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【短編小説】ラベンダー

 村近郊の洞窟に住み着いた魔物退治はすぐに終わり、あとは帰るだけだった。だが依頼主とちょっとしたやりとりをしている間、ラスターがそわそわと窓の外を眺めていたので嫌な予感はしていたのだ。
「雨ですわ」
 依頼主の娘があらあらと洗濯物を取りに外へ出て行った。
「よろしければ今日一日泊まっていっては如何でしょうか」
 その申し出にノアは少し考えて、ラスターの方を見た。ラスターは肩をすくめながら大丈夫だとアイコンタクトを送る。だがそのときだった。外で大人しく降っていただけの雨は勢いを増して、雷を吐き出すと同時に台無しになった洗濯物と娘が飛び込んできた。
「今日は一日泊まっていった方がいいわ!」
 と、こういわけでノアとラスターの意思など無関係と言わんばかりに、あれよあれよと宿泊が決まってしまったのである。

   ラベンダー


 寝室に案内された二人はその場で固まった。ベッドが狭いかもしれません、という説明なんて頭に入ってこなかった。おやすみなさいの挨拶にはなんとか対応できたものの、ラスターが早速部屋のあちこちに探りを入れるのも無理はない。
 来客用の部屋はやたらに豪華だった。天蓋つきのベッド。ふかふかの絨毯。壁には有名な画家の作品が並んでいて調度品も綺麗に飾られている。絵画は流石に贋作らしいが、調度品は一流のもので銀貨百枚は下らないというのがラスターの見解だった。
「天蓋つきベッド、初めてだからちょっとわくわくするね」
 装備を外したノアは早速ベッドへと潜り込む。確かに男二人が寝るには狭いかもしれないが不可能ではない。おいでおいでとラスターに誘いをかけるノアは、しかしラスターが一向にベッドへ入らないので首を傾げた。
「ノア」
「何?」
「俺、床で寝るわ」
「ええっ!? 床!? 何で!?」
 思わず飛び起きたノアに、ラスターは目を逸らしながらしどろもどろと言葉を紡いだ。
「いやぁ、落ち着かないっていうか」
「……いや、でも、だからといって床で寝られるの?」
「盗賊クンはどこでも寝られますよ!」
 ふふん、と胸を張るラスターに対してノアは呆れたようにしてため息をついた。ぽんぽんと自分の隣を叩きながら問いかける。
「じゃあ、ここでも寝られるよね?」
 ノアの図星をさした台詞を完全にスルーしたラスターは荷物から携帯用の毛布を取り出した。粗末な造りではあるが多少寒さはしのげる。そのまま壁にもたれて毛布を被るラスターは本気で床で寝るつもりでいるらしい。見かねたノアはベッドから出てラスターの隣へと腰掛けた。
「何、あんたまで」
 苦笑するラスターは毛布の裾を捲り上げてノアに入るよう促した。厚意に甘えてノアはそこへと入り込む。少しだけ隙間風が冷たかった。
「後ろめたくて」
 吐く息は特に白くはなかったが、眠るには肌寒い。ラスターが居る右側は温かいが、反対側に関しては援護ができない。
「別に気にしなくていいのに」
「気にしちゃうよ、俺だってあんなベッド初めてなんだから」
 なんだか野宿の気分になって、ノアは空を見上げた。ここには本来広がっているはずの曇り空も、顔に落ちてくる無数の雨粒もない。あるのは星空を模した天井の模様だけだった。釣られて上を向いたラスターが探しているのは旅人の星だろう。ノアも探してみたが、天井の壁紙にそれはなかった。
「トルンは今頃どうしてるかなぁ」
「そろそろ灯台暮らしにも慣れて、森への未練なんかすっぱり消えてるだろうな」
 そんな会話を交わしながら、ノアは足を摺り合わせた。酷く冷えていた。きっとラスターの足も同じようにして冷えているだろう。
「ねぇラスター。どうしてベッドで寝ないの?」
 もぞもぞと動きながらノアは問いかけた。
「盗賊が床で寝れなくなったらオシマイだろ、俺のことはいいからあんた一人で寝ればいいさ」
