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【短編小説】淺海リクを殺したのは誰だ

 私は淺海あさみリクが同人誌を出すと聞いたときには、特に不安を感じなかった。リクは自分の印刷物がそこまで捌けるとは思っていなかったが、フォロワーに背中を押されてこの度オンリーイベントに参加する運びになったのだ。
 私はROM専なので絵を描くとか小説を書くとか、そういったことには縁のない生活を送っていた。リクが本を出すなら買おうかな、とも思った。ただそのくらいの認識であった。
 だから私はこんなことになるとは思っていなかったのだ。共通フォロワーはリクが悪いと言い張る人々ばかりであったが、私にはそう思えなかった。だが、同時に、彼女(私はリクの性別を知らないが、ここでは便宜上「彼女」とする)が被害者かというとそれもまた違う気がするのだ。

 感染症の流行で大型イベントの開催に制限が掛かった結果、同人誌即売会は会場をオンラインに移した。同人誌製作から撤退したり、倒産する印刷所が少しばかり出てきた頃、印刷所を応援する動きがより一層強く出てきた。今までに本を作ったことのない人たちに「一冊からでも……」と宣伝するツイートが明らかに増えた。同人誌製作に対して高いハードルを感じる絵描きや物書きを、なんとかして誘い込もうとする動きが確かに生じていた。
 その中でも特に、私の居た界隈は「異常」であった。
 もともと旬ジャンルにはほど遠く、過疎だの斜陽だのといった言葉がお似合いだった。そんなジャンルのマイナーカプとなれば「過疎」というよりも「限界」、「斜陽」どころか「日没」といった状況である。私はここを居心地がよいと思っていた。理由としては、旬ジャンルに居た頃に頻発した学級会に疲れ果てていたから、というのが大きいだろう。しかし、一部の人たちはどうも我々ROM専が筆を握らないのを煩わしく思っていた節があると思う。事あるごとに絵のハウツーをリプライで送ってきたり、小説の書き方サイトを紹介したり……単純な私はそれに倣ってヘッタクソな絵を投稿してみた。向かって左の目を省略し、両腕を後ろで組んだ推しの絵である。
 いいねはひとつもつかなかった。
 一週間くらい経過したころになって、偶然私の絵を見かけたリクがいいねをくれたが、その頃には私の創作意欲なんてとっくに枯れ果てていた。創作できる者たちのおこぼれに預かって、私はその村で暮らしていた。
 ……話が逸れた。とにかく印刷所を応援しようという流れがこちらにもやってきたとき、限界集落マイナーカプ地区の住民たちは「創作はするが、本を出したことのない淺海リク」に「リクさんの御本ほしいです~」と媚び始めた。
 私はこれを、印刷所応援にかこつけて自カプ本を増やしたいだけの行動だと踏んでいた。
 リクは「ちょっと今は仕事が忙しいので難しいと思うのですが……考えてみますね」と言っていた。私は特に出しゃばるようなことはしなかったが、自ジャンルのオンリーがオンラインで開催されると知って、なんとなくリクも本を出すのかなと思った。

「オススメの印刷所です!」
「○○出版はオプションが豊富で……」
「原稿の描き方はここが詳しいですよ!」
「あ~、リクさんの御本がついにこの手に来るのか……(妄言)」

 というようなエアリプが飛び交う様子を、私は「宗教みたいだな」と思いながら見ていた。
 淺海リクはまんまと担ぎ上げられた。
 サークルカットと共にオンリーイベントへの参加を表明したリクのツイートにはいいねが山ほどついた。私はいいねとリツイートを投げておいた。彼女のツイートは少しだけ限界集落の外へと広がった。

 同人誌製作の先輩方は淺海リクに対して様々なアドバイスを投げた。

「本なんてそんな気負わなくて良いよ! ペラ紙一枚でも折れば本!」
「背景とか誰も見ないでしょ、みんな推しの顔を見たいんだから背景なんて真っ白でいいのよ」
「誤字脱字も味のウチ! 気にしない!」
 
 私はそれを「ほんとか?」と思いながら聞いていた。
 ――想像する。
 私は今、同人誌即売会に向けてサークルとお品書きを確認している。そこに淺海リクのお品書きがやってくる。サンプルはこちらです。私はそのサンプルを見る……真っ白な絵、顔しかない漫画――いや、上手い。手が描けなくて誤魔化した私より断然に上手い……上手いが……しかし……。

 ――私はこれに、「金を払う」のか?

