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【短編小説】ぼくとタプウィム

 僕はタプウィムを飼っていた。友人のKが飼い始めたのを見てうらやましくなったのだ。タプウィムというのは知能の高い不思議な生き物で、見た目を例えるとしたら、RPGの序盤に出てくるかわいらしいモンスターだ。丸い体にくりくりとしたかわいらしい目がついている。一番の特徴は、飼い主がどう育てるかによってどんな個体になるかが変わるところだろう。最初のうちは特殊な能力は何もなくて、体当たりしかしてこないような非力な生き物。厳密にいうとタプウィムは犬や猫といった生き物とはちょっと違って、人が知育のために作り出した限りなく生き物に近いロボットらしい。生態系を壊さないようにする配慮からなのか、彼らは自然環境に適応できないように作られているそうだ。つまり僕の肩にいるタプウィムは僕がいなくなるととたんに生活ができなくなってしまう。こういうのを「いちれんたくじょー」っていうんだよね、って姉に言ったら「ちょっと違うかも」と笑われた。
 タプウィムは本当にすごい生き物で、動画サイトでは「高校数学の問題をこなすタプウィム」とか「うちのタプウィムが作曲をしました!」というタプウィム動画が大流行していた。僕は僕のタプウィムをここまですごいやつにしたいという欲はなかったが、Kはそうでもなかったらしい。ネットにあったタプウィム育成理論をあれこれ試していた。タプウィムにとても容赦がなく、そのたびにKのタプウィムが目を潤ませておびえるのを見て僕はなんだかとてもかわいそうに思った。
「ねぇ、タプウィムがかわいそうだよ」
 僕がそういうと、Kは鼻をふんと鳴らした。この時、Kのタプウィムが僕を見て「救世主が来た……」というような顔をした。僕はこのときのタプウィムの顔を忘れられない。
「甘いこと言ってる場合じゃないだろ、タプウィムの才能を開花させるにはここが正念場なんだぞ」
「で、でも……厳しすぎるよ。動画サイトのタプウィムは才能を遺伝させたやつだから、普通のタプウィムには難しいよ」
「それを成し遂げてこそ価値があるんだ。それに、これはタプウィムにとっても悪い話じゃないんだ。ていうか、俺のタプウィムに文句言うなよ。自分のタプウィムを甘やかしてりゃいいじゃん」
 Kは自分のタプウィムを抱えてどこかに行ってしまった。僕とKはそれから疎遠になった。僕のタプウィムはドゥ語をヌスィーナ語と古代語に訳すような芸当もしないし、現代芸術顔負けの緻密なスケッチを描くこともしない。ただ、何に使えるか分からない短い手が生えてきたのでお手玉ができるようになっていた。僕はその様子を動画に撮影して、なんとなくSNSに上げてみた。特に反応はなかったけれど、知り合いからは「かわいい」と好評だった。僕のタプウィムは大道芸に興味を持ち始めた。当時の僕は宇宙工学に少し興味を持ち始めていた頃だったので、タプウィムがお手玉に飽き足らず玉乗りまで始めたときはいったい誰の影響なんだろうと思った。
 僕は「お手玉をしながら玉乗りをするタプウィム」の動画を撮影して、またSNSに上げてみた。やっぱり特に反応はなかったが、このとき偶然別のタプウィムの動画がオススメに出てきた。
 それはKのタプウィムだった。
 僕はこのとき、Kのタプウィムをタプウィムだと認識することができなかった。タプウィムは姿を変える生き物なので、Kのタプウィムが「悪魔の翼をはやした爬虫類型の亜人」の姿になっていてもなんらおかしな話ではない。しかし他の動画や僕の傍で鼻提灯を膨らませて眠っているタプウィムのような愛らしさはどこにもなかった。Kのタプウィムは疲れ果てていた。すべてに絶望していた。彼は助けを求めるような視線を投げる手段を忘れ、物語の暗唱や数学の定理の証明方法を身に着けていた。
 自信満々で動画に出ているKはタプウィムに指示して、古代叙事詩の暗唱をさせた。どの書物の何ページ目かを指定すると、Kのタプウィムは淡々と叙事詩を暗唱するのだ。しかし、その暗唱に心はなかった。確かにやっていることは「すごい」のだが、面白みはなかった。でもKのタプウィム動画は大反響で、コメントは「すごい」「賢い」のオンパレードだった。時々「このタプウィム他と比べて元気がないね」とか「タプウィムのブリーダーをしています。ちょっと厳しく育てすぎなのではないでしょうか」というコメントがあったが、Kはそれをすべて荒らしとして処理していた。
 気が付くと、僕のタプウィムが起きていた。動画を指さして「だあれ?」と問いかけた。僕のタプウィムも簡単な言葉なら喋れるようになっていた。僕は「Kだよ」と言った。タプウィムはKを覚えていなかったが、隣の仲間を見て驚いていた。
「かわいそう。いたい、いたい。くるしい。かわいそう」
 僕はそれを見て、何も言えなくなってしまった。こんな残酷な動画をタプウィムに見せるべきではなかった。僕はタプウィムをぎゅっと抱きしめた。
 止めそびれた動画からは、古代叙事詩を朗読する声が延々と流れていた。
