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【短編小説】己が信ずる夜明けへ向かって 1話

 庭先で趣味の園芸をしていたラスターは、こちらにずんずんと歩を進めてくる影に飛び上がりそうになった。何故か覇気迫る表情のシノの後ろを、弟のアカツキが陰気な顔でおとなしくついてきている。ラスターは自分の後ろを見た。ナナシノ魔物退治屋拠点の家が普通に建っている。続けてラスターは時計を見た。朝の六時半。
 ……六時半だそうだ。
「おはよう、ラスター」
「早いねぇ」
 ラスターは土を撫でながらシノの声に応えた。
「朝食も食べるか?」
「軽く済ませてきたわ」
「そう? 今うちの専属シェフが腕によりをかけて作ってるところだけど」
「大丈夫」
 数度会話を挟めば、概ね人の精神状態が分かる。シノは朝っぱらから機嫌がよくない。むしろ朝だから機嫌が悪いのだろうか。よく見るとアカツキがバツの悪そうな顔をしている。なるほど、彼が原因らしい。ここで「何かあったの?」と聞こうものなら突沸間違いなし。ラスターは花壇にスコップを刺して、姉弟の対応に移った。
「まぁ、ひとまず中に入ってくれよ。ノアたちにも挨拶したいだろ?」
「そうするわ、ありがとう」
 シノは、やはりずんずんと歩いていった。アカツキが肩をすくめて後に続く。ラスターは小さく息をついた。なんだか緊張感があるなぁ、と思った矢先のことだった。
 シノの怒鳴り声が空をぶち抜いていった。
「…………」
 ラスターは少し迷ってから、玄関の扉に耳を近づけ……る必要はなかった。真っ先にノアの声が聞こえる。
「お、落ち着いて! 何も今すぐそうなるってわけじゃないんだから!」
「落ち着くも何もないわよ! 聞いた? このバカまた精霊自治区に戻る気でいるんですって!」
「バカってなんだよ! バカって!」
「はぁ? 今から死にに行きますーって宣うやつのことをバカって言わずに何て言うのよ!」
 姉弟喧嘩を止めようとするノアの声と、怒鳴りあいの声。しばらく気づかないふりをしてよう。触らぬ神になんとやら……と思っていたところ、視線が刺さる。
「……何やってんだ?」
 窓からヒョウガが顔をのぞかせている。
「盗み聞き」
「入ればいいのに」
「あんな状況のところに入る勇気、あると思うか?」
 ヒョウガは「うーん、」と言い淀んだ。素直に「そうだな」と言えばいいのにこういうところで人がいい。
「あんたはどうした?」
「……食卓にごはん運びたいんだけど、喧嘩が激しくて入れない」
「そりゃあ困ったな。手伝うよ」
 ラスターは立ち上がった。外の水道で手を洗ってから部屋に入る。ちょうどノアの身体拘束魔術が炸裂する瞬間を拝みながら、ヒョウガが作った朝食を運ぶ。アマテラス料理ではなくきちんとソリトス流のメニューを作っていたのでラスターは驚いた。味噌汁がついているのはコガラシマルのお気に入りだかららしい。
「パンに味噌汁って合うのか?」
「分からない。でも具材を合わせてあるから大丈夫だと思う」
 具を見るとかぼちゃがごろごろと入っているのが見える。やわらかな黄色が食欲をそそる。
 そそるというのに。
「飯の時くらい喧嘩を辞めぬか! このうつけどもが!」
 ……厄介なのが出てきた。とはいえ、サラダボウルを持ちながら怒るコガラシマルの迫力はだいぶお粗末だが。
「大丈夫。喧嘩は一時休戦させるから」
 ノアが穏やかな笑顔を見せる。そして、アカツキとシノを別々の部屋に運んだ(シノからは「ちょっと!?」という悲鳴が上がった)。そして、そのまま扉を閉めてしまった。
「さ、食べようか。あの二人は大丈夫。朝ごはんは食べてきたって話だから」
 ノアは笑った。ヒョウガだけがちらちらと扉の方を見ていた。
 ヒョウガが作るご飯は本当に美味かった。この後修羅場が待っているにしても美味かった。かぼちゃの味噌汁はかぼちゃの甘みがダシに溶けていて、これがまたパンにマッチした。
「これ、もう扉開けなくてよくない?」
 食後の紅茶(これはラスターが淹れた)を飲みながらそんなことを言うラスターに、ノアは首を横に振った。
「流石にそういうわけにはいかないよ」
「消化に悪そう」
「いっそ外に出すのはどうだ?」
 酒飲みの二人が物騒な提案を並べるも、ノアは無視して姉弟を回収した。
「さて、話を始めようか」
 ノアは二人を椅子に座らせて紅茶を出したが、現在進行形で身体拘束魔術が続いているので当然手が出ない。
「アカツキが島に戻るっていうから」
「だってそりゃそうなるだろ!」
「だからそれが無謀だって言ってるの!」
 ノアの肩が動く。ため息をついたのだ。
「落ち着いて。まず双方の言い分は分かった。アカツキは島に戻って精霊族解放のために戦いたい。シノは心配だから反対。そうだろう?」
 妙に圧のあるノアの口調に、姉弟は一気におとなしくなる。
「精霊族の状況ってどうなんだろう。あんまりよくないとは思うけど……」
「悪いに決まってるだろ」
 ヒョウガが即答した。すかさずコガラシマルが補足を投げる。
「部族長も散り散り、地の部族長に至っては戦死している。つまり精霊族をまとめる役割を持つ者がいない。反乱軍が各地で抗戦しているようだが……首輪を外すまともな手段がない以上、戦況は絶望的だ」
 シノが「ほら見なさい」と言わんばかりに胸を張った。しかしそこでおとなしくなるアカツキではない。
