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【短編小説】ノアと肩のり幽霊

 店先で客を呼び込んでいた女が言う。
「仮装したお客様にまざって、本物のバケモノがいたの!」
 恐怖が興奮の色を持ち始めたときの、驚愕と優位の声で、女はさらに言葉を続けた。
「そいつは地区の方へと向かったわ」
 彼女は嘘をついていなかった。それは彼女が今の今まで積み重ねてきた信頼がなせるものだった。すぐにばれるような嘘をついたところで利益はなく、それどころか仮に「仮装祭の参加者の中に本物のバケモノがいる」という話が真実であれば、彼女の店どころか商業都市アルシュそのものが危機にさらされている。
「ねぇ、それ本当なの? 本当だったら、あたしたち――」
 ヤバくない? と囁いた女に、店先の女は「大丈夫」と言った。
「だって、本当にヤバいバケモノだったら、あたしたちとっくにバラバラになってるもの!」
「そうよね!」
 女二人は笑った。笑い飛ばしてこの話を終わらせた。
 ……終わらせたはずだったのだ。


 仮装祭。
 収穫祭が形を変えた類いの祭であり、商業都市アルシュには様々な仮装をした人々が行き交う。伝統を重んじるのであれば魔物や怪物の姿に扮するのが正しいが、最近では騎士様だの賢者様だの劇の主人公だの、ともかくそういった役柄になりきる人たちもいる。
 ラスターは雑に取り付けた狼のつけ耳を撫でながら、街を歩く子供たちに魔除けのアメを適当に配って歩いた。そして雑踏を注視する。
 ――仮装祭の参加者に、本物のバケモノが紛れている。
 ギルドにこういった内容の通報が百数件。手の空いている魔物退治屋がアルシュを警戒して歩いているのはそういった道理だ。だが、人々の不安を解消するには「解決」を見せなければならない。具体的には「本物のバケモノ」を捕まえる必要がある。
「ギルドの魔物退治屋百数人で警戒して歩いていましたが、見つかりませんでした」と言って「そうですか」と信じて貰えるならば話は早いのだが。
 ラスターは一度つけ耳を外して、ため息をついた。普段装着していないパーツがあるというのは非常に精神がすり減ってしまう。単純に落ち着かない。
「どうだった?」
 騎士の鎧に身を包んだノアが問いかける。鎧と言っても本物ではなくレプリカだ。本物の騎士と間違えられないようにするための対策だった。
「ぜーんぜん。そっちは?」
「何も。手応えなし」
 だろうな、とラスターは思った。
「やっぱり何もないんじゃないか?」
「仮装祭の参加者の中に本物のバケモノがいる、というのは演劇の題材でもよくある話だけど」
「現実じゃそう起こりえないよな」
 もうバターパンプキンケーキでも買って帰るか、という空気になってきたそのときだった。
 先にラスターが反応する。雑踏の奥、再度悲鳴が上がる。人混みをかき分けるのが得意なラスターが先行し、ノアがその後に続く。人混みが動いた。こちらに流れてくる。ノアは押しつぶされないように障壁魔術を展開し、自分の身を守るためのスペースを確保した。
「バケモノが地区に! 地区に行った!」
 青年が叫んでいる。ラスターが地区へ飛び込んでいく。ノアは人々が落ち着くのを待ってから、地区の方へと駆け込んでいった。その際に「本物の騎士様!」と声がした。勘弁してくれ、と思う。続いて「あんな安っぽい鎧が本物なわけねーだろ」とツッコミが飛んだ。
 ……その直後の「顔も何だかぱっとしないし」というのは、余計なお世話だったが。


