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【短編小説】境界の酒場にて

 

※シリーズになってはいますが、上記二作を読んでいなくとも問題なくたのしめます。


 変なヤツだとコバルトは思った。
 ラスターが言う「会わせたいヤツ」とやらの情報はたっぷり得ていた。なんせ有名人の息子だ。寝転がっているだけでも情報は出てくる。ラスターは彼に裏路地を見せたくなかったようで、表と裏の境目ギリギリにある食事処を指定してきた。宿屋も併設されているそこは、旅人が路銀をケチりたいとき、真っ先に活用する場所だ。
 コバルトが扉を開けると、食堂の奥の席で手が上がるのが見えた。呪傷の痛みと軋む体に鞭を打ち、その手の主に挨拶をする。
「この前は見事な仕事ぶりだったな、ラスター。おかげで未然に防げた」
「おっ、そうでしょそうでしょ? もっと褒めてくれていいんだぜ」
「皮肉だよ」コバルトは喉をグウグウ鳴らして笑った。
「お前さんの悪趣味な拷問しごとを、そこの騎士様にも見てもらいたかったもんだ」
 ラスターが「会わせたい」と言っていた人物――ノア・ヴィダルはその言葉を聞いてもあまり驚いていないようだった。
「初めまして、私は――」
 それどころか握手を求めてきた。大抵の輩は気味悪がって触れるどころか同じ空気を吸いたくないとまで言い出すというのに。
「知ってるよ。ノア・ヴィダル。あの大賢者の息子、六人兄弟の長男。かつて王都直属の白銀騎士団に所属し、第二十七騎士団団長を勤めた騎士。今はナナシノ魔物退治屋の代表として、魔物退治や護衛任務なんかをこなしている……そうだろう?」
 ラスターが「本ッ当あんたって趣味が悪いな」と言いながらコバルトを小突いた。
「俺はコバルト。元暗殺者、今は情報屋をやっている」
 ノアの手を握っても、何も起きないのでコバルトは眉をひそめた。
「ラスターから話は聞いています、貴方は――」
「おっと、それがお前さんの普段のしゃべり方かい?」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「普段通りに接してくれよ、お前さんがラスターこいつにするように」
 ノアは少し目を見張ってから、
「では……ラスターから話は聞いたけれど、君は呪いを受けているんだってね」
 いつもの口調になった。
「そうさ。おかげで不便な体になった。呪いをかけた魔道師は死んじまって、もう元には戻らないらしい」
 コバルトは体をもぞもぞと動かした。定期的にこうしないと、体が酷く痛むのだ。
「少し調べても?」
「身体検査なら宿の部屋で頼みたいね。それよりもまず――」
 コバルトの節くれ立った手が、卓上のベルを鳴らした。店員が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
「お前さんたち、食事はしないのかい?」

