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【短編小説】ノアと亡き夢の花屋 #3

こちらの続きです。


 ――現実ではそんなに時間は経っていないわ。
 シノの言葉にノアは安堵した。日の沈まない日々を過ごしていると時間感覚がおかしくなる。しかし夢の住人と化しているラスターや、そもそもの元凶であるリン(の姿を借りている魔物)にとっては慣れたものらしい。規則正しく三度の飯を食べている。もちろん、三度ご飯を食べた後は部屋で休む。眠っているかどうかは分からないが、シノが言うには別に眠っていたとしてもおかしくはないらしい。
 ――夢の中で夢を見るのも、そうそうないけど、全くありえない話じゃないもの。
 そういうものなのだろうか。ノアは夢を見たときのことを思い出そうとしたが、あまり頭が働かなかった。
 ノアは少し伸びをして、部屋の外に出ようとした。そのとき、扉スレスレのところにリンが突っ立っていたので相当驚く羽目になった。
 なんとか飛び上がらずに済んだノアは、冷静に「おはよう」と告げた。
「どうしてラスターさんを不幸にしようとするんですか?」
 あいさつ代わりに飛んできた疑問に、ノアは少し臨戦態勢を取る。
「不幸に? ……どうしてそう思うの?」
「あなたは何も知らないんです。あの人が現実でどれだけ苦しんでいるのかも、何もかもを」
「それが、君がラスターの夢にとりついた理由?」
 あくまで、穏やかに、冷静に話をしなければならない。しかしノアの気遣いなどつゆ知らず、リンは邪悪な笑みでノアの悪意を引き出そうとした。
「逆に聞きます。今のラスターさんの幸せを壊してまで、あなたの世界に引き戻さなければならない理由はなんですか?」
 夢を利用する魔物を相手している、という認識がノアには欠けていたかもしれない。しかし、そういったものはたいてい当人からの自覚は薄い。
「君が見せているのは幸せではない。嘘を突き付けているだけなんだよ」
「違いますね」リンは勝ち誇った顔をした。
「あなたは、ラスターさんを利用したいだけなんです」
「それを君が言う?」ノアは少し苛立った。
「ラスターの夢を介して、アルシュを掌握しようとしている君が!」
「でも、代わりにラスターさんは幸せになれるんですよ? 痛い思いも、苦しい思いもしなくて済むんです。自分のせいで誰かを失う恐怖を味わうこともありません。ここにいる限りは、ラスターさんは幸せなんです」
 ふふ、とリンは笑った。
「君がその、本物のリンじゃなくても?」
「ええ」魔物は、自信満々に答えた。
「だって、本物のリンはとっくに死んでるんです。ラスターさんだってそれをどこかでわかってる。でも縋ってしまったんです。ニセモノの私に!」
 ……ラスターは、ノアよりも騙しあいに強い。夢に入ったばかりであれば、彼女をニセモノだと即座に理解し、対処したはずなのだ。
 ――縋った?
 シノの声がする。
 ――バカ言わないで! あんたが魔術でラスターの判断力を、丁寧に狂わせてたんでしょうが! ノアに殺される幻覚まで用意して!!
「今更気づいたところで遅いですよ、シノノメ!」
 ノアは目を見張った。彼女にはシノの声が聞こえていたようだ。
「所詮幻を司る精霊に、夢のことなんて何もわからないんですから!」
 リンの手に邪悪な魔力が渦巻く。ノアは思わず剣を抜いた。
「殺しますか? 私を、ラスターさんが愛した女を」
「君は違う。君はリン本人じゃない。その子の皮をかぶったニセモノだ」
 剣先を突き付ける。シノが「待って!」と叫んだが、ノアは構えを解かなかった。
「やってみてくださいよ」
 つかつかと、リンはノアに近づいた。
 リンが悲鳴を上げるのと、ノアが剣を振りかぶるのは同時であった。部屋の外から猛烈な勢いで突進してきたラスターは、ドアを蹴破る勢いで転がり込む。彼が目にしたものは、怯えた顔のリンと――。
「あんた、何をしてるんだ!」
 冷や汗が、垂れる。衝撃が、襲う。ラスターがノアを思いっきり突き飛ばしていた。
 床に転がったノアはアンティークの棚に頭をしたたかに打ち付けたが、なんとか夢から覚めずに済んだ。
 目を開く。その瞬間を見計らったようにして、ラスターの手に拳銃が現れる。
 都合のいい展開。ノアは思わず苦笑しそうになったが、口元に力を入れることでこらえた。何を言っても言い訳になってしまう。「このリンはニセモノで」と言ったところで今のラスターがそれを信じるわけがない。
 視界の端でリンがほくそ笑んだ時、ノアの視界は淡い光の世界をとらえた。ラスターは拳銃を使わないんだけどな、とも思った。
 ――ラスターは幻の中で、俺に殺された。
 シノの言っていた言葉が脳を巡る。今は立場が逆になっている。なんだか面白い話だ。
 一気に疲れてしまった。何だか眠たくなってきた。ノアは目を閉じた。誰かが笑っている。呆れたようにして笑っている。
 ……誰?
