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【短編小説】己が信ずる夜明けに向かって 2話


 紅茶に湯気が立つ。
 ヒョウガはどこか落ち着かない様子でレモンのはちみつ漬けを浮かべる。
「ノアだったら、アカツキのこと強く止めると思ってた」
 レモンスライスをそっと沈める。ヒョウガは明らかに困惑していた。ノアは少し申し訳ないことをしたな、と思った。
「外野が無理に止めても意味がないからね」
「そういうものなのか?」
「俺はどちらかというとアカツキ側だったから」
 ラスターは外で作業をしていたが、つい先ほど肥料を買いに街に出た。空のカップはあえてそのままにしてある。戻ってきたときに紅茶を飲めるように。
「何かを変えるだけの力があると思い込んでいたんだ、だから、そうした・・・・
「死ぬ可能性があったとしても?」
「うん」
「…………」
 ヒョウガはきょとんとした。意外、という顔をしている。無理もないな、とノアは思う。才能がどうとか、実力がどうとか、そういった理屈で説明できない事象が世の中にはある。自分が動かなければ、という使命感は当人の能力を問わずに頭上から降ってくる。
 だからノアは王都騎士団に入隊した。自分ならアンヒューム差別をなくせると信じて。
 ……結果は悲惨なものであったが。
「オレもちょっと、分かるかも」
「ヒョウガくんも?」
「……オレは、ノアみたいにすごい魔術師じゃないし、刀だって扱えないけど、ひどい目に遭っている精霊族を多少助けられるかなって思ったことはある。思っただけ、だけど……」
 外から足音が聞こえる。ラスターだ、と呟いたノアは早速空のカップに紅茶を注ごうとした。が、ラスターはすさまじい勢いで室内に転がり込んできた。なんなら何もないところで躓いて転びそうになっていた。ヒョウガが窓の外を見る。魔物か何かが出現したと思ったのだろう。そのくらい、ラスターの動きは緊迫していた。
「シノがギルドをクビになるかもしれないぞ」
「……え?」
 手元が狂う。ノアは紅茶を少々テーブルに注いでしまった。ヒョウガがぱたぱたとやってきて手際よくこぼれた紅茶を拭いていく。
「ギルドに身分を……自分が精霊族であることを隠して入ったのがバレたらしい」
「何で?」
「知らん。誰かがチクったんだろ」
「誰が?」
「知らん」
「シノが精霊族だって知ってるのは、俺たちとコバルトぐらいだと思うけど……」
「そうでもないかも」
 ヒョウガがテーブルを拭きながら答えた。
「コガラシマルは一目でシノが精霊族って見破ってるし、同じ精霊族なら可能性はあると思う」
「どのみち誰かがタレコミしたってのは確実だ」
 ラスターはそう言って椅子に座った。ノアが「肥料は?」と問いかけると首を横に振る。トンデモニュースを新鮮なうちに持ち帰る方を選択したようだ。
「身分詐称でクビになるのか?」
「うーん、悪質ならありうるけれど、ギルド側に不利益は生じていないからせいぜい減給処分じゃないかな……」
 ノアは外套を手に取った。
「どこに行くんだ?」
「ギルド。様子見と情報収集」
 ラスターは少しぐったりした。が、すぐに立ち上がってノアの肩を叩いた。
「俺も行く。人多い方がいいだろうし」


 ギルドはいつも通りだった。シノがいないことを気にする人はいない。もともとシフト制で動いていたので、彼女が見当たらないと人々が気づくのはもう少し後のことになるだろう。ノアは辺りを見回した。ラスターが既にカウンターの職員にシノの出勤予定を聞いている。
「シノさんいます?」
「しばらく出勤予定はありません」
 無愛想な職員だ。ギルドの女子職員は基本的に塩対応の確率が高いとはいえ、それにしてもひどい対応だとノアは思った。
「しばらく? 何かあったんです?」
「…………」
 職員が言葉に窮した隙に、ラスターはカウンターの奥を見た。掲示物がある。職員向けの情報を伝達するためのものだろうが、さすがにこの距離だと中身までは見えない。
「ご用件は何ですか?」
 職員が話題を変えた。
