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【短編小説】哀悼の義務

 ウサギが死んじゃった、と泣きそうな顔のAが教室に飛び込んできたとき、廊下に溜まっていた熱がぶわっとなだれ込んできたのが僕の位置からでもわかった。
 僕らの学校では外でウサギを飼っていて、その世話は飼育委員の仕事だった。机で何か仕事をしていた先生は目を丸くして、Aに「本当?」と問いかけながらぱたぱたと教室を出て行った。まだ、夏が世界に満ちていた頃の話である。僕はウサギに興味がなかったので、持っている自在ほうきを再び動かし始めた。窓の外を見ると、既にウサギの死を聞きつけた生徒たちが飼育小屋へ走っていくのが見える。ウサギ、死んじゃったらしいよ、と女子が情感たっぷりの声で噂話をするのを聞いた時、僕は思わず「掃除終わらせようぜ」と言ってしまった。
「掃除なんかしてる場合じゃないよ」
 N子が信じられないという声で僕にそう告げた。
「ウサギが死んじゃったんだよ? 悲しくないの?」
 僕は何も言い返せずに黙り込んでしまった。ウサギが死んで悲しいかと問われたら、「悲しい」と答えるのが模範解答だろう。先生はちょっとピンクがかったあのペンで、きれいな花丸をくれるはずだ。しかし、僕はウサギが死んだと聞いてもちっとも悲しくなかった。僕は常に図書委員だったし、飼育小屋とは無縁の生活をしていた。最後にウサギと会ったのは小学二年生のときのことで、あとは記憶にない。かわいいものが好きなクラスメイト達は昼休みによく飼育小屋へと出向いていたらしいが、僕はウサギに興味がなかった。
 感覚としては、知らない芸能人が亡くなったニュースを見たときに似ている。母さんが「あら、まだ若いのに」と言いながら肩をすくめて、晩のおかずに箸をつける。僕は「誰?」と聞く。母さんは「有名な俳優さんよ」と教えてくれるのだが、有名な俳優でなければニュースで訃報を報じたりはしないだろう。そして、たまにテレビで昔のドラマの再放送をやっているとき、母さんは「ほら、この人よ。こないだ亡くなった」と教えてくれることがある。でも、僕はその時にはすっかりその俳優のことを忘れていることが多かった。仮に覚えていたとしても、昔の、まだ若い頃の姿とニュースで見た姿をうまく結びつけることができなくて、僕は「へぇ」とか「ふうん」と言うしかなかった。
 僕はN子の突き刺すような視線から逃れるために、自在ほうきを動かした。N子は不満げに鼻を鳴らした。彼女のすぐ傍では、ウサギの死に涙する友人を慰める女子の塊ができていて、彼女たちの足元では暇そうなちりとりがあくびをしているように見えた。けれど、僕は彼女たちの在り方は正しいと思った。少なくともN子の時に感じた、正しくないジグソーパズルを無理やり押し込もうとしているような暴力性はなかったから。
 僕は彼女たちの代わりにちりとりを持って、既に一か所に集められていたゴミを取ってゴミ箱へと入れた。涙でぐずぐずになった声の「ありがとお……」が聞こえたので、僕は後ろめたいさわやかさを覚えながら「どういたしまして」と答えた。
 僕と同じようにウサギに興味のないクラスメイト達は、ウサギの死にショックを受けている子たちの代わりに机を運び始めた。号泣する子を慰めていた一人が、「ちょっと掃除手伝ってくるね」と僕らに加勢してくれた。僕たちは僕たちの予想よりも早く机を元通りにできたが、N子はそれを不満そうに眺めているだけだった。僕はもう一度彼女に「掃除を終わらせよう」と言ってもよかったのだが、なんだか面倒だったので何も言わずに仕事を終わらせた。僕は窓の外からやってくる夏の風の中に、かすかに混じる死の気配を嗅いだ。それがどんな匂いだったのか、僕はうまく表現することができないのだが、あえて言うならば鼻腔の奥にとどまる奇妙な違和感、だろうか。
 掃除を一通り終わらせた僕たちは、なんとなく死んだウサギを見に行こうとしたが、階段を降りたところで僕らより先に飼育小屋に駆け付けたメンバーが戻ってくるのを見て、やめた。僕たちは少し興奮した様子で「ウサギ、どんなだった?」という話をしていた。
「眠ってるみたいだったよ。つっつけば起きそうだった」
 僕たちが教室に戻ると、N子は窓に切り取られた入道雲を背負いながら、涙一つ流すことなく花瓶の用意をしているようだった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)