「だからこそ、戦力が必要なんだろ」
「あんたね!」
 着火速度が尋常じゃないシノをなだめつつ、ノアは考えた。
「仮にアカツキ殿が島に戻り、反乱軍に加わったとして……日没と同時に眠りについてしまう体質はあまりにも致命的ではないか?」
 考えている隙に、コガラシマルが特大の燃料をぶち込んだ。
「それはなんとかする!」
「なんとかならなかったからあのクソ田舎の動力源にぶち込まれてたんじゃない!」
「あれはいろいろ状況が悪かっただけ!」
「寝てる間に殺されるのが関の山ね」
「襲撃食らわないよう昼頑張ればいいだけの話だろうが!」
 すう、とノアが音を立てた。呼吸だ。ただの呼吸。だが、ラスターはその意味を知っている。
「いい加減にしろ!」
 全く関係のないヒョウガだけが飛び上がった。コガラシマルも姿勢を正している。大声でその場を収めたノアは、にっこりと笑いながら姉弟を牽制する。
「島に戻るにせよこっちに残るにせよ、問題がある」
 シノとアカツキの目を交互に見つつ、ノアは告げた。
「島に戻る場合、アカツキの『日没を迎えると強制的に眠りにつく』という体質が戦場において相性が悪いのが問題。そして、こっちに残る場合、アカツキくんに『やりたいことがない』のが問題」
「やりたいことなんて、暮らしていくうちに見つけていくものでしょ」
「でも、もう一週間は経ってる」
「たった一週間でそんなの分かるわけないじゃない!」
「ストップ。シノの言う通りだけれど、戦況を考えると島に戻るのは早い方がいいよね。何よりソリトスここはアカツキにとって慣れない異文化だ。もしかしたら、例え命の危険があってもソリトスにいるより精霊自治区に戻る方がいい……ということだってあるかもしれない。単純な判断はできない」
「じゃあどうするんだ? 戻るのか?」
 ラスターがそういうと、シノがぎろりと彼を睨んだ。
「二か月」
 ノアは言い切った。
「二か月様子を見よう。それで心境が変わらないなら止める術はない」
「二か月……」
 シノはまだ何か言いたげだったが、アカツキは素直に「分かった」と言った。
「それならアカツキ殿、少々付き合ってはいただけぬか」
 コガラシマルが即動く。アカツキはじっとノアの方をみた。身体拘束魔術を解除してくれという意思表示だ。ノアは素直にそれに従った。
 二人が外に出た後、シノが声を張り上げた。
「信じられない!」
 彼女の分の身体拘束魔術を解除しようとしたノアの動きが止まる。
「普通止めない? 死にに行こうとしてるようなものじゃない、どうして猶予を与えたの?」
「本人が納得できていないのなら、無理に引き止められないよ」
「その理屈が通るのなら、あなたは弟さんが興味本位で底なし沼に向かっていくのを『無理に引き止められない』とか言ってじっと見てるってこと?」
「それとこれとは話が違うよ、シノ」
「あたしからすれば一緒よ」
 シノは立ち上がった。そして魔術を発動させる。ノアが息を詰まらせた。自身に幻術を展開したシノが、身体拘束魔術を無理やり解除したのだ。
「帰る」
 完全に不貞腐れモードのシノはそう言い放つと、空間に穴をあけた。夢の世界を経由して自宅へ帰還するのだ。ノアがシノの名を呼んだが、シノはそれをまるっと無視した。この移動方法は歩くより早いが魔力を消耗する上に、犯罪に利用できると外野から思われるのもあってあまり好きではない。
 シノはため息をついた。自室の時計を見ると七時半。まだ出勤には間に合う。シノは弟のことを頭の片隅に追いやって、職場へと向かった。中でギルド職員の制服に着替えて、後は適当に時間をつぶせば勤務時間になる。
「おはようござ……」
 挨拶が途切れる。先に来ていた人たちがシノの方を見てひそひそと何かを話す。まどろっこしい。シノはわざとらしくため息をついて、ひそひそ話をした女のところに猛進した。目を逸らしたところで遅い。
「何?」
 女の肩を掴む。目が恐怖に滲むのが見える。シノは苛ついた。ただでさえ弟の件で導火線はホットだというのに、こんなところで余計な体力を消耗したくはない。
「別に何も……」
 半端に湿気を吸った小麦粉のような声で女が弁解する。ますます苛ついた。どうしてすぐにバレる嘘をついてどうにかなると思ったのか。
「何もないなら人の顔見て陰口叩く必要ないじゃない。何?」
 女と話をしていた別の女が「ちょっと」と鼻息荒く仲裁に入ろうとしたが、シノの相手ではない。
「あなたには聞いていない」
 援護射撃をぴしゃりとはたき落とし、シノは女の肩を掴む手に力を込めた。女の体がびくりと跳ねた。……見かねたのだろう。別のところから男性職員の声がした。
「掲示板見てきなよ」
「掲示板?」
 シノは問いを返したが、返事はなかった。女の肩から手を放し、シノは職場の掲示板を確認する。周知事項や近隣のイベント情報が張り出されているボードだ。
「…………」
 案外冷静だった。ついにこの時が来たかというような余裕がわずかにあった。
「精霊族であることを隠してたんだって」
「マジで? アマテラス人だと思ってた」
 周囲の陰口が急激に明瞭な輪郭を持つ。
 シノは踵を返して職場の外へと歩を進めた。
 ――身分詐称による謹慎。処分は追って連絡があるという。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)