 ……僕のタプウィム動画が急にバズったのはそれから間もなくの話である。お手玉をするタプウィムの動画がインフルエンサーの目に留まったのだ。僕のタプウィムはやっぱりもちもちした体に短い手足が生えただけのシンプルな個体だったが、それが逆にかわいらしいと好評だった。姉は鼻高々に「弟が育てたタプウィムなんだよ」と自慢して回ったらしい。僕は「私のタプウィム」とは言わない姉の誠実さが好きだ。
 さて、それを気に食わないのはKである。怪しい情報教材にまで手を出してタプウィムを育てたKは、僕の素朴なタプウィムがバズる理由が分からなかったらしい。Kはタプウィムに早速お手玉を仕込ませたが、かわいげがあるどころか妙にシュールな絵面は「パクリ」と馬鹿にされることはあっても人気になることはなかった。僕はKがタプウィムを叱るところを見た。夏の朝、誰もいない公園でのことだ。僕はタプウィムとアイスを買いに近くのストアへ向かっていたところだった。タプウィムは暑そうにしていたのに、僕の肩からかたくなに下りようとはしなかった。
 僕はKの怒声を聞いた。お前のためにいくら投資したとか、あんなしょぼいのに再生数負けるなとか、そういった言葉が聞こえてきた。僕は慌ててKを止めようとしたが、その前にKのタプウィムが大きく口を開いて、Kの頭を噛みちぎってしまった。
 人間、本当に驚くと悲鳴が出ないらしい。僕はカッコ悪いことに足がすくんでしまった。それだけじゃ飽き足らず、その場にへなへなと座り込んでしまった。Kのタプウィムは僕を見た。RPGのラストダンジョンに出てきそうなモンスターによく似たKのタプウィムは、目撃者である僕を消そうとした。
 その時だった。僕の肩から下りたタプウィムは、短い両腕を広げてKのタプウィムに立ちはだかったのだ。
「やめて」
 夏の音が聞こえる。
「ころさないで」
 僕はタプウィムに手を伸ばした。もしもKのタプウィムが僕のタプウィムを食べようとしたら、僕が身を挺してタプウィムを守らないとならないと思ったからだ。Kのタプウィムは僕と僕のタプウィムをじいと見つめていた。彼は、あの日と変わらない目で僕を見た。どうしてKのタプウィムは、僕のことを救世主を見るようにして見つめるのだろう。僕は何もできなかったのに。僕は何もできなかったのに。
 僕は僕のタプウィムを抱きかかえて、ゆっくりと立ち上がった。濃厚な鉄の臭いがした。血は鉄の臭いがするんですよ、と学校の先生が言っていたけれど、あれは本当なのだなと思った。僕はここでやっと気が付いた。KのタプウィムはKの教育の影響であの姿になったのではなくて、Kを憎み、殺してやりたいという気持ちによってこんな姿になってしまったのだと。
「ごめんね」
 僕はKのタプウィムにそう言った。Kのタプウィムはゆっくりと項垂れた。すべてを成し遂げたような、諦めたような振る舞いだった。強烈な青空を入道雲が這っていく。僕らはしばらく向かい合っていた。無限に続くかと思われた時間は、案外あっけなく終わってしまった。
 騒ぎを聞きつけた大人たちがやってきて、Kのタプウィムをレーザー銃で撃ち殺してしまったのだ。
 僕は大人たちが僕にやさしく接する姿の中に、針に糸を通すような緊張感があるのを見た。僕のタプウィムは僕の傍でお手玉をしたり玉乗りをしたりしていたが、目の前で仲間を殺されたこともあってかちょっと落ち込んでいるようにも見えた。Kのタプウィムに似ても似つかない、かわいらしい羽が生えてきたのは次の日のことだ。僕は「もしかしたら空を飛べるのかな」と思ったが、羽はぱたぱた動かすことはできても体を浮かせるだけの力はないようだった。
 タプウィムが人間を殺した事故は何度かあったが、子供を殺したのはこれが初めてだった。タプウィムの飼育を禁止する法律ができたのはそれから間もなくのことだったが、既に飼育されている個体についてはおとがめなしになった。僕のお手玉タプウィムはこの影響で大人気になって、「写真集を出しませんか」という誘いが来た。これに関しては僕よりも姉と父が乗り気だったので、どんな写真を載せるかは二人に任せる方がいいような気がした。僕はあまりセンスがないから……と思っていたのだが、姉と父は僕にカメラを渡してこう言った。
「タプちゃんと思い出を作っておいで」
 僕の初めての一人旅はタプウィムとの旅になった。母は「まだ一人旅なんて……」と渋っていたが、近所の海に行くくらいならいいだろうと父が説得した。僕はタプウィムと一緒にいろいろな写真を撮った。SNSでバズっていたので行く先々でいろいろな人がタプウィムと写真を撮りたがった。僕はそんな人たちに写真集の話をして、写真使用の許諾を得た。
「ぼくとタプウィム」というタイトルで出版された写真集は即重版が決まるくらいに人気だった。第二弾は秋のタムルナ町だな、と父はウッキウキでそんなことを言っていた。第二弾の写真集が出る前に、僕は夏の写真集を持って、Kのタプウィムが眠る墓に向かった。人間の子供を食い殺したタプウィムの墓はどうなっているのだろうと不安だった僕は、その墓にたくさんの花やジュースが供えられているのを見てほっとした。僕は写真集を献花台に置いた。僕のタプウィムも手を合わせてお祈りをしていた。
 もうじき、夏が終わろうとしている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)