【短編小説】様子のおかしい住人たち -最終話-
こちらの続きです
唖然とするアングイス。何事かと身構えるノアとラスター。そして、何が起きるか分かっているコバルトの作り出す静寂は、ほんの一瞬だけ……場を包んだ。が、一瞬は一瞬。あっけないものである。
――髑髏の円舞に最早悲鳴に近しい笑い声が響き渡った。
アッヒャッヒャッヒャ、エーヘッヘッヘ、オホホッホーォー! と表現を自在に変えて笑い転げるアングイス。引きつけの発作と見分けがつかないレベルである。床を拳でバンバン叩いてもどうにもならない笑いは、二人がピンクヒョウ柄Tシャツを脱ぐまで収まらないだろう。
「脱いだ方いいかな?」
「ナタリアに見つかったら怒られるぞ」
ラスターが抑揚のない声で制した。抱腹絶倒のアングイスをずっと見ていたいです、と顔に書いてある。
「でも……」
ノアは、床でのたうち回るアングイスを見つめながら呟いた。
「死んじゃいそうで……」
「俺たち、そんなにおかしいか?」
「俺は見慣れたからなんとかなってるが、不意打ちで視界に入ってきたときには終わったと思ったね」
コバルトは喉をグウグウ鳴らしながら、アングイスの代わりにシチューのアレンジを始めた。ラスターはまだ笑い転げるアングイスをからかうために彼女の元へと向かっていった。
「そうだ。なんであんな演技を?」
「ナタリアが来るからだよ」
小皿にシチューを注ぎ、味見をしながらコバルトは答えた。塩をひとつまみ追加して、再び味を見た彼は満足そうに頷いた。
「ナタリアが来るから?」
解せない、という様子のノアに、コバルトはにやりと笑う。
「あの女は王都育ちのお嬢様なのさ。アンヒュームは『哀れで』『みすぼらしく』『かわいそうな』存在である『べき』だと考えている。……お前さんは今日、俺たちの様子を見て『おかしい』と思っただろ?」
「うん。一斉にみんなで引っ越したのかと思った」
「普段の地区を見ているお前さんなら、今日の地区はおかしいと分かる。だがあの女にはそれが分からない。何故か? 慰問以外でここに訪れることがないからだ」
アングイスの笑い声が一段と大きくなった。ラスターがモデル歩きの後、決めポーズをしている。無駄に凜々しい表情とダサTシャツのギャップが笑いを誘う。
「支持者もそうだ。マメに地区を覗いていれば俺たちの嘘が分かる。だが誰も気づかない。普段寄りつかないからな」
「どのみち、君たちが演技をする必要が感じられないのだけれど。普段の様子を見せればナタリアは満足するんじゃないの?」
「……あの女、マグネターの地区に慰問したときに『こんなに発展した地区がルーツの手によるものなわけがない!』って癇癪起こしてこっちに来たんだよ」
「そんなことある?」
路上販売等の規制が激しい王都はともかくとして、普通、地区の規模や発展は都市の規模に比例する。地方都市のマグネターよりも商業都市アルシュの地区の方が発展しているはずだ。
「それすらも分からないってことだよ」
コバルトは、皿にシチューをよそい、スプーンを添えてノアに手渡した。一口食べると程よい塩味が味を引き立てて、鶏の旨味がじんわりと染みる。にんじんもブロッコリーの芯もホクホクで、野菜の旨味がにじみ出る。
「おいしい……」
思わず口をついて出た言葉に、コバルトは気を良くしたらしい。
「おかわりはいくらでもあるぞ」
ラスターにも一皿渡そうと振り向いたノアが見たものは、笑いすぎて呼吸困難一歩手間になっているアングイスの前で、変な動きをしているラスターだった。
しばし硬直し、ノアは何も見なかったことにした。テーブルに皿を置くと、今度はコバルトがゲラゲラ笑い出した。
「ところで……地区の人たちは、本当にこれでいいと思ってるの? 貧しいフリをして、お金をもらうという構図に……」
ノアは言葉を選ぼうとした。プライドはないのか、という表現をもっとマイルドにできないかを考えた。しかし、コバルトにはその意図が通じたのだろう。喉をグウグウ鳴らしてノアの問いに答え始めた。
「そりゃあ、アイツを素直に納得させることができるんだったらそれが一番だ。でもな、あの女が望むとおりのアンヒュームを演じるだけで結構な金が手に入るなら、トントンだろうよ。テーマパークと同じ原理ってことだね」
そこまで一気に言い切ったコバルトは、自分の皿からシチューを掬って食べた。
食事を終え、ナタリアの元へと戻る途中、ノアとラスターは地区の住人たちを見た。みんな銀貨の袋を持って楽しそうに笑っていた。しかしそれは、銀貨を受け取ったことからくる喜びではなく、他者を見下すときの笑みだった。
世間知らずのお嬢ちゃんが、意味もなく銀貨をばらまいている……。
「…………」
ラスターは何も言わない。聡明な彼はノアの心中をなんとなく把握できている。
