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【短編小説】フランケンのコーンスープ

 高校時代、フランケンと呼ばれているクラスメイトがいた。本名を佐藤さとうけんという。
 ゴツい外観と無口な様子がフランケンシュタインみたいだ、ということでそう呼ばれるようになったのだが、原作小説を読破している私からすれば無口というのは少々違うのではないかと思う。いや、別に彼をフランケンと言いたいわけではないのだけれど。堅くんはもうクラスメイトからは「フランケン」と呼ばれるものだと思っていて、名字や本名ではぱっと反応してくれないことが多かった。
 本人はフランケンと呼ばれること自体は別に嫌では無かったらしい。いつぞやのホームルームで担任の男教師が「クラスメイトに酷いあだ名をつけていないか?」と真顔で尋ねてきたことがあった。担任の顔はフランケンに向けられていたが、本人は「大丈夫です」と答えていた。


 それは秋の大会が開かれる頃の話だった。私たち二年生はスタメンの座を争って各々頑張っていたのだが、私はスタメンどころかレギュラーにすらなれなかった。しかも二年生でレギュラーになれなかったのは私だけで、本来私が入るはずだったポジションには一年生の子が入った。同期のメンバーが「大丈夫だよ!」とか言ってくるのがいたたまれなくて、私は少し席を外した。その際に「そんなんだからレギュラー取れないんじゃない?」と言った女は次の大会でスタメンから外されることを私は知らない。だが今なら言える。ざまぁ。

 傷心状態の私は人気の無い屋上行きの階段に腰掛けてふて腐れていた。俯いて自分の体操服の柄をまじまじと見つめていた。吹奏楽部が楽器を練習する音や、グラウンドで鳴り響くホイッスルの音には気がついたが、階段を上ってくる人の気配には気づかなかった。
 はっと顔を上げると、そこには堅くんが居た。彼はちょっと驚いた顔をしていたが、すぐに自分がここにいるべきではないという勘を働かせたようで、そそくさと去っていった。私は何も言わなかったけれど、ふたたびイジケ虫モードに突入した。ウォームアップで温まった体が冷えてきたので、少し肌寒かった。
 あー、何が悪かったんだろうなぁ。シュートの精度も褒められてきた矢先の事だったし、引退前に美咲先輩は「これならみんなレギュラーになれそうだね」と笑っていた。私の名前が呼ばれなかったことに気がついた人たちがこっちに視線をやったときの、あのぞわぞわする感触。なんだかなぁ、と心がざわついた。もう全部なかったことにしたい。
 調子に乗っていたのかなぁ、とか。
 みんな馬鹿にしてたのかなぁ、とか。
 言葉の裏があるんじゃないかと疑ってしまう自分の浅ましさが憎い。
「あの」
 虚空を見つめて泣いていた私の前に、気がついたら誰かが居た。堅くんだった。私は涙と鼻水とでグチャグチャになった顔で彼の事を見つめた。今の状態なら確実に私の方が顔面フランケンだ。堅くんは少し申し訳なさそうにして、私に何かを差し出してきた。
 コーンポタージュの缶だった。
 多分、私はもう既にどうにかなっていたのだと思う。普通だったら「や、大丈夫!」とか言って丁重に遠慮というものをするのだけれど、私は何故かそれを受け取ってしまっていた。
 鼻水を啜った私は勢いよく缶を開けて、ゆっくりと中身を一口飲み込む。じんわりとした温かさが口の中いっぱいに広がって、優しい甘みが舌を包み込む。それがまた泣けてきた。堅くんは辛抱強く私の目の前に居た。
「部活はいいの?」
 私の第一声はありがとうではなくこんなとぼけた言葉だった。
「終わった」
 堅くんはちょっとぶっきらぼうに答えた。彼と親しくない人は彼の態度に怯えてしまうが、私は同じクラスになってそこそこの付き合いがあるので、彼が単に口下手だということを知っている。
 私はスープをちびちびと飲んだ。時々コーンの粒がころんと流れ込んでくるので、私はそれを奥歯で丁寧に潰してやった。
 次の私の言葉は「どうして?」だった。今になったからこそ思うのだが、この女は「お礼はなるべく早く言う」というのを徹底すべきだ。
 堅くんは少し迷っていた。言葉を探しているのだとすぐに分かった。
 私はスープを飲みながら彼の言葉を待った。冷えた体がじんわりと火照る。ああ、もうそういう時季なのかと思った。外の自動販売機に、コーンポタージュが並ぶ季節なのだ。
「落ち込んでるように見えた。迷惑だったか?」
 堅くんはそう言いながら私の事をじっと見つめている。
「俺は、その、話すのがあまり上手くないから、こういう方法しか知らん」
 最後の方はほとんど消え入りそうな声だった。缶の中身も空っぽだ。底にへばりついた一粒を除いては。
 私はありがとう、と言って立ち上がった(ここでやっと言ったのだ)。
「部活、戻るね」
 そう言って階段を降りようとした私に、堅くんは手を差し出した。
 空の缶を捨てる、と言っているのだ。私にはすぐ分かった。

 このときのコーンスープの味が忘れられなくて、私は時々自販機を探して歩き回る。お目当てのスープを見つけて飲むのだけれど、あのときの、ちょっと涙の味が混ざってしょっぱい感じとか、冷えた体が暖まっていく感じとか、少しずつ条件が違っているので同じ味には出会えていない。ただ、私も彼みたいになりたいと思った。落ち込んでいる人に、黙ってスープを渡す人になりたい。私はどうしてもあのときの友達みたいに「ガンバレ」とか「ダイジョウブ」とか、ついつい言いたくなってしまうタイプだから。
 彼のように、黙ってスープを差し出して、黙って傍にいてくれる。
 そういう優しさを与えられる人に、なりたいとあの時強く思ったのだ。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)