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【短編小説】名もなき夜の夢を

 バカ正直に誰かを助けたいとか、何かに必要とされたいとか、そんな願いは早々にドブへ捨ててしまった。人並みの幸せというものを知らないままそれを求めたところで、それが許される生き方をしていないと気づくのにえらく時間が掛かった。目の前で死にそうな魔力無しアンヒュームの老人を蹴飛ばす若者を、本気で殺しにかかる連中を笑って眺める生活が一番よいのだと思う。
「最近眠れなくてね」
「それは先週も聞いたぞ、ラスター」
 包帯ぐるぐる巻きの趣味の悪い医者は、これ以上は薬を出せないと言う。ラスターはほくそ笑んで「それは先週も聞いた」と言った。
 酒場――髑髏の円舞ワルツ。悪趣味な店の奥には、裏稼業の人間専門の医者がこうして定期的にやってくる。ラスターもここをよく利用している。不眠をなんとかするためだ。
 しかしここ最近、このヤブ医者はラスターに睡眠薬の処方を渋る渋る。渋ったところで結果が同じならこのやりとり自体が余計な手間だ。
「処方してくれないなら俺にも考えがある。自分で作ればいい」
 医者は歯をカチカチ言わせた。先週もこの台詞で睡眠薬を処方する羽目になっている。
「仕事用じゃないんだよな?」
「うん、自分用」
 あー! という医者の悲鳴に、ラスターは耳を塞ぐ。観念した医者は、白い粉の入った小瓶をラスターに投げ付けた。恐ろしく鍛えられた反射神経でラスターはそれを見事にキャッチする。
「ありがと、愛してる」
「うるさいうるさいうるさい、このクソ患者め!」
 医者の罵倒に投げキッスを添えてやると、メスがすっ飛んできた。即座にしゃがんで回避すると「オマエほんとに嫌い!!」という罵倒が飛んできた。

 コバルトは「この世界の連中は程度の差はあれどみんな不眠だよ」と言うが、ラスターもそこに異論はない。ただ、なんとなく、かつての自分がそうしていたように、夜に眠り、朝に起きる……というようなことをしてみたくなったのだ。
 尤も、薬の力を借りたそれに、理想があるのかと言われると疑問ではあるが……。
 処方された(強奪した、の方が正しいかもしれない)薬を飲むと確かに眠ることはできる。ただなんとなく眠った気がしない。一度苦情を入れたが「眠ってるならいいんじゃないの」と素っ気ないものだった。ヤブ医者め、という悪態はなんとか飲み込んでごまかした。そうする他なかったからだ。
「ラスター、ちょっといい?」
 今日も粉を胃に流し込み、今後どうするかあれこれ考えていたそのとき、扉をノックする音とともにノアの声が聞こえた。
 開いてるぞー、と答えると遠慮がちにノアが入ってきた。
「今度の依頼の事なんだけど――」
 そう切り出したノアの視線は、机の上に置かれた瓶に釘付けになった。みるみるうちに曇っていく彼の顔を見て、ラスターは椅子から飛び上がった。
「違う! 違う違う、あんたの想像してるヤバい方の粉じゃない! 普通の薬!」
「そ、そう……? ならいいんだけど……どこか悪いの?」
「え? あー、まぁ、元々不眠気味だったから薬もらってきた」
 嘘はついていない。全てを話していないだけで。
 そもそも、薬なしでも三時間は眠ることができる。これでも大分改善した方だ。普段はペンダントの石に宿っている影の魔物・フォンが自分の代わりに見張りをしてくれるからこそ、三時間も無防備な姿を晒すことができる。逆に言えば、フォンが居ても三時間しか眠れない。
 ――あーあ、不健康。
 ラスターは瓶の蓋をそれとなく閉めた。
「それで、依頼ってのは?」
「あ、そうだった。えっと、明後日の依頼は別の魔物退治屋と合同任務になるみたいなんだ」
「指名手配された魔術師の捕縛だな」
 ラスターは依頼書を見た。既にノアと自分の指紋が載っている。合同任務の相方がどんなものかは分からないが、まぁなんとかなるだろうと思う。
「指名手配されたのをいいことに、禁忌に触れてアンデッドの蘇生実験なんかもしているらしい。既に近隣の村では家畜が被害に遭ってる」
「へぇ、先日の調査ではただ逃げてるだけって話だったのにな。指名手配食らったのを知ってヤケになったのか?」
 分からない、とノアが言う。彼は机の睡眠薬をじっと見たままだった。
「ノアも気になる?」
 下手にはぐらかしても無駄だと思い、ラスターは思い切って踏み込んだ。
「え、いや! 俺は別に」
「とか言いつつ毎晩報告書作成に追われてるじゃないか」
 分けてやるよ、と瓶を取ったラスターの手を、ノアはもの凄い勢いで掴んだ。大袈裟だなと思ったラスターは次の瞬間、急激な眠気に襲われた。
「っ?」
 なんだこれ、と動かしたはずの唇が動かない。そこまできてようやっと、ラスターは既に薬を飲んでいたことを思い出した。実に間抜けな話である。コバルトとヤブ医者がこの場にいたら腹を抱えてゲラゲラ笑い転げることだろう。
 ノアの魔力の気配がする。何かしらの状態異常を懸念したのだ。しかしこれは正当な眠気であり、かつての自分と同じ事をしているだけである。
 夜に眠り、朝に起きる。
 おはようより先にごめんなさいを言うのは、初めてかもしれないが。