 コバルトはいつも野菜サンドイッチと決めている。椅子の高さがなんであれ安定して口に運べるバランスの良い食事、となるとサンドイッチが一番なのだ。ラスターは豆の煮込み、ノアは鶏肉のサラダとパンを注文した。パンにはコーンスープが一緒についてくるようだ。
 ラスターの食事が恐ろしいほど早いのはいつものことで、コバルトの食事が遅いのもいつものこと。ゆっくりとサンドイッチを咀嚼するコバルトはノアの様子をじっと観察していた。おそらくラスターにはこの動きがバレていることだろう。
「二人は旧知の仲なの?」
 パンをちぎりながら問いかけてくるノアに答えるのは、食事を終えたラスターだった。その様子も観察対象である。ノアはありきたりな質問をあれこれ並べるが、コバルトの呪いに関しては一切触れなかった。大抵の輩はそこを一番気にして「呪いって何やらかしたんですか?」だの「その顔で表歩くの大変じゃないですか?」だの、好き勝手言ってくれる。そういうヤツには「大変じゃないさ、この呪いは伝染うつるからね」と適当言ってやればとっととどっかに去っていく。
「俺がラスターよりひとつ上だって言ったら、お前さんは驚くかね?」
 サンドイッチを飲み込んで、コバルトはそんなことを言ってみた。
「えっ、そうなの? じゃあ俺とは二つ違いか……」
 しかしこの、ノアという男、少し天然が入っているのか鈍感なのか、コバルトの想定していない反応を見せる。
「ラスターって二十四だよね?」「合ってる」
 コバルトはサンドイッチを噛みながら思った。「雑談」という言葉はこのやりとりのために生まれたのではなかろうかと錯覚する。決して嫌味のない、ただ普通にしてくれと言ってここまで完璧にできる人がいるものなのだろうか? ラスターが会ってくれと言ってきたのも、悔しいが頷ける。
「ノアさんや」
「ノアでいいよ」
 は、とコバルトは息をついた。全く本当に調子が狂う。もう一丁からかってやろうかとニヤついた気力がしおれていくのが分かる。コバルトはため息をついた。
 ――嬉しいときにも、ため息というのは出てくるらしい。
「俺の負けだ。俺はね、お前さんを誤解してた。大賢者の息子で元がつくとはいえ騎士団長、そんな輩を俺と会わせたいとラスターが言ってきたとき、新しい嫌がらせかと思ったね」
「は?」声を上げたのはラスターの方だった。
「ちょっと待て、今、俺が、お・れ・が! 嫌がらせをなんとかって、すごーく聞き捨てならない言葉が聞こ」
「正直、お前さんは人が良すぎる」
 ラスターの訴えを無理矢理封じ込め、コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「だからラスターから俺の話を聞いたとき、こう思ったんだろう。呪傷だけでも治療したいってな。でもやめときな。お前さんが一番分かってるだろう。跳ね返ったらお前さんが苦しむ番だ」
「そのくらいの呪傷なら、俺でも治せるよ」
 ノアはさらりと言ってのけた。ラスターが目を見張り、コバルトは「は、」と笑った。
「無茶言うな。俺を診てくれた医療術師はみんな口をそろえて言ったよ、ムリだってね」
「…………」
 ノアは黙り込んだ。コバルトはため息をついた。この騎士様は自己犠牲の精神が強いらしい、と思いながら再びサンドイッチにかぶりついたその時だった。ラスターが口を開いた。
「ノア、正直に言ってくれていい。俺たちはそういう扱いに慣れてる」
 そこでコバルトも、否応なしに真実を知った。
「なるほどね」
 スライスされたトマトがぶちゅりと潰れる感触を味わいながら、コバルトは言った。
「俺の当たった医者はみんな嘘つきのクソ野郎だったってわけか」
 そして喉をぐうぐう鳴らした。
「治癒魔法を主に扱う治療術師は、……確かにそういった傾向が強い。騎士団に所属していたのも、そんな人ばかりだった、その」
「『アンヒューム』を相手にしたくないってか」
 コバルトは、喉をぐうぐう鳴らさなかった。
「…………」
 アンヒューム。古代語で「愛のない者」――この世界においては、生まれつき魔力を持たない不完全な人間に対する蔑称。
「そんな顔しなさんな。ノア、お前さんは俺の呪傷きずを治せるかもしれないんだろ? 楽しみにしているよ」
 最後の一口を飲み込んだコバルトは、テーブルに銀貨を置いた。
「治してもらわないのか?」
「そっちにも準備があるだろう」
「……そうかもな」
「また連絡をくれ」
 酒場が嫌なざわめきを得ていく。一人の酔っぱらいが顔を真っ赤にして、勢いよく席から立ち上がった。アンヒュームだと!? 殺してやる! ――包み隠されることのない悪意が反響する。
「コバルト、逃げたな」
 ラスターはため息をついた。ノアは何かを言いかけて、やめた。
 客と一部の店員が、じっとこちらを見つめている。
「帰る?」ノアがラスターに問いかけた。
「帰るか」ラスターはノアに答えた。
 二人は同時に席を立つ。店員がさっと飛んできて、会計を済ませた。……慌てていたのだろう。銀貨を数え間違えて「一枚多いですよ」なんて言ってきた。
 ノアが何かを言う前に、ラスターが「あ、すみませんね」とそれを受け取った。おそらく臨時収入とか言って、酒代の足しにするのだろう。
 延々と続く黒い空で、星が静かに瞬いていた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)