見出し画像

【短編小説】免罪符

 中学時代唯一の友人から「同窓会に行かない?」と誘われた。私たちは既に成人式を終えていたが、私は欠席したのでそんなの知った話ではない。「瑠璃が行くなら私も行こうかなって」と続ける彼女の懇願を、この時きちんと蹴落としていればよかったのだ。
 中学校にはロクな思い出がない。学年ごとに特色と言うものがあるらしいが、私たちの学年は「最悪の学年」として名を馳せることになる。近隣にある三つの小学校の生徒を一堂に受け入れるマンモス校ではあるが、だからといってクラスから必ず一人は万引き常習犯が出てくるのはおかしいと思う。これなら中学受験でどこかに逃げていればよかったと思うが、小学校の友人と離れるのが嫌だったのだ。今となってはこの判断が人生における最大の過ちだったように思える。
 カースト上位に君臨していたNという女と、その彼氏だったYという男に、私たちの学年は支配されていた。Nが腰にカーディガンを巻けば信者は同じようにしてカーディガンを巻く。このときカーディガンの色がおそろいにならないというのがポイントだ。「ブスのくせにNのパクんなよ」という暴言がYからすっ飛んでくる。そんなYを、まるで白馬の王子様のようにしてうっとりと眺めるNの顔が、私は嫌いだった。Nは運動もスポーツもできなかったが、爪の色を塗るのは上手かった。美術の時間に絵の具をムラなく塗るという形でその技術は生かされたが、彼女の隣には美術部の子の絵が並んだので、空の色が均一に美しく塗られたところで見劣りはする。Nはその問題を、美術部の子の絵に黒いアクリル絵の具を塗りたくるという暴挙で解決した。
 私は大人しい子供だった。そしてNに媚びなかった。Nが前髪を一ミリ切って登校してきたことに気づかなかった。学年を支配するNとYの気に入らないやつリストに私の名前が入る。定番のいじめはたいてい経験した。靴に画びょう。教科書に落書き。私物を隠される。子供みたいな嫌がらせだなと思ったが、中学生と言うのはまだ子供だ。あんまり気にはしなかったが気持ちのいいものではないし、入学祝に祖父がくれた数千円のシャープペンを壊された時には流石に腹が立ち、親同士を巻き込んだ大騒動になった。子供が子供なら親が親だ。「中学生のくせにシャーペンに数千円もかけるなんておかしい」と言ってのけたYの親は、似あいもしないマーブル模様のスカーフを「どう? 私、オシャレでしょ?」という風にして首に巻いていた。Nの親は「こんなシャーペン百均に売ってそうじゃない」と言ってのけた。そう思うのなら探してみればいい。
 ことなかれ主義らしい担任に対して、校長が毅然と対応してくれたのが救いだったと思う。連中の謝罪こそまともに引き出せなかったが、シャーペンの弁償をしてもらうことはできた。いじめはエスカレートしていった。NもYも虫が嫌いだったが私は平気だったので、机の中に虫の死骸を入れるという嫌がらせだけは精神的コスパが悪いと判断されてあんまりやられなくなったが、一通りの嫌がらせは経験した。それでもやはり祖父のシャーペンを学校で使えなくなったのが一番堪えたのだが。
 そんなステキな思い出たちが私の中でくるくる回った。
「ねぇ。いいでしょ? お願い瑠璃」
 私は友人に「分かった」と返事をした。そしてクローゼットを漁った。同窓会は居酒屋チェーン店で開催されるやっすいものだったので、パーティドレスを用意しなくていいのは助かった。
 送られてきた日時を確認し、私はK駅で電車に乗った。会場の居酒屋は二駅ほど先にある。O駅で降りた私は友人と合流し、居酒屋に向かった。
「Nで予約している――」
 店員にNの名前を出すと、すぐに「こちらです」と案内してもらえた。私は友人がやたら浮かれている様子に多少の違和感を覚えたが、それだけだった。暖色のライトに当てられたラメがギラギラ輝く友人の瞼を見ていると、やはりNは化粧がうまかったんだなと再認識できた。
 大きめのテーブルをいくつか繋げただけの貸切席には既に「懐かしい顔ぶれ」と言うものが集まっている。友人が「アー、チョウヒサシブリー」と甲高い声を上げていたが、何がそんなにうれしいのかが分からなかった。
「瑠璃、久しぶり。覚えてる? NだよN」
 こちらは忌々しい、二度と聞きたくなかった名前を耳にしてはらわたを煮え繰り返していたというのに。
 十数年ぶりに見るNの顔は、卒業アルバムのNとはずいぶん違っていた。そういえば整形したといううわさを聞いていたが、それを思い出すと鼻も目も「THE・作り物」という印象を受ける。どうやら腕があまりよくない医者が彼女にメスを入れたようである。隣にいたYはテカテカのスーツを着て、私に手を挙げた。「Yだよ!」とNが言う。私は雑な会釈をした。
「これで全員かな?」
 友人がそう言って、空いている席に座った。必然的に私はNの向かいに座ることになった。
 店員がやってきて、注文を聞く。とりあえずビールで、で片付けられた私はウーロン茶が飲みたかった。
