【長編小説】ノアと冬が来ない町 第十一話 暁
熱が引き、冷気が降りる。新たな魔力を注がれた私兵の中で、術式が変化するのをノアは見た。敵意がある。ラスターの足が床を撫でる。逃げる判断を留まったのだ。
「どうする? 相手するか?」
「おそらく、この調子だと私兵の援軍がこちらに来るはずだ」
ノアはやや急いた口調でラスターの問いに答えた。
「さっきも来てたもんな」
「うん。だから正直ジリ貧になることはあっても、事態が好転するとは思えないかな」
「逃げるか?」
ノアは頷いた。逃げるしか方法がなかった。
「そっちの扉から行って! 向こうはもう通れない!」
アカツキを担いできたシノが声を張る。彼女に殴りかかろうとした私兵は、死角から飛んできたヒョウガの拳に沈んだ。突如別の魔力を注がれた私兵たちはまだ本調子ではないようだが、この後どうなるかは火を見るよりも明らかだ。
眠ったままのアカツキをシノが担ぎ、ノアが先陣を、ヒョウガが殿を務める。もうあれこれ言っている場合ではなくなったのだ。なぜなら――。
「っ!」
私兵たちの動きが格段に速くなっており、戦闘能力が上昇しているからだ。コガラシマルほどの身のこなしではないとはいえ、全くの別物であると考えてよさそうだ。撃ち漏らしは後ろのラスターが確実にとどめを刺してくれる上に、ヒョウガが都度氷の壁を張って挟み撃ちを防いでくれている。背後を気にしなくていいというのは助かる。
「ヒョウガ、ここだ! ここを塞いでくれ!」
ある程度逃げたところでラスターが声を張る。ヒョウガはやや慌てながらもラスターの指示に従い、通路を分厚い氷で塞いだ。小さな部屋だった。部屋というよりは設計上開いてしまった空間を部屋にしたものだろう。シノはずるずるとその場にへたり込み、ラスターに関しては遠慮なく寝転がっている。ノアも同じようなものだ。地図を広げる気力がない。が、そんなことを言っている場合ではなかった。
「ほんとに大丈夫なのか?」
ヒョウガの問いに誰も何も言えない。
「状況を整理しよう」
代わりにノアが話を切り出した。すかさずラスターがそれに反応した。
「そもそも私兵たちはコガラシマルの魔力で動いているってことだよな? だったらヒョウガがなんとかできたりするんじゃないのか? 操ったりとかできないのか?」
「いや、おそらくアカツキと同じで魔力が変換されているはず」
ノアがヒョウガの方を見た。ヒョウガは頷いた。
「上手く説明できないんだけど、なんか、こう、もっと悪い感じがする」
「悪い?」
「コガラシマルの魔力って、すごく純粋っていうか、スパッとしてるんだけど……今のこの魔力は淀んでいる感じがする」
「自分の扱える魔術、一応確認しておいた方がいいわね」
シノが付け足した。ノアとヒョウガは手のひらで簡単に魔力や術の確認を始める。
「シノちゃんは確認しなくてもいいの?」
ラスターがシノに話しかけるが、シノは肩をすくめながら答えた。
「あたしはやらなくてもわかる。質が落ちてる。さっきかけた暗示の魔術が不安定になってるもの」
「難儀だな、魔力持ってるやつは」
「そう? あたしからすればあなたみたいな人の方が大変そうだなって思うけど」
ラスターが口を開くより先に、ヒョウガが割って入った。
「オレはラスターが羨ましいよ」
おや、と思う。ラスターは歪みそうになる口に力を込めて、なんとか表情の変化を防いだ。
「魔力がなくても動き方を知ってるっていうのはすごく強いんじゃないかなーって」
「あらやだ、ほめてくれてありがと」
ラスターはさりげなくヒョウガの肩に腕を回す。なぜかガチガチに緊張するヒョウガに対し、ラスターは「今度チューしてあげる」とジョークを投げたが、「いっ、いらない!」と即答された。
「で、ノアはどう? 上手くいかない魔術、ある?」
「……治癒の魔術、身体強化、魔力強化」
全員が沈黙した。
戦闘時に重要とされる基本的な支援魔術が軒並み使えないというのは一種のハンデになる。特に治癒の魔術が使えないというのは心もとない。一気に空気が重くなったのを見て、ノアは慌てて口を開いた。
