷ほどきしていない段ボールを照らしている。そんな中で殺人事件のニュースを垂れ流しているのだ。温度差で風邪を引いてしまうかもしれない。
 Yは、背中を刺されて殺された。犯人の動機は復讐だ。夢を絶たれ、狭い視界で絶望しか見えなくなったN子を自殺に追いやった元凶を成敗するために。
 外の階段を、誰かが上がってくる。足音からして二人組らしい。激しくドアが叩かれる。私はテレビを消してから、ゆっくりと玄関に向かう。再びドアが叩かれる。せっかちだなぁ、と思う。それと同時に、ほっとしていた。
 N子は何て言うかな。バカなことして! って怒るかな。
 怒ってほしいな。それが私の好きなN子だから。
 鍵を開けて、ドアを開く。警察が何かを言う前に、私は口を開いた。

「言ったんです。あんた、それ直さないといつか後ろから刺されるよ、って」

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)