 ラスターはすぐに見つかった。酒場・髑髏の円舞ワルツの入口でノアを待っていた。
「大体分かった」
「分かった、って何が?」
 ラスターは返事もなしに、店の扉を開いた。中からカボチャの臭いが飛んでくる。多分腐りかけだな、とノアは思った。
 カウンター席にはコバルトがいた。手元には炭の塊がある。脱臭目的ではなく、おそらく料理になるはずだったものだ。
 コバルトは少し憂鬱そうな顔をして、ノアとラスターに座るよう促した。二人は素直に従う。コバルトはコップの水を一気に飲み干した。ノアには最初、それが酒に見えた。彼の目が焦点を合わせようとしなかったからだ。
「アルシュにバケモノが出たらしいね」
「うん。でも、そんなものが都市に紛れ込むわけないと思うんだけど」
「この手法も潮時か」
 コバルトは喉を小さくグウ、と鳴らした。流石にノアも感づいた。
 呪いのせいで小柄な醜男と化してしまったコバルトは、基本的に地区の外には出られない。人間というよりゴブリンの類いに近しい外観は人々を震え上がらせ、彼らが攻撃的になる原因にもなる。敏捷性があれば夜の人目のない時間帯を狙って動くことも出来るが残念ながらそれも叶わない。
「仮装祭の時期なら、このナリでも外を歩けたんだがね」
 よく見ると、コバルトの首にはライトベージュの塗料が塗られていた。顔がニセモノであるという演出のために施したものだろう。
「しかし、なんでまたそこまでして?」
「昔世話になった店の様子を年に一回窺ってたんだ。数は減っちまったが、なくなったわけじゃないからね」
 ふう、とコバルトは憂鬱そうに息をついた。そこに店主がドブ色の液体を差し出してくる。
「何これ、コーヒー?」
 ラスターの疑問を聞いた店主は、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「見りゃわかるだろ! キノコスープだ!」
 ラスターの口元が「多分飲まない方がいい」と動く。多分どころか絶対に飲まない方がいいのでは、とノアは思った。
「まぁ、そういうわけで、俺の数少ない楽しみが消えちまって落ち込んでたってわけさ」
 別にいいんだがね、とコバルトは言う。だが、ぼーっと虚空を見つめる彼の様子を見ていると「別にいい」とはとても思えない。
「ねぇ、ラスター」
 店主が差し出してきたケーキ(の形をしたなにか)をやんわりと遠ざけながら、ノアは尋ねた。
「裁縫、得意?」


 方々からちょっとした声が上がる。
 ノアの肩にちょこんと乗っかっているオバケの仮装をした子供・・が人気を博していた。頭から白い布を被っている彼の顔は見えないようになっているが、成人男性の肩に座ることができる、ということを考えれば子供以外の選択肢はない。
「次はどこに?」
「道具屋・ガラクタマニア――すぐそこの角を曲がった先だ」
 ノアは再度自分に身体強化魔術を展開する。こうすればコバルトの体重を支えるのに苦労しない。呪いで小柄になったとはいえ、コバルトの体重は殆ど変化していない。彼を肩で担ぐとなると相当な負担になる。
 ラスターは情報操作の真っ最中だ。バケモノなんていなかった。臆病な女が子供の精巧な仮装に騙された。といったような嘘っぱちを、それらしく流している。折角の仮装祭。どうせなら恐怖も何もなく、心から楽しむ方がいい。
 ノアはゆっくりと、目当ての店の扉を引く。そこでは、ハロウィン雑貨に混ざって武器の調整なんかもしていた。
「俺はね、昔ここで砥石を買っていたんだ」
 ノアの耳元でコバルトの声がする。店員が「あ!」と声を上げた。
「肩のり幽霊さんですか!」
「肩のり幽霊?」
「知らないんですか! あなたたち、そう呼ばれてるんですよ!」
 店員がさっとカメラを取り出す。コバルトはいつもの癖で、顔を手で隠そうとした。だが、頭から布を被った幽霊の姿でそれをやると、ただただ恥ずかしがっているようにしか見えない。
 ノアはあえて写真に答えた。肩に幽霊を乗せて。
「わあ、ありがとうございます。しばらくお店に飾っても?」
「ええ、いいですよ」
 コバルトが小突いてくる。ノアは口元を上手く隠しながら尋ねた。
「ダメだった?」
「ラスターに笑われる」
「そんなことないと思うけど」
「お前さんはアイツの本性を知らないからそんなことが言える」
 コバルトの視線が店の商品に向く。ハロウィングッズではなく、砥石やナイフと言った武器関連の商品だ。今でこそ拳銃を扱っているコバルトだが、呪いを受ける前はナイフを用いた接近戦が得意だったと聞いている。色々とこみ上げる物があるのだろう。
「……おせっかいだった?」
「いいや」
 幽霊は、青色の砥石を見つめている。
「仮装祭の時でさえ、店の中に入るのは許されなかった。……礼を言うことはあっても、文句なんてとてもじゃないが言えないね」
 店員が声を張る。
 「あれはですねー、砥石なんですよ!」と、嬉しそうに語っている。「実際とても美しいので、家の飾りに買われる方も多くて!」
と言った瞬間、幽霊は頷いた。ノアにだけその動きが分かった。店員は他にも武器の説明なんかを続けている。少年少女が魔物退治屋に憧れて、武器に興味を示すのはよくある話だ。店員は肩のり幽霊が楽しんでくれるように、あれもこれもと説明を続ける。幽霊は頷いた。ゆっくりと、噛みしめるようにして。何度か頷いた後、幽霊はひっそりと泣いていた。ノアは気づいていた。そして、気づいていないふりをした。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)