【短編小説】ノアと亡き夢の花屋 #2
こちらの続きです。
柔らかな青空が広がっている。
ふわふわと泳ぐ雲の影に隠れたがるようにして、きれいな花々が咲いている。バラにコスモス、パンジーにユリ。季節も何も関係なしに植物が育つのも、魔法の花壇のおかげである。
森の近く、隠れ家のようなおうち。何もかもがおとぎ話のような世界。小さいながらもオシャレな門の傍には「リンのお花屋さん」という看板が立っている。非常に精巧な造りで、きれいにヤスリもかかっている。
――ラスターの悪夢の中に、ついたみたいね。
シノの声が聞こえた。どうやら、彼女は自分の能力でノアに声を届けることができるらしい。
「ここが?」
――ええ。悪夢の中よ。
それにしては本当に穏やかだ。コバルトが唾棄した理由もなんとなくわかる。あまりにも都合がよすぎて、逆に居心地が悪いような……。
ノアは意を決して、門を引いた。家の方から誰かがやってくるのが、気配で分かった。
シノの声が、聞こえる。
――ここにいるラスターにあなたのことを思い出させて。それが、あなたの役目。
花壇に花が、揺れている。ラスターは確かに植物の世話を好いていた。これは毒。これは薬。そんなことを言いながらナナシノ魔物退治屋拠点の花壇に花を植えていた。これも、花屋をやりたかったという夢からきているものなのだろうか。
こちらにやってきたのは随分と小柄な女性だった。コバルトの「人畜無害で、とぼけた女」というのは実に的を射る表現とも言える。ダークブラウンの髪をゆるいお団子にまとめた、ほわほわとした印象の女性は、翡翠色の目でノアを見た。
「こ、こんにちは! リンのお花屋さんにようこそ、です! 私はリンって言います、お花屋さんをやってます!」
随分となれない接客は愛くるしさがある。しかしコバルトの話によれば彼女こそが、ラスターを悪夢に引きずり込み、商業都市アルシュを乗っ取ろうとしている元凶だ。
「こんにちは。俺はノア。旅をしていたのだけれど、道に迷ってしまって。随分と歩き続けて疲れてしまったのです。どうか少しだけ休ませてくれませんか」
リンはにこにこと可愛い笑顔を浮かべている。ノアの問いに答えもしない。
「あの、」
ノアがもう一度同じことを告げようとしたとき、リンは露骨に敵意を出した。
「帰ってください」
ノアは、本物の彼女はきっとこんな顔をするような子ではないのだろうなと思った。強い風が吹き渡る。ノアを追い出そうとしているのだとすぐに分かった。
「帰って!」
再度強烈な風が襲い掛かったそのとき、
「どうした?」
家の方から、聞きなれた声が届いた。
「リン、いったいどうしたんだ? せっかくのお客様じゃないか」
いつも。
いつもノアの傍にいた彼とはずいぶんと印象が異なる。自分の知らない一面だから仕方がないとはいえ、あまりの変貌っぷりにノアは多少なりともショックを受けた。
――仕方ないわ。夢に合わせて存在を作り替えられているから。
シノの声は少しだけ、ノアを励ますニュアンスを含んでいた。
「だ、だって……」
リンを演じる悪意がノアをなんとか追い払おうとする。しかし、ノアにはひとつ、特技がある。
「……私はノアといいます。旅の途中、山賊に襲われてしまい、命からがら逃げたのはいいのですが、食料や水が尽きてしまいました」
温厚そうな青年。そういった雰囲気を作り出すのには慣れている。裏の世界に身を置いていたラスター相手に通用するようなものではないが、この夢の中のラスターは残念ながらただの花屋のお兄さんだ。
「どうか少しの間だけ、休息を取らせてはもらえませんか」
そして、ノアはラスターの素を知っている。人の好さを知っている。
――大丈夫。コバルトが言うには、ラスターの知っているリンは、ここであなたを冷たく追い払えるような人じゃないみたいだから。
現実世界からシノの声が聞こえる。コバルトはまだシノの傍にいるのか、とノアは思った。
「……旅の途中かぁ。大変だな。よかったら好きなだけ休んで行ってくれよ。花しかないようなちっちゃな店だけど、気に入ってもらえたら嬉しいな」
「ありがとう、ラスター」
ラスターはキョトンと、不思議そうな表情を浮かべた。
「どうして、俺の名前を?」
ノアは、冷静に答えた。答えようとしてやめた。リンから聞いていたとか、さっき自分で名乗っていましたよとか、いくらでも取り繕う方法はある。だが、そんなことはできない。
……初めましての一言すら言えなかったのだ。
「……以前、君に会ったことがあるんだ」
ラスターは曖昧に笑った。何も思い出せないようだった。
「リン、ハーブティーを淹れよう。せっかくのお客様だ」