「シノちゃんに、話があるから手がすいたときにギルドに来てほしいって言われてて」
「そうでしたか。でも彼女はしばらく来ません」
「出勤予定もないんですか?」
「はい」
「ほんとに何かあったんです? まるで謹慎処分になっているみたいだ」
 職員がゆっくりと目を逸らした。そのしぐさを見逃すラスターではない。
 ――分かりやすい。
「大丈夫ですか?」
 カウンターをのぞき込む動きをしつつ、ラスターはペンダントをつついた。物陰に隠れて影の魔物が伸びていく。フォンを使えば遠くの掲示物を読める。
「…………」
「彼女が謹慎になるような情報、どこから来たんだ?」
「知りません」
 職員の手が小さな装置に伸びる。迷惑客が来た時のアラームだ。ラスターは「分かった」と言ってその場を後にした。
 ラスターの影にフォンが宿る。こうすれば自然に影の魔物を回収できる。ノアが肩を抱いてきた。自分はそんなに傷ついた顔でもしてたのだろうか。ヒョウガが伸びあがっている。こちらの頭をなでる気でいるらしい。
「やっぱり謹慎なのは間違いないな」
「ラスターはどこから情報を持ってきたの?」
「初報はギルド職員の雑談おしゃべり盗み聞きから。単なる愚痴かとも思ったがどうもそうでもないらしくて。裏は取ったが告げ口した奴が『シノちゃんが精霊族』っていう情報をどこで掴んだのかまでは突き止められなかったな」
「これからどうするんだ?」
 ラスターの頭を撫でようと奮闘していたヒョウガが尋ねる。ノアは少し考えてから答えた。
「コバルトのところに行ってみようか」
 ヒョウガは少し固まってから、「あ、ごめん、そうじゃなくて」とやたら早口で弁解した。
「シノはこれからどうするんだ? もしもギルドをクビになったとして就職口あるのか? 精霊族ってソリトスだとあんまり、最近ちょっと扱いが……」
「確かに。地区で好き勝手する精霊族が多いってアングイスがキレてた」
 個の力が高い精霊族はどうしても協調性に難があることが多い。その一方で魔術師たちは自分の力を高めるために精霊族との契約を推し進めようとする。そして生まれつき魔力を持たない人――アンヒュームにとっては、精霊族も魔術師も同じようなものである。
 ヒョウガとラスターがわちゃわちゃと話をする中、ノアはぽつんと呟いた。
「……島に戻る」
 二人の会話が見事に途切れ、彼らは同時にノアを見た。
「アカツキと一緒に島に戻れば、自分がアカツキのことを守れると考えるかもしれない」
 ものすごく、ものすごく嫌な空気が流れた。ヒョウガが露骨に絶望の表情を浮かべたので、ノアは慌てて「もしかしたらの話であって、確定したわけじゃないから!」と言った。
「でっ、でも、もしそうなるとしたら、止めないと……」
「アカツキと同じように猶予期間を与えたいところだけど、シノはソリトスでの生活が長いからなぁ……」
「朝の勢いで突っぱねそう。もう海洋都市シノートに向かってたりして」
 ラスターが余計な燃料を投下する。ノアはラスターの足を思いっきり踏んだ。
「アカツキとコガラシマル呼んでこないと!」
 完全にその気になっているヒョウガが地区に向かって走り出す。ラスターはすぐに彼を追いかけることはせず、チラリとノアの方を見た。
「久々にあんたの踏み付けを食らった気がする」
「俺も久々にラスターの足を踏みぬいた気がする」
 暢気な会話をしてから、二人はヒョウガを追いかけた。ヒョウガは魔力の気配でコガラシマルがどこにいるのかをおおざっぱに把握できるのだ。以前のように、娼婦に変な絡まれ方さえされなければなんとかなる。


 薄汚い酒場に、シノは足を差し込んだ。鍵のかかった扉が開かなかったので、仕方なく例の異空間移動術を用いて部屋に侵入した。目当ての人物はボックス席にいた。度数の強いブランデーと料理と言っていいのか分からない物質がテーブルにある。よく見ると奥の方ではカラスの魔物が丸くなっている。
 その時だ。テーブルを観察するシノの傍で、空気が爆ぜる音がした。
 銃弾が腹に直撃するも、シノの体は魔力の霧になって消えていく。店主は驚きもしなかった。ただ一言「またか」と言った。
「話すらさせてもらえないの?」
 シノは店の入口付近にいた。
 すたすたと近づいてくる彼女に、店主は何も言わない。
「常識のないやつと会話する時間はないね」
 代わりに席が喋った。正確には「席に埋もれた人物」が。
「いいかい? 店に入るときはドアから入る。開かなかったら閉店時間。これが人間界の常識だ。子供ガキだって知ってるぞ」
「あたしのことをギルドに告げ口したのはあなた?」
「…………」
 ソファーは黙った。そして震えだした。シノが一歩近づくのと同時に、テーブルの料理たちが少し跳んだ。
 コバルトは死ぬのではないかというレベルで笑っていた。何も知らない人がこれを見れば彼の哄笑をなんらかの病の発作と思うだろう。
 シノはあっけにとられたが、だんだん腹が立ってきた。何がそんなに面白いというのだろうか、という疑問そのものがシノに強烈な不快感を植え付ける。「ちょっと、」と声をかけるのと同時にコバルトは呼吸を整え始めた。
「何でお前さんが精霊族だってことを、俺が、いちいちギルドに告げ口せにゃならんのだ!」
 そこまで一気に言い切ったはいいものの、また大声で笑い始める。まともな会話ができない。
「子供殺しを邪魔されそうになった腹いせとか、何かあるでしょ」 
「腹いせ!」
 その言葉にまたあーひゃッひゃッひゃと笑いだすコバルト。テーブルの淵を拳で軽くたたきながらの悶絶。
「外見は立派な大人のクセして、思考は乳臭いガキときた!」
「何ですって?」
「実際そうだろう? 自分の思い通りにならなかったからって! 腹いせに! 告げ口!」
 コバルトはヒュッヒュッと音を立てて呼吸をし、そしてヒイヒイ言いながらブランデーのボトルに手をかけた。
「ああ、くるしい。勘弁してくれ。そんな貧相な想像力で犯人捜しなんてお笑いだね」
「つまりあなたじゃないってことね」
「犯人捜しを続けるならやめたほうがいい」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「私はバカな女ですー、と触れ回りたいなら止めないがね」
「さっきからいちいち癪に障る物言いだけど、こっちは職を失いかけてるのよ」
「なら自宅で大人しくしてりゃあいい、謹慎処分だというのにあっちこっちで犯人捜しをしているようじゃ反省の色も見えない」
「反省って――!」
「経歴詐称したのはお前さん自身だろう?」
 コバルトはぴしゃりとシノの言葉を遮った。
「ならどうしてその嘘を嘘のまま守り切ろうとしなかった?」
 シノが反論に口を開くのと、店主が「そろそろ開店するぞ」と言うのは同時だった。コバルトはシノを放置して、怪訝そうな顔を店主に向けた。
「昼も営業するのか?」
「ランチタイムだ」
「飯が不味いくせに?」
「バカにするな。ここは昼から飲みたがるやつも多いんだ。お前と一緒で」
 コバルトは満足そうに頷いた。確かに、と言っているのだ。
「だそうだ。あんまり馬鹿でかい声で喧嘩をするようなら追い出されちまう」 
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らして、ブランデーを飲んだ。
 シノは構わずコバルトの向かいに座る。
「あなた、情報屋でしょ?」
「そうだが?」
「あたしが精霊族だってバラしたやつを突き止めてよ」
 コバルトは一瞬動きを止めたが、すぐにゆっくりと口を動かした。
「銀貨五千枚」
「ごせっ……!?」
「値下げ交渉は受け付けない。それでもよけりゃあ調べてやるよ」
「ひ、人の足元を見て……!」
 ふん、とコバルトは鼻を鳴らした。納得いかない様子のシノはしばらくコバルトを睨んでいたが、コバルト本人が気にするそぶりを見せない。
 扉のベルがチリン、と鳴った。「いらっしゃいませ」と店主が言う。
「アカツキ!?」
 シノが席を立つ。コバルトは鼻を鳴らした。ようやっと落ち着けると思ったのだ。
 ……その予測は見事に外れることになる。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)