 友人はにこにこと満足そうな笑顔で座っている。何かをやり切ったかのような姿勢は同窓会という場においてひどく浮いていた。
「こうやってみんなで集まれてうれしい……」
 正面のNが涙を浮かべる。すかさずYがハンカチを取り出す。有名なブランドのロゴが入っているが、デザインが間違っているので偽物かパロディーグッズかのどちらかだろう。Nの薬指には結婚指輪があったが、心底興味がないので特に触れなかった。Yも一緒になって左薬指の指輪を見せつけてくるので、聞かずともわかってしまったが。
 テーブルにビールが並び始め、前菜にとサラダが並んだ。レタスとサラダチキンとプチトマトを豪快に入れたよくあるサラダだ。
「私、ずっと瑠璃に謝りたかったの」
 そのタイミングでそんなことを言ってきたNは、本当に本当にバカなのだろう。私は基本的に他人をバカと断じることはしないのだが、この状況下でならそれが許されると思ったし、それ以外の判断はできなかった。
「中学の時、いろいろ悪いことをしちゃって……ごめんね」
 Nがそういうと、Yも「俺もごめん」と追従した。
 靴に画びょうを入れたり。教科書に落書きをしたり、私物を隠したり、机に虫を入れたり、筆箱を壊したり、下敷きを折ったり、すれ違いざまに「キモイ」と言ってきたり、「援交してる」などという根も葉もないうわさを流したり、上履きをゴミ箱に捨てたり、私にだけ時間割変更を教えないようクラスを先導したり、カバンに砂を入れたり、提出物のノートを隠したり、提出物のノートを切り刻んだり、祖父がくれた大切なシャーペンを壊したりしたことをNは「いろいろ悪いこと」という一言で片づけた。Yに至っては「も」だけだ。なんともコスパのいい謝罪だろう。
 私が黙り込んでいると、友人が私のすそを引っ張った。
「ほら、NとYくん、謝ってるよ」
 気が付けばその場にいた全員が私のことを待っていた。視線に含まれているのは緊張ではなく期待だ。
「それで全部なかったことにしようとしてるの?」
 口をついて出た疑問に、友人が私の名を呼んだ。焼き鳥を持ってきた店員が神妙な顔で私たちを見てから「こ、こちら当店自慢の焼き鳥です!」と言って皿を並べて去っていった。
 無言の圧力とはこういうことを言うのだろう。ヒーローが悪者と戦うシーンとか、ヒロインの告白シーンとか、そういった「こうなるんだろう」という期待が四方八方から私を潰しにかかっていた。悪者はどんなに自分が正しくてもヒーローに殴り飛ばされて死ななければならないし、告白された男はどんなにヒロインに興味がなくとも「OK」を告げなければならない。もしもここで、ヒーローに思いっきり切り付けられた悪者がヒーローの頬をぶったり、告白された男が「話しかけないでくれ」と言ってヒロインをフッたら、周囲に避難されるのはいつだって被害者の側だ。きっと連中は「謝っても許してくれないなんて、いじめられて当然だよな」と開き直る。そうして免罪符を作るのだ。どのみち世間はNとYの罪を許すつもりでいるらしい。子供のしたこと。遊びの延長。それが、例え犯罪に片足をねじ込んでいたとしても。
「うん。いいよ。許すよ」
 私の抑揚のない返事の意味を全く想像できないNとYは、感極まった「ありがとう……!」を告げた。拍手が沸き起こった。先導したのは友人だ。独裁国家に洗脳された国民のようなきびきびした動きで、バカみたいに手を鳴らしている。
「大人になったね」
 何もかもをなかったことにして笑顔で許すのが大人なら、私は一生子供のままでいいとさえ思った。私はもう帰りたかった。無言で店を出て連絡先を消して、私を知らない街の中に消えてしまいたかった。
「許さなかったらどうしようかと思った」
 そう言って友人は焼き鳥を食べた。ネギだけが皿の端に寄せられている。
「今日のこれ、企画したの誰?」
「あ、気になる? NとYくんに相談された私が考えたんだ」
「そう。頑張ったね」
 えへへ、と友人は笑った。ギラギラの輝きを放つラメが鬱陶しかった。
 罪から解放されたNとYは、もう私を視界に入れていなかった。過去の罪から解放されたと思い込む二人は笑いながら互いに焼き鳥を食べさせ合っている。ほっとした様子の店員が揚げ出し豆腐を持ってきた。
 私は焼き鳥の串を見た。今ここで、この串をYとNの目に突き刺すことができたら私の罪は晴れるのだろうか。NとYに許しを与えた重罪は、一方でNとYに救いを与えていた。ああ、不幸になってくれないかな。私の手の届かない範囲で、私の目が届く範囲で。二人の子供がいじめで自殺するとか、そういった軽いやつでいい。別にお前らの命はいらない。私は二人の不幸がほしい。自分のしでかしたことを深く反省して、なんてお決まりの文句もいらない。ただ絶望と後悔に身を引き裂かれてぐちゃぐちゃになってしまえばいい。
「瑠璃、やきとりいらないなら頂戴」
 元友人が私の皿からつくねの串を奪って、遠慮なく食べ始める。
 彼女の口元から食べカスがこぼれるのが見えた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)