「ラスターさん、本当に大丈夫なんですか? 最近、悪い旅人さんが増えてるって聞きますよ」
「彼は大丈夫さ」
あっけらかんと言い放つラスターには違和感しかない。いつものラスターは疑念を抱く方だ。
「俺と以前会ったことがあるってことは、多分いい人だ」
むう、とリンは頬を膨らませた。そんな彼女の頭を、わしゃわしゃとラスターは撫でた。
シノの声が聞こえる。
――あなたの存在を、ラスターに植え付けて。思い出させて。彼を悪夢から引きはがして、取り戻すだけでいい。
ノアは頷いた。シノの声に頷いた。しかし、ここの二人に彼女の声は届いていないようだった。つまり。
「ほら、本人もそうだって言ってる」
ラスターは笑った。そして、ノアを家へと招待してくれた。
家はごくごく普通の木の家で、中には最低限の設備がある。新聞には得体のしれない文字とよく分からない写真が載っていて、シノが言うには「二人には必要のないものだから、そのあたりは構成が雑」とのことらしい。
「部屋はこの客間を使ってくれ。飯ができたら呼ぶよ」
「ありがとう」
ノアは礼を言った。客間もごくごく普通の部屋だ。怪しいところはない。枕元には見慣れない花が飾られている。まじまじと観察していると、ラスターが「それはチグリジアの花だよ」と教えてくれた。
「あと……リンのこと、許してほしいんだ」
「え?」
「普段、ここってあんまりお客が来ないからさ。デカい男が来たって怯えてるんだと思う」
「あ、……あー、うん。大丈夫」
ノアは、無理に笑った。盗賊ではないラスターにそれを見抜けというのは無理な話だったようだ。好都合といえばそれまでだが。
「ありがとう、ノア」
ラスターはごゆっくり、と言って、部屋を後にした。
ノアはしばらく、この悪夢の世界を観察することにした。
花屋と言っても客は来ない。リンは相変わらずノアに対して敵意をむき出しにしており、逆にラスターは気さくに接してくれる。二人で世話をした花は、家のあちこちに飾られたりラスターの工作の材料になったりしている。
太陽は常に中天に輝くが、たまに雨が降ってくる。しかし必ず天気雨で、雲が太陽を隠すことはしない。当然ながら夜もやってこない。まるで、本来のラスターが最も得意とする時間帯を丸ごと排除するかのようにして。
「旅人さん、旅に出なくて大丈夫なんですか?」
雨が上がったタイミングで、リンはそんなことを言う。
「出発には大事なタイミングがあるんだ。そのためには星を見ないとならないのだけど」
「ほし?」
ラスターが会話に割って入ってきたので、リンは慌てて話題を変えようとした。
「ラスターさん、そういえばマリーゴールドの押し花はできあがりましたか?」
「まだまだかかるよ、一昨日始めたばかりだから。……それより、『ほし』って何なんだ?」
もともと好奇心はある方だ。ノアはラスターに星を説明した。
「夜の空に輝く……」
「よる?」
「夜っていうのは、日が沈んだ後の時間で……」
「ノアのいたところでは、太陽が沈むんだな」
ノアは大声を出したくなったが、ぐっと我慢をした。そのとき、リンがテーブルの花瓶に新しい花を活けてきた。
「あれ、今日は随分と珍しい花だな?」
ラスターは目を丸くしたが、ノアは花に疎い。ラスターがそう言った理由が分からない。しかし、シノには多少知識があるようだった。
――クロユリ、ねぇ。
「花言葉は『愛』ですっ」
「へぇ、ロマンティックでいい組み合わせじゃないか」
ラスターが褒める傍ら、シノが鼻を鳴らした。
――あんまり真に受けない方がいいわね。ノア、魔物はあなたを露骨に嫌ってる。
「ラスターは、花言葉には詳しくないの?」
「俺は花そのものが好きだから、花言葉はあんまり」
リンがぷい、とそっぽを向いた。ラスターは眉をひそめた。
「どうしたんだよ。ノアが来てから随分と期限が悪いじゃないか」
「べ、別に深い意味はありません」
「あ、もしかして、俺がノアとばっかり喋っているから、嫉妬したのか?」
顔を赤くするリンを、ラスターが抱きしめる。リンの細い腕がラスターの体に回る。食虫植物にああいう動きをするやつがあったな、とノアは思った。
――ノア。
シノの声が聞こえる。
――花言葉って、複数の意味があるものが多いの。
ノアは、二人にばれないよう小さく頷いた。
――クロユリの花言葉は「呪い」よ。こっちの方がスタンダードかもしれないわね。
そんなことだろうと思った、とノアは肩をすくめた。呪い。呪いか。
……随分と歓迎されているようだ。
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)