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【短編小説】ノアと本屋とアングイス

 背伸びをしているアングイスを見かけた。
 商業都市アルシュの中心市街地と地区の境目にある本屋でのことだった。ノアは、店主から連絡を受けて人気小説の最新刊を買いに来ていたところだった。前回は予約を忘れて売り切れに泣いたので、今回は同じ過ちを犯さないようしっかりと予約をしておいたのだ。
 アングイスは平積みの本の上に手を置き、体重をかけながら懸命に体を伸ばしている。上から二段目の本棚に手をかけるのがやっとで、目当ての本の入手までには至らないらしい。
 ノアはあたりを見回した。踏み台の類は置いていないようだ。アングイスは小さなうめき声を吐き出しながら、懸命に腕を伸ばし続けている。
 ノアはアングイスの傍に寄った。
「どの本?」
 ノアが声をかけると、彼女は飛び上がった。少し宙に浮いていたかもしれない。
「ノアか! 脅かすな!」
 ぺしぺしと背中(アングイスにとっては背中のど真ん中を叩いているつもりらしいが、ノアにとっては腰だった)を叩くアングイスに、ノアは再度問いかけた。
「どの本を取りたかったの?」
「……」
 露骨に黙るアングイスを不思議に思ったノアは、本棚の最上段のラインナップを見る。

「マダム・ミラクルのステキなおまじない」
「知識ゼロでもOK! 元気が出る簡単な魔術」
「たいせつなあの人に贈る手作りアミュレット」……。

「わーっ!」
 跳ね上がったアングイスはノアの目を隠そうとしたが、身長百五十センチにも満たない彼女がノアの顔を覆うなど無理な話。すぐ近くで「気になるあのコのハートを鷲掴み 初級呪術一覧」という物騒な本を立ち読みしていた女が鬱陶しいと言わんばかりの嫌な視線を向けてきた。ノアは、なぜアングイスがやたら照れているのか分からないまま、彼女をなだめる方に力を割いた。
「ご、ごめん、まさか見られたら困るものだと思わなくて」
「うー……」
 不貞腐れて通路に座り込んだアングイスの向かい側にしゃがみ、ノアは彼女と視線を合わせた。
「本当にごめん」
「別に、いい。ワタシが勝手に情緒不安定になってるだけだ」
 唇を尖らせたまま、アングイスは問いかけた。
「……変だと思わないのか?」
「何が?」
「医者のワタシがあんな本に興味を持つことだ!」
「全然」
 ノアは即答した。
「いろいろな分野の魔術に興味を持つことは、悪いことじゃないと思うけど」
「そーじゃなくて! 医者なら治癒の魔術で患者を元気にすべきとか、あるだろ!」
 遠くから店主の大きな咳払いが聞こえた。アングイスは慌てて自分の口を手で覆った。ノアも声を潜めた。
「直線を引くなら巻尺より定規の方がいいし、腕の太さを計るなら定規より巻尺の方がいい、っていう話と一緒だと思うよ。医者が治癒系列以外の精神安定魔術を使ってはいけない決まりはないから」
 アングイスは少し唇を尖らせた。少し納得した、と顔に書いてある。
「ノア、ワタシを持ち上げることはできるか?」
「……こう?」
 ノアはアングイスの腰を掴み、軽々と持ち上げた。その際に「ひゃっ」という悲鳴が聞こえたような気もしたが、ノアは無視した。
「お、おお……背表紙がよく見える」
 アングイスが本に夢中になっている隙に、ノアは身体強化魔術を発動させた。なくてもなんとかなりそうではあったが、あればあったに越したことはなかったのだ。
「ノアはこの本を知ってるか?」
 鼻先すれすれのところにやってくる本のほとんどはノアがよく知っている書物だったので、ノアは「結構読みやすくてよかったよ」「火の魔術の知識がある程度ないとちょっと難しいかも」「俺は結構好きな類の本だけど、ラスターは途中で投げてた」と、その都度感想を投げた。アングイスは控えめな声量で「なるほど、読みやすいのか」「うーむ、ワタシは魔術そのものの知識はそんなにないからなぁ」「つまりワタシがこれを読破すれば、ラスターに勝てるというわけだな?」と反応を示す。
 アルシュの地区に住まうだけあって、彼女は地区の歴史書にも興味を示した。アルシュの地区に関する書物は結構多い。この国の都市に生まれた地区の中で、最も激しい勢力争いが繰り広げられただけのことはある。治安の悪化を一人で食い止め、地区を平定したとされている暗殺者「蒼鷹」は、小説や演劇の題材にもなっている。
 アングイスは時折夢中になって本を試し読みしていたが、ノアは彼女を急かさなかった。ノアだって試し読みで本を読破して、そのままレジに直行したことが何度もある。アングイスは時々、ノアに持ち上げられていることを思い出すらしい。その度に挙動不審になっていた。
「なぜ急かさない?」
「本を選ぶときの楽しみを邪魔したら悪いから」
「コバルトだったら小突いてくるぞ。『早くしろ』って」
「俺は小突かないよ。今日は予定もないし」
 ――結局、ノアはアングイスの買い物に数時間ほど突き合わされた。身長が低い彼女にとって、一番上の棚は未知の世界。ノアは魔術書から雑誌、小説……と、アングイスを持ち上げた状態で本屋の中を回ることになったのである。
 その労力に見合うだけの成果が出たのが救いだった。
「いい本がいっぱい手に入った! ありがとうな、ノア! とても助かったぞ!」
 満面の笑みのアングイスは文字通り「ご満悦」と言ったところか。主に精神状態を安定させる類の簡単な魔術を扱った書籍が多めだが、ついでと言わんばかりに様々なジャンルの本を購入していた。
「お役に立てて何よりだよ」
 右腕には自分の本、左腕にはアングイスの購入した書籍一式。荷物持ちはノアが申し出たことだ。これだけの量の本を持ったアングイスがよたよたと歩いているのを見て、いてもたってもいられなくなったのだ。
「そもそもワタシはな、オマエにずっとお礼をいいたかったんだ」
 地区に差し掛かったあたりで、アングイスがそんなことを言い出した。
「お礼?」
 アングイスの表情が見えないが、彼女は真剣な様子であった。足が止まる。ノアもつられて立ち止まる。アングイスは勢いよくノアを見上げた。
「……コバルトの呪傷を治してくれて、ありがとう」
 彼女の眼差しはまっすぐにノアを貫いた。ノアは「まだ完治させるまでには至っていない」と言おうとしたが、アングイスのセリフがそれを阻止した。
「ホントはワタシが治せればよかったんだが、呪いは専門外だった」
「治療術師でも、解呪を扱える人はそういないからね」
 アングイスは頷いた。
「ノアは知らないと思うけどな、アイツ、いつ死んでもおかしくなかったんだ。目をそらしたらすぐ……」
 アングイスは手を拳銃の形にし、指先をこめかみに当てる。その動きがあまりにもリアルだったので、ノアは思わず固唾を飲んだ。
「っていう状態だったからな!」
「……そうなの?」
 ノアの反応を見て、アングイスはちょっとだけニヤリと笑った。
「だから、よかった。オマエはホントにイイやつだ」
 そう言って、アングイスはノアの隣にやってきた。
「さ、ワタシのアパートまではあと少しだ! 行くぞ!」
 景気づけに、彼女はノアの背中をバシバシと叩いた。しかし、やはり身長差のせいで実際に叩いているのは腰のあたりである。ノアはそこには触れず、普段よりも狭い歩幅で歩き始めた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)