「しょ、障壁魔術はなんとかできそう! ちょっと脆くなってるけど」
フォローになっていないフォローを入れる時点でかなり追い詰められているという証明になる。そこにヒョウガが「障壁魔術なら、オレも似たようなことできるよ!」と、こちらもフォローになっていないフォローを入れた。
「これで副町長を殴りに行くってわけ? なんだか気が滅入るなぁ」
ラスターはアカツキに目をやった。すやすやと眠っている。気を失っているのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「ところでさ、こいつ大丈夫なの? 今のドタバタでも起きないって」
「ねぇ、ノア。今何時?」
すぐに魔術を展開できる状態になっていたノアは、シノの問いにすぐに応えられなかった。代わりにラスターがノアの服のポケットに手を突っ込んで、懐中時計を確認した。
「夜の一時だ」
どおりで眠いわけだ、とヒョウガは思わずあくびをしてしまった。シノは肩を落とした。
「やっぱり。起きないわけよね」
「夜だから?」
「ええ。夜だから眠ってるの」
「叩けば起きない?」
ラスターが平手打ちの構えをした。ノアが「ラスター」と彼の行動を窘める。が、シノは平然とアカツキの頬を打った。パァン! と景気のいい音が部屋に響く。ノアはもちろん、ラスターも目を丸くする。ヒョウガに至っては自分が頬を打たれたかのようにして自分の右頬を撫でていた。
それでもアカツキは眠っていた。右頬にシノの手形がくっきりとついている。
「この子は夜の間は絶対に起きていられないの。日没とともに眠りについて、夜明けとともにおきる。そういう性質があるわ」
「だ、だからって本当にはたかなくても」
ヒョウガがふにゃふにゃとした活舌でシノのことをやんわり窘めた。
ノアはアカツキの魔力を見た。ナボッケの町で感じた魔力とは別のものだ。触れると温かい。何かをやり遂げようとする活力が体の奥からみなぎってくるあの感じに似ている。命を奪うような熱とは違う。
「俺たちはてっきり魔力源の、アカツキの魔力と相性が悪いものだと思っていたけれど……」
ノアの口から言葉が漏れる。自然と声が出ていた。
「変換後の魔力に付与された別の魔力と相性が悪かったんじゃないかな」
「そうなのか?」
ヒョウガも好奇心に駆られて、アカツキの頬にぺたりと触れる。先ほどシノが思いっきりビンタした場所だ。ヒョウガが「ほあー」とぬくもりを楽しむ一方、ノアは考え込んでいた。
「ラスターは全然問題ないんだよね?」
「俺? 俺は全然。この通り元気」
「つまり効果が出てしまうのは基本的に魔力を持つ人たち、と考えていい……」
ノアはおもむろにヒョウガの腕に触れた。ヒョウガが「何?」と尋ねてもノアは返事をしない。ぶつぶつと何かを言っている。
「副町長は確実に俺たちの妨害をするつもりでいるだろうし、アカツキを助けたときみたいに上手くいくかどうかは……。ただ、今回はヒョウガくんがこっちにいて、コガラシマルに干渉できたとすれば……でもおそらくその辺りの対策を相手が考えてないはずがなくて……」
独り言をつぶやきながらひたすらヒョウガの腕を撫でているノアに、ヒョウガはじっと耐えている。
「ところでさぁ」
ラスターがぽつりと口を開いた。
「俺がこの入り口を塞げって言ったのは、あっち側からの侵入ルートがこの通路で一本化するからなんだよな」
「それがどうかしたの?」
シノが首をかしげる。
「ここってもう一つ入り口があるだろ?」
「そうだけど……」
「そっちからの入り口であればここに到着できるんだよな」
「何がいいたいの?」
ラスターは立ち上がった。
「あいつら、コガラシマルの魔力の影響で機動力が上がってる可能性あるよな」
全員が凍り付く。そして、もう一つの入り口の方を見た。もしもこの推測が正しいのであれば、あちら側も氷で塞ぐ必要が出てくる。
「早く奥に行った方がいい、ってことだよな?」
「仮眠取らなくて平気か?」
ラスターがヒョウガの方を見た。ヒョウガは唇を尖らせながら答えた。
