見出し画像

【短編小説】美代子先生との思い出

 この前の日曜、美代子先生を見かけた。
 個別指導学習塾の先生と町中で行き会うことは結構あって、先月は木村先生とデパートのエレベーターでばったり会った。私が美代子先生を見かけたのはゲームセンターでのことだった。新曲の解禁のためbeatmaniaⅡDX……弐寺をプレイしようと思ったら、先に先生がカチャカチャとボタンを押していたのだ。
 春先の、まだスギ花粉が猛威を振るっていた頃のことだった。
 私がマスクをしていたからなのか、美代子先生はこちらに気がつかなかった。正直安堵した。受験生がこんなところにいたら怒られる以外の展開は無い。先生は一クレ終わった後にこちらを向いて、私という音ゲーマーが順番を待ってるのを見て、スタスタと立ち去ってしまった。私は楽曲解禁のことをすっかり忘れて、弐寺のデモプレイをぼんやりと眺めていた。
 見てはいけないものを見てしまったような気がした。
 美代子先生は普段は受付の席に座って、パソコン作業をしている先生だ。それは私が美代子先生をゲームセンターで見かけた後も変わらなかった。キーボードを打つときの指の動きが、階段発狂を的確に処理するときのものに似ていて私は瞬きをした。「覗き込まないでね」と美代子先生は言った。
 美代子先生は他の先生がいないときの代打をすることもある。私も中一のとき英語を教わった。そのとき受付には誰も居なくなるので、自動ドアが開く音がすると美代子先生は「ちょっと待っててね」と授業を中断して来客者の正体を見に行く。それは大抵の場合塾の生徒なので先生は「こんにちは」もしくは「こんばんは」と言って戻ってくる。たまにパンフレットをもらいに来た親が来ることもある。そうなると美代子先生は私たちをほったらかしにして塾のシステムの説明に入る。パーティションで仕切られただけの空間だと音は遮断されない。私は時計を見ながら、美代子先生の説明を聴いていた。授業時間がいたずらに消費されるのはこちらにとって好都合だった。ただ、中三になってからは美代子先生の授業を受けることはなくなった。代打の先生はいつも美代子先生ではない先生になっていた。
 私が高校受験を終え、晴れて高校生になった頃、美代子先生は塾を辞めていた。丁度その時、新しいウイルスによるちょっとしたパンデミックが発生していて、その影響で雇い止めや不当解雇が増えていると朝のニュースが言っていた。ゲームセンターにも手の消毒液がおかれて、DDRやダンスラッシュの周辺にはビニールカーテンが敷かれたりした。
 私はそこで美代子先生と再会した。美代子先生の方から会釈をしてきたのだ。美代子先生は先生でいる間、私とゲーセンで接点を持とうとはしなかったが、ただの美代子さんになってからは私と会話ができない理由を失ったらしい。
 美代子先生は「合格おめでとう」と私に言った。私は前のクレで丁度七段に合格していたので私は美代子先生の言葉が高校受験に向けられたものなのか弐寺に向けられたものなのかちょっと分からなかった。
 私たちは少し話をした。美代子先生は元々受付業務のために雇われた人で、先生の業務は契約内容になかったそうだ。美代子先生は最初からずっと美代子さんで、「先生」になってしまったのは単なる人手不足からだった。先生はずっと、私たちの隣に座りたくなかったそうだ。他人の人生を背負えるほどの技術も責任もなく、曖昧なままの知識で英語や数学を教えなければならない不安は相当なストレスでしかなかった。私は美代子先生の授業は分かりやすかったと思ったし、私が何に躓いているかを的確に理解してくれたのは美代子先生だけだった。ノスタルジアから聞こえてくるショパンの調べがゲーセンではどこか浮いているようにして、美代子先生はあの塾で噛み合わない存在だったのだろうか。
 緊急事態宣言等の影響もあってゲーセンは潰れてしまった。私は二度と美代子先生に会うことはなかったが、先生は今もどこかで弐寺の筐体に向かってカチャカチャと譜面を捌いていることだろう。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)