「やってくれたわねー」
 ノアは目を覚ました。
 ここが天国ですよ、と言われたら素直に信じてしまうかもしれない。ノアの足元にはクリームイエローとローズピンクの靄がふわふわと漂っている。空は白い。空が白いのではなく、何もないという方が正しいかもしれない。
 少し離れたところにいるシノノメは、少し輪郭が揺らいでいた。
「ここは?」
「夢の中よ」
「夢?」
 ノアは眉をひそめた。夢の中? でも、自分は今ラスターの夢の中に居て………?
 わけが分からなくなっているノアを完全無視して、シノはペラペラと説明を開始した。
「これ、結構大変なのよ。ラスター側に干渉してなんとかあなたのしでかしたことを幻にしたけれど、次はないんだから」
 口調は軽そうに見えるが、声色は完全に疲弊している。
「大丈夫、なの?」
 シノはその問いに答えなかった。代わりに、ノアの額を指で一度突いた。いつの間にか、距離が縮まっていた。
「あのちんちくりんが言ってたけど、ラスターのことになるとちょっと冷静じゃなくなるみたいね」
「当然だよ」ノアはここで、初めて自分が息を切らしていることに気が付いた。
「大切な友人が悪いように利用されて、しかもあんな……」
 ノアは天を見上げた。空はない。無の空間が広がっている。だが、その外側でノアは確かにコバルトの声を聴いた。
 ――らしくないね、ノア・ヴィダル。お前さんが得意なのは対話だろ。剣を抜くんじゃなくて。
「…………」
「どうかした?」
「……シノは、オシャレが好きだよね」
 シノは少し目を見張った。その話を今する必要があるのだろうかと考えた。
「ええ。好きよ。昔からずっと好き」
「アクセサリーは?」
「大好きよ。いっぱい持ってる」
「宝石はある?」
 シノは少し考えた。
「ちょっとしたものならあるけど、それがどうかした?」
「……お店にはいろいろなアクセサリーがあるよね。中には宝石のように輝くガラスの石だってある。それはニセモノの宝石だけど、それでもいいっていう人だっているよね」
 コバルトのため息が聞こえたような気がしたが、ノアは続けた。 
「……俺は、ラスターの夢の中でニセモノの幸せを悪だと言ったけど」
「まさか、それが正しいかわからなくなった?」
 ノアは黙り込んでしまった。シノの勢いが強すぎて、とてもじゃないが「はい」とは言えなかった。
「あのね――」シノはいったんため息をついて、両手でノアの顔を包んだ。ご丁寧に少し背伸びをしている。
「それは、ラスター本人から聞いたことなの? ラスターが、ガラスの宝石を望んだの?」
 ノアは思わず目を逸らそうとしたが、シノから「あたしを見て」と牽制が飛ぶ。ついでに腕に力がこもっている。顔を背けようとすれば、無理にでも頭の位置を正面に直す気満々である。
 ノアはシノの目を見た。これ以上ない真剣な表情の彼女を、ノアは初めて見た。夢と熱の加護を受け、幻を司る精霊としての矜持がある。
 かなりの沈黙があった。シノはようやっと腕から力を抜いた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「わからないなら、あたしが教えてあげる。――チグリジアの花言葉、知ってる?」
「チグリジア?」
「夢の中で、あなたの部屋に飾ってあった花よ。覚えていない?」
 そういえばそんな花があったような気がする。ノアは記憶の花が本当にチグリジアかわからないまま、頷いた。
「その様子じゃ、花言葉なんて知らないわよね」
 ノアはもう一度頷いた。シノは少しだけ間をおいて、そして「聞いて」という前置きをした。
 夜明けの空が、彼女の目の中にある。ノアはもう、目を逸らそうという気にならなかった。今なら目を覚ますことができる。窓に夜明けの空がある。
「チグリジアの花言葉は『私を助けて』よ」
 ノアははっとした。シノがいない。姿がない。ただ、彼女の自信に満ちた笑みだけが、そこにあるような気がした。
「他でもない、あなたに対するメッセージだったりするんじゃないかしら?」
 声だけがする。ノアは彼女を探そうとはせずに、ただただまっすぐに目の前の空間を見つめながら、会話をした。頬に手の感触があったのだ。
「そうなの?」
「夢って意外と単純なの。こういうところで、本物の彼の意志があらわになっているものなのよ」
 ノアは小さく息を吸った。
「ちょっとだけ、無茶をしていいかな」
「なにをするの?」
「ラスターと、話がしたい」
「それが、ちょっとした無茶になるの?」
 ノアは頷いた。
 幻を司る精霊は確かに笑った。
 ――やってみる。
 そして、ノアは悪夢の花屋の部屋にいた。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)