 急に眠ったラスターに驚きつつも、ノアは冷静に治癒の魔術を発動させようとした。悪意のある状態変化ならこれで治るはずだが、と思ったところで小瓶の存在を思い出す。
 ……どうやら、彼はこの薬を既に服用していたらしい。
 不眠を理由に処方してもらったらしい睡眠薬は、砂糖と似ている粉だった。効能はバッチリあるらしい。寝息がすぐ近くから聞こえてくるのだから。
 ランプの炎が揺れる以外はなにも動かない部屋で、ノアはラスターの身体を抱き上げた。ペンダントから現れた影の炎――魔物のフォンが、不安そうにくるくると床を這いずり回る。
「大丈夫、寝かせるだけだよ」
 そう伝えるとフォンは安心したのか、数度くるくる床を這い回ってからペンダントへ戻っていった。
 使われた形跡がほとんどないベッドにラスターを寝かせる。脱がせた靴の所定位置が分からないが適当でよいだろう。
 人の寝顔を見る機会などそうないのだが、ラスターはまるで眠るのを義務であるかのようにして眠るのだな、とノアは思った。あの薬のおかげで目を閉じて休息を取ることができたとしても、果たして本当に彼は休めているのだろうか?
 ノアはふと、指先で小さな魔力の玉を作る。
 昔、父がよくしてくれたおまじないだ。誘拐事件に巻き込まれたノアが眠れないとぐずったとき、「いい夢を見られるおまじない」と称して父がかけてくれた魔術は、ほんの僅かな安らぎの魔力を分け与えるだけのシンプルなものだった。
 迫り来る暗闇が怖くて仕方がなかったノアは、父の魔術のおかげで無事に穏やかな朝を迎えることができた。あのときは本当におかしくなりそうだった。暗闇からぬっ、と手が伸びる様子を勝手に想像しては悲鳴を上げそうになった。しばらくの間、手が作り出す影が恐ろしかった。
 ラスターにも、そういうものがあるのだろうか。手が作り出す影のようなものが。
 これが誰にとっても効果的なものなのかは分からないが……もしも悪夢に飛び起きたと言われたときには素直に謝ろう。
 ペンダントからフォンは出てこない。この魔術が害を成すものではないと、炎である彼は分かっている。
 小さな魔力をラスターの額へ載せて、ノアは小さく呟いた。
「おやすみ、ラスター」


 久しぶりに夢を見た。
 夢を夢だと認識するのはラスターにとってはよくあることだ。自分は子供に戻っていた。これは多分、ここいらで一番防犯意識が低そうなオヤジの家に盗みに入ろうとした頃だろう。ラスターはなんとなく見知った道を歩いて行く。整備されていない道は非常に歩きづらいが、それは大した問題では無かった。猫がにゃあと鳴いている。ガリガリに痩せた猫は時々貴族連中の駆除対象となる。
 例のオヤジの家は近い。角を曲がれば特徴的な家屋が見えるはずなのだが、ラスターの目に飛び込んできたのは全く予想外のものだった。
 本来オヤジの家があったところには、見慣れたナナシノ魔物退治屋の拠点があって、何故か大人の……見慣れたノアの姿があった。
 夢のノアは子供のラスターの頭を撫でる。
「よく眠れた?」

 細い糸を引くようにして、すっ、と意識が戻る。背中に微睡みの残骸がこびりつき、ベッドにそれが染みついているような感覚もあった。
 意識が軽い。
 ふわふわと心地よい温もりの中で、ラスターは寝返りを打った。部屋には誰もいない。時計を見ると朝の六時。どうやらいつもの倍は眠れたらしい。
 寝起きのザマ……どころか、今