 欠伸をかみ殺しながらラスターは答える。この男は冗談抜きにして床で寝るつもりでいるらしい。床の寝心地とはそんなに良いのだろうか。少し考えて、ノアは首を横に振った。よくないに決まっている。依頼疲れで一度床で寝る羽目になったが酷いものだった。身体を上手く動かせない様子を見た知り合いに「ゴーレムみたい」と笑われた挙げ句、彼に身体を解す手伝いをしてもらう羽目になったことを考えると寝心地は最悪に決まっている。試しにラスターに床の寝心地について質問を投げると、床で寝たことある? と返された。それが答えだ。
 ノアはそっと魔法を発動させた。魔力の光にラスターは気付いているだろうが、きっと暖を取るためのものだと勘違いしている。それも仕方ない。暖を取るときに使う主な魔力は炎で、ノアが発動させた魔法もその魔力がメインだ。
 盗賊を出し抜くというのは、悪いことをしている気分になるが少し楽しく思えた。
 完全な不意打ちで、ノアはラスターへと手を伸ばす。ラスターが身をよじるよりも速く、ノアは彼の身体を抱き上げた。
「ちょおっ!?」
「暖を取ると思ったでしょ?」
「あ、まぁ、そりゃあ。っていうか何これ、力増幅系の身体強化魔術か!」
 ラスターが暴れ出す前に、ノアはひょいと彼をベッドへ放り投げた。
「一日二日いい思いをしたって問題ないよ、ラスター」
「いやそうじゃなくてね!?」
 彼がベッドから抜け出さないよう、ノアは更に重ね掛けした強化呪文で動きを封じる。単純な力比べならラスターよりノアの方が上だ。逃げられてしまえば捕まえることは難しいが、逃げられなくしてしまえば勝ちも同然である。片腕でラスターにしがみつき、ふわふわの布団を掴む。ばふ、と鈍くて柔らかい音と共に、二人揃って潜り込む。ベッドがぎしり、と鳴いた。
「ほらぁ! ベッドちゃん泣いてるじゃん! やっぱ男二人じゃ狭いんだよ!」
「ほーらボロが出た」
 ラスターの脚を自身の脚で絡め取りながら、ノアは喉の奥で笑った。
「何が“床で寝られなくなったらオシマイ”だよ、俺に気を遣ったんでしょ」
「あー、あー……はいはいはいはいそうだよそうだよそうですよ! つーか今日の依頼考えろよあんたが前線担当で俺何もしてねぇし」
 布団を被るという役目を終えた右腕で、ラスターの頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。それは禁句だ。言わない約束だ。戦闘担当はノア。その代わりノアの戦闘の障害はラスターが全て取り除く。そういう作戦を二人で立てたのだ。それを貶されてはいくら温厚なノアでも少し腹が立つ。
「おやすみ、ラスター」
 先ほど身体を洗ったときに使った石けんの、ラベンダーがふわりと香った。おそらくラスターにも同じ香りが届いているだろう。
「あー。あー……これは離してもらえないパターンのやつですかねぇ」
 ノアは何も言わず、ラスターの事を強く抱きしめた。ダメダワー、という諦めの声が可笑しくて、ノアは強化魔術を重ねがけするフリをして脅しをかけた。効果はてきめんで、まだなんとか脱出しようとするラスターの身体から力が抜けているのが分かる。
「分かった、分かったよ。俺の負けだから。出ないから。はい」
「とか言って、床で寝てたら本気で怒るからね」
「はいはい」
 あんたは子供か、という暴言は聞かなかったことにして、ノアはぽんぽんとラスターの頭を撫でた。そこから寝息が聞こえるのに時間はかからなかった。珍しい、と思うのと同時にやはり強引にベッドに引きずり込んで大正解だと思った。あるかないか分からないものを探すというのは神経を使うのだ。戦闘はしていないと本人は言い張るが、ノアの死角から襲いかかろうとする魔物をこっそり退治してたのは戦闘に含まないと主張する気なのだろうか。
 手間がかかるなぁ、と笑う。笑ったところで、誰かに見られているわけでもない。
 鈍く重みを増す瞼に、ノアは大人しく従った。誰か、ラスターに良い夢を見せてやってほしいのだが、と思ったところでそれは無い物ねだりだ。自分がラスターを抱きしめているからという理由で変な夢を見るようなことが無ければいいが、と思いながらノアも目を閉じた。柔らかいベッドに疲労感を沈めて、深い深い眠りに落ちていく。
 意識を夢に委ねる間際、ラベンダーの香りが再び、ぱっと、花開いたのが分かった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)