と、ノアの足が止まった。ラスターも足を止める。
ナタリアと支持者が、愉快そうに笑いながらコーヒーを飲んでいる。
「本当、どうしてこの地区はいつまで経ってもみすぼらしいままなのでしょうね」
支持者が疑問を呈すると、ナタリアは肩を揺らした。
「仕方ないのです。ルーツの人たちは魔法に頼ることができないのですから。私たちがきちんと支援をしてあげないと、まともな生活なんてできるわけがありません。この地区も、私の支援がなければもっと無惨なものでしょう」
彼女の口調には、本物の同情があった。しかしそれは誤解からくるものだ。ねじれた同情はただの侮蔑。それを分かっている者がこの場にいたのならば、ナタリアに殴りかかっていることだろう。現に、殴りかかりそうになっているヤツがラスターの目の前に居る。
「ノアくーん? 落ち着いてねー」
ラスターがそんな呼びかけをしている隙に、ノアはツカツカとナタリアの元に歩み寄り、にっこり笑いながら挨拶をした。
「お疲れ様です」
ナタリアも「お疲れ様」と挨拶を返した。
「ルーツの人たち、喜んでいましたよ」
「それはよかった。あなたがたもルーツの人たちを取り巻く状況というものを、少しは理解できたかしら?」
「おかげさまで。……それより、ナタリアさんにお願いがあるんですが」
「え」
物陰で思わず声を上げてしまったラスターだったが、ナタリアの支持者に同業者はいないらしい。全く気づかれることはなかった。
しかし、その先……肝心の台詞が聞き取れない。支持者たちがノアたちの近くで鍋の後始末を始めてしまったからだ。ラスターは思わず舌打ちをした。ナタリアの顔がどんどん喜色に染まっていくのは見える。しまいには、ノアの手を取って勢いよく握手まで始めてしまった。
「ええ、ええ! 勿論! 構いません! お待ちしておりますわ!」
本当なら影の魔物・フォンを使役して会話を盗み聞きしたいところなのだが、誰かがフォンの苦手とする聖水をぶちまけたらしく近づけない。
「……何企んでるんだろうなぁ」
ラスターは、一人寂しくため息をついた。
ノアの企みは翌日、すぐに判明した。
地区入口付近の食事処、窓際の席を陣取ったノアは美味しそうに食後のコーヒーを楽しんでいる。ラスターはずっと窓の外を見ていた。
ナタリアが、ヒステリックに叫んでいる。支持者が彼女を止めている。地区住民はそれに怯むことなく勢いよく言い返している。中にはナタリアに生卵を投げつける者もいた。
「こんな賑わう場所をルーツが作れるわけがない!」
体裁を整えることなく叫ぶナタリアに、誰かが罵声を返した。
「お前が望むルーツ像を演じてやっただけだろうが!」
そんな醜いやりとりがガラス越しに聞こえてくる。
「……あんた、何をした?」
「ナタリアに『あなたの行動に感銘を受けました。明日また慰問活動の様子を見せてください。別の仕事が入っているので、遅れたり、もしかしたらご参加できないかもしれませんが、その時はすみません』って言った」
ナタリアの慰問活動は、基本的に地区に対して予告が入り、活動期間は経ったの一日だ。しかし「明日」という急な慰問であれば予告も何もないし、地区の住民も普段通りの生活に戻っている。
「だからあのクソダサTシャツ持ち帰ってたわけね……」
ラスターは頭を抱えた。
「本当に貧しいとしても、あんなプライドを捨てた支援に頼る必要はない。互いに互いを見下す関係なんて腐ってる。そこからくる依存関係なんて、地区が全部焦土になる可能性があったとしても捨てるべきだ」
「まぁ、一理あるっちゃあるけどさぁ……」
「アルシュの地区住民はナタリアなしでも生活できる人がほとんどでしょ」
ノアの口調が強くなった。ラスターはおとなしく「お口をチャック」のポーズをした。
「どのみち、ナタリアには必要なことだったよ。『地区の本来の姿を見る』という行動は」
ノアはそう言って、片手を上げる。ウェイターがやってきて、ノアのカップにコーヒーのおかわりを注いだ。
「…………」
ラスターはもう一度窓の外を窺った。ナタリアが「二度と来ませんっ!」と叫び、立ち去っていく。ふと、ラスターは視線をずらした。向かいの建物に潜んでいたコバルトと目が合った。
唇が、動く。
――やってくれたなぁ。
その口調はどこか嬉しそうであった。ラスターはゆっくりと、誰かに言い聞かせるようにして唇を動かした。
――やってくれたよなぁ。
コバルトが笑った。どうやら彼も、この騒動の引き金を引いた人物をノアだと分かっていたらしい。
そんなやりとりの存在などつゆ知らず、ノアは静かにコーヒーを楽しみ続けていた。
――依頼完了。
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)