「……こんな状況じゃ、眠った気にならない」
「そうだな。さっさとコガラシマル回収するか」
ラスターは下りの階段を見た。奥から何かの気配がする。
「待ち伏せだね」
ノアが声を潜めた。
「俺たちが来るのを待ってるみたい」
「何も心配いらないって。待ち伏せはバレた瞬間失敗だから、ゆっくり行こうぜ」
ラスターはそう言ってすたすたと歩き始めた。少しすると「ぎゃッ」「ぐおっ」という悲鳴が響いてくるのが分かる。
「そうだよな、そうなるよなぁ」
ヒョウガは息をついた。
「コガラシマルってさ、防御とか支援とか……そういう魔術一切使えないんだよな」
そして、ラスターの後を追った。
「シノ、立てる?」
「あたしは問題ないけど……」
「俺がアカツキを担ごうか?」
「大丈夫」
シノは弟の体を何とか担いだ。自分に幻術を展開してなんとか動けるようになっているらしい。
「あたしより、あなたが機敏に動ける方がきっと都合がいいし……それに、あたしの弟だから」
「分かった。無理はしないでね」
ノアはシノに、先に行くよう指示した。殿は自分が務める。道を塞ぐヒョウガの氷が徐々に溶けている。シノが行く。ノアも背後を気にしながら、進んだ。撃ち漏らしがない。全員ぴくりとも動かないまま倒れている。シノがゆっくりと、慎重に歩いている。追い付いてしまったらしい。
「まずはラスターたちに追い付こう、それまでは俺が運ぶよ」
「……分かった」
シノは慎重にアカツキを預けた。ノアは少しよろめいた。結構な重さだった。シノの細い体で彼を運ぶのは相当つらいのではなかろうか、とノアは思った。
先行するラスターとヒョウガのおかげで問題なく先に進むことができる。その一方で魔力の濃度が上がっているのが分かる。わずかにコガラシマルの魔力を感じる。彼もまた、あのカプセルの中から脱出しようともがいているのだろうか。
ラスターが手を振っているのが見える。扉の先が目指すものらしい。扉を開けるジェスチャーをする。正面から離れるよう手が動く。ノアたちはその通りにした。
ラスターの判断は正しい。こちらが来ると相手が分かっている場合は、こうして待ち伏せを回避する必要がある。例えばその場で姿勢を低くとるとか、少しずれるとか。扉が開いた瞬間、正面に立っていた誰かが銃の引き金を……というパターンだってある。だからラスターのふるまいは正しい。何も間違ってはいない。
ただ、ラスターは知らなかった。副町長が、この事件の黒幕が、ラスターの想像以上に狂っていることを知らなかった。
ラスターが扉に手をかけたその瞬間、魔術が扉を貫いた。
「っ!?」
鉄製の扉を貫いたその魔術は四発。うち三つは誰にも当たらなかったが、残りの一つが問題だった。血が飛ぶ。一瞬何が起きたのかが分からなくなるが、すさまじい激痛に歯を食いしばった瞬間に理解する。渾身の力で扉を引いたラスターはその場に倒れこむ。
「アンヒュームに魔力の気配なんてわかりませんよね」
腹を貫かれた。視界が激痛に色を変える。
「ラスター!」
すかさずノアが治癒の魔術を展開するが、術式が不安定だ。これでは傷を塞ぐ効率が悪い上に、ラスターの体にも負担になる。
「コガラシマルを解放して! そうすれば術も安定するはずよ!」
シノが叫ぶ。その声に反応したのはヒョウガだった。真っ先に部屋に飛び込んだ彼が見たものは、凍り付いたカプセルの中で無理やりにでも外に出ようとしているコガラシマルの姿だった。魔力をぶつけてカプセルを壊そうとした結果、内部が凍り付いてしまっているようだ。それでもまだ藻掻いているのを見る限りでは、まだ余裕があるのかもしれない。
「あなたは……なるほど、あの精霊の契約者ですか」
「分かってるなら話が早いな」
ヒョウガが跳ぶ。大きく振りかぶって副町長を殴ろうとするが、障壁魔術で拒まれる。
「契約者も一緒にカプセルに入れてやりましょうか。そうすればもっと面白い結果が見れる気がします」