 いや、違う。違う……なんと言えば通じるのだろうか。分かる、分かるのだ……確かに同人誌即売会において……どんな本を出すかは作者の自由であり、私たちに文句を言う権利など存在しない……。どの本も平等に尊く、素晴らしいものである。優れた作り手から生み出された作品はそのクオリティがどうであれ、価値を持つ……ピカソのデッサンと私が描いた渾身の推しの絵……どちらに価値があるかは一目瞭然だ。だからといって……。
 いや……私がどうこう言えることではない……私が……描くのをとっとと辞めた私が……この違和感を……伝えたところで、どうにも……。

 淺海リクの初めての同人誌は、全年齢向けオールキャラのギャグ本(申し訳程度にカップリング要素はあるらしい)で、私はそのサンプルを見たときにこう思った。思ってしまったのだ。
 ――表紙詐欺、と。
 絵は素晴らしいのだ。リクは本当にいい漫画を描く。しかしTwitterにアップしている作品よりもクオリティの下がっている書籍に価値はあるのだろうか? リクのファンなら首を縦に振るだろう。しかし……。
 これは私の余計な心配なのかもしれない。
「始めてのおつかいじゃないだから!」「でも僕は心肺なので……」という推しカプのやりとりを見つめながら、私はどうすればよいのか分からなくなってしまった。

 そして……事件は起きた。
 私はそのオンリーイベントで淺海リクの本を購入した。他の参加者が出した本にそこまで魅力的なものがなく、推しカプの本に関しても、なんだか食指が動かなかった。他の本を一冊も買わないのであれば、せめて淺海リクの本だけは買っておこうと思ったのだ。私は適当なアバターで即売会に入室して、淺海リクのスペースで早急に買い物を済ませた。誰にも見つからずに会場を出てからは二度とそこに足を踏み入れなかったし、その日はTwitterすらも覗かなかった。

 イベント終了の翌日、私は久々にTwitterに浮上した。そのタイミングで、淺海リクが創作活動の引退を宣言していた。

 理由は、「本が売れなかったから」だった。

 私は自分の抱いていた不安が現実になってしまったという後悔と、「そりゃ、あのクオリティなら売れないだろうな」とも思った。しかしリクはとんでもないことを呟いた。なんと、本は一冊しか売れなかったそうだ。これには私も驚いた。あれだけ「御本うれし~!」「リクさんの新刊!」とか言ってキャッキャしていた連中は何をしていたのだろう。
 しかし同時に思う。……まあ、誰が何の本を買うかは自由だ。作家をやる気にさせたからと言って、完成物を購入する義務はない。

「えっ、何それ。私たちのせいってことですか?」
「別に背景描くなとは言ってないじゃん」
「そのくらいの気軽さでやれって意味だったのに、鵜呑みにしたのはリクさんですよね?」
「ひえぇ~、被害者面やめてくださいぃ……」

 リクをよいしょと担ぎ上げた連中は、一斉に手を離した。放り出された淺海リクは粉々に砕けて死んでしまった。私は彼女が筆を折った事実よりも、彼女に本を出すよう焚きつけた連中の掌返しがショックだった。私は何も見なかったフリをして、タイムラインで息を潜めていた。しばらくすると、私のフォローとフォロワーの人数が一ずつ減っていたので、淺海リクが居なくなったという事実を確認した。

 一週間後、私の元に一冊の本が届いた。淺海リクの最初で最後の著作は私の不安通りの出来映えで、全てのページのどこかしらに誤字脱字が存在した。しかし、やはり絵のクオリティは素晴らしく、背景がほとんど真っ白だな……と気になるところはあるものの、ストーリーは彼女の朗らかな作風が全面に出ていた。買って良かったと思える本に違いなかった。
 後書きには「初めての同人誌で緊張しまた、いつかチキンとリメイクして、ちゃんとした者を作りたいと思ってます」と、やはり誤字脱字まみれで書いてあった。書いてはあったが……このリメイク本どころか、淺海リクの新刊は二度と生まれないと、私は分かっている。

 一体誰が悪いのだろう。
 アドバイスをしたフォロワーたちか?
 それを鵜呑みにした淺海リクか?
 それとも……クオリティの高い同人誌に囲まれ、舌が肥えてしまった我々か?

 ――淺海リクを殺したのは誰だ?

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)