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【短編小説】あの子の背中を押したのは

 S子の自殺は学校でも相当な騒ぎになった。私は登校途中にマスコミからマイクを向けられたが、これに対応していると遅刻すると思ったので素直に「遅刻するので」と言って走って逃げた。教室に入るとクラスは変に浮かれているような雰囲気だったので私は困惑した。てっきり、それこそお通夜みたいな空気になっているものだと思ったのに。私たちの年頃はきっとみんな薄情で、S子が死んだ悲しみよりも訪れる非日常への期待が強く出てしまうのだ。私はそう思い込むことにした。
 S子の自殺自体はニュースで知った。風の強い日だった。テレビをつけると速報の赤いテロップがあって、よく見る駅のビルが映っていた。中学生が飛び降り自殺、巻き込まれた通行人重体。徐々に明らかになっていく情報の中で、自殺した女子中学生とS子はイコールで結ばれてしまった。
 幸い通行人はなんとか一命を取り留めたが、S子は死んでしまった。死んでしまった、というのもおかしな話か。S子は死にたくて飛び降りたのだから。でも本当にS子は死にたかったのだろうか? 私には分からない。
 S子は遺書を書いていた。それは一種の告発文だった。内容は私の想像通りで、マスコミはこれに「イジメを苦に自殺」というステキなタイトルをつけてテレビに流した。
 私はそのとき、M子の顔を盗み見た。
 マスコミの言う「イジメ」の主犯であるM子は、むすっとした顔で席に座っていた。

 M子は私たちのクラスの中では結構強烈な性格なのが災いして、結構浮いていた方だったと思う。私たちのクラスは大人しい子が多くて、よく言えば平和、悪く言えばぼんやりしている集団だった。
 M子は、なんというか正義感が暴走しやすいタイプで、常に自分が正しい、悪いのは相手。自分のしていることは正しい。とにかく自分が正しい。という「自分が正しい」という文言を世界中から集めてそれを三日三晩煮詰めたものを固めたかのような性格をしていた。
 そして常に一言多かった。例えばクラスの誰かがケシゴムのカスを床に捨てたとする。そうすれば「ちょっと、ケシゴムのカスはきちんとゴミ箱に捨てなきゃダメだよ」と言えばいいところを、M子はそこに付け足して「○○さんは、自分がよければ他はどうでもいいんだ」と言う。
 まぁ、ケシゴムのカスを床に捨てるというのは悪いことではある。しかし相手の人格を否定するようなことまで添える必要があるのか? と私は常々疑問であった。
 そしてこのM子の余計な一言の被害に遭っていたのがS子である。もともと少しのんびりとした(悪く言えばトロい)性格のS子は、サバサバしているM子を苛つかせる事が多かった。「グズ」「のろま」と呼ばれているところを私は何度も目撃したし、その度に私は「M子ちゃん、それは言い過ぎじゃない?」と注意した。M子は「でも、そのせいでみんなが迷惑してるんだよ? そこで甘やかしてもS子のためにならないでしょ。あんたは責任とれるの?」と言ってくるので、口の立たない私は何も言えずに黙り込むしか無かった。
 沈黙は敗北という思い込みをしているらしいM子は、そこでふふん、と私を見下す態度を取って、S子のことを急かす。S子が「ごめんね」と言ってくるのがまたいたたまれなかった。
 一度仲の良い友人三人でM子に食ってかかった事があったが、怪獣M子はか弱い三人の中学生を見事に一蹴した。友人の一人は三日ほど学校を休む羽目になった。

 空気の読めないクラスメイトが、「M子ちゃん、大丈夫?」と彼女に話を振った。私はぎょっとした。顔をそちらに向けることができなかった。友人が「嘘でしょ」と呟いたのが聞こえたのが私だけで本当によかった。M子に聞こえていたら色々と終わっていた。
「何にもよくないよ!」M子は叫んだ。空気の読めないクラスメイトは「だよね……」と言って涙ぐむ。
 彼女は何がしたいのだろうか、とここに居た全員が思っていたことだろう。クラスの空気など気にも留めず、M子はとんでもないことを口にした。
「どうして私がS子を追い詰めたって話になってるの!? 私はS子のためを思って厳しく接していただけなのに!」
 ここまでくると、いよいよこの女が病気なのではないかと私は思った。しかしここで「M子ちゃん、病院に行った方がいいよ」と告げたらそれこそ私もM子と同じになってしまう。それに、M子にそこまでしてやる義理はない。
「S子は私に謝ってから死ぬべきだと思う」
 M子がそういったとき、私は思わず後ずさりした。可能な限り、M子から最も離れた場所を陣取りたかった。今の私なら地球を掘り進めて、ブラジルに行くことだってできるだろう。そんな馬鹿げた錯覚を覚えるくらいに私はM子のことを「無理」だと思った。
 M子はS子への怒りを、S子の机に向けた。S子の机には一輪挿しがあって、綺麗な花が生けられていた。M子はS子の机を思いっきり叩いた。すると小さな一輪挿しは弾みで床に落ちてしまった。一輪挿しは鋭い音を立てて割れて、中の水は飛び散ってM子の上履きを濡らした。私はこのとき、S子の執念を感じたし、M子はきっとああやって自分の気に入らない奴の背中を押して、殺していくのだろうなと思った。それを「飛べないアイツが悪い」と言って、永遠に自分の過ちを認めないのだろうなとも思った。
 M子はサイアク、と言って上履きを脱いだ。思っていたより激しく濡れてしまったらしい。そこで私は初めて気がついたのだが、クラスの空気は酷く重苦しいものになっていた。私が入ってきたときの雰囲気はもう残骸すら転がっていなかった。私は友人に何か話題を振ろうとしたが、唇が上手く動いてくれない。見ると友人もその調子である。私たちのクラスは皆、M子という怪物の動向を見守っていた。私たちは、壁にピタリと背をくっつけて、クラスの中央に居るM子から距離を取っていた。空気の読めないクラスメイトも、気がついたら教室の壁に背中をくっつけていた。このクラスではやんちゃな方の男子も、快活な方の女子も、みんな教室の壁に背中をつけて、輪になっていた。
 まるで、M子に背中を押されないようにするために。

 泣きはらした目の担任がやってきて、すすり泣きながら花瓶の後始末を始めたが、私たちは誰一人として動くことができなかった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)