カプセルの中でバキ、と大きな音がした。今の発言が中のコガラシマルにも聞こえていたらしい。ヒョウガは変則的に攻撃を仕掛けていくも、すべて的確な障壁魔術に阻止される。決定打がない。これが意味するところはつまり、ヒョウガがただ消耗しているだけということになる。早く加勢しに行かなければならないところ、ここでノアが離脱すればラスターが死ぬ。シノはノアの魔術を安定させようとあれこれ幻術を駆使しているが、こちらも例の魔力の影響で不安定だ。
「腹に穴開いてるのに全然痛くないな……」
呑気なのはラスターただ一人だ。傷口に触れようとしてノアに手を叩かれている始末。
「幻術で痛みを感じないようにしてあるの」
「そりゃあいい」
「動いちゃだめよ、中身出ちゃうから」
「っ!」
ノアが息を詰まらせた。ばちり、と治癒の魔術がはじけた。
「ダメだ! 術式が安定しない!」
焦燥が精神を追い詰める。ただでさえ不安定な魔術が余計に揺らぐ。
「カプセルからコガラシマルを引きずり出すしかないわ、そうじゃないと魔術はどう考えても安定しない」
「でもラスターが――!」
「俺は平気だから行ってきてくれ」
「だからそれは幻術で――」
ガラスの割れる音がした。シノが「行って!」とノアの背を叩く。
「なるべく早く戻る!」
「ノア! 可能であればカプセルを熱してみてくれ! 急激な温度変化で割れる可能性がある!」
ノアは返事をしなかったが、おそらく聞こえているはずだ。
部屋に飛び出ていったノアの後姿を見つめながら、シノがラスターに魔術を展開する。
「あんた、治癒の魔術できたのか?」
「見よう見まねよ。正直ほめられたものじゃないけどやらないよりはマシ」
部屋の向こうで魔力が爆発する。ノアのものだ。本職の魔術師相手にどこまで渡り合えるのかは分からないが、そんな弱音を吐く余裕はない。棚に投げ飛ばされたヒョウガはしばし痛みに呻いていたが、ノアの声に気が付いて何とか体を起こす。カプセルの向こうにコガラシマルの影が見える。ガタガタ言っているのは猛烈な風がカプセルの中で暴れているからだ。
「の、ノア……! ラスターが熱を入れれば、って!」
「ああ。だけどそのためにはまず、あれを抑えないとね」
ノアが剣を抜いた。副町長は目を細めた。
「魔術では勝てないから、剣を扱うのですか?」
「両刀というだけの話だ。君を抑えたうえで、コガラシマルを助けて、ラスターを救うためなら……使えるものは全部使う!」
魔力のぶつかり合いが始まった。
シノは歯を食いしばっていた。シノの治癒の魔術はノアのものよりも不安定で、事態を好転させるまでには至らない。早く、と思う。早くこの、魔術の展開を邪魔する魔力を止めてほしいと思う。そうしなければ助かるものも助からない。
「諦めてもいいんだぜ?」
うわ言のようにして、ラスターが呟いた。いよいよ失血が響いてきている。不安定な治癒の魔術によるごまかしもここいらが限界といったところだ。
「頑張ってる人に向かって言うセリフがそれ?」
「俺の油断のせいだ、あんたのせいじゃない」
「あたしは諦めない」
思い出す。ノアの治癒の魔術の展開を。同じような術は何度か見たことがある。繊細な魔力操作を用いて、それでいて魔力の転換が必要な高難易度の術。自分にそこまでの技術があるとは思えない。もともと精霊族は幅広い魔術の扱いは得意としない。シノなら幻術しか扱えないし、コガラシマルも「防御や支援の魔術は一切使えない」とヒョウガが言っていた。
「あたしは、やまない雨も明けない夜もないって言いきりたいタイプなの」
ラスターは何も言わない。少しだけ口元が綻んだようにも見える。
「だから諦めない、絶対に……絶対に!」
必死なシノを見て、ラスターは笑ってしまった。ノアにそっくりだと思った。
ノアも、ラスターも、ヒョウガも、コガラシマルも、当然シノも気づいていなかったが――。
外の世界では地平線から、ほんの少し、ほんの少しだけ、太陽が覗いていた。
少しずつ、少しずつ、暗闇が薄れていた。
夜の眠りについていた精霊の目が、ゆっくりと開いたところを、見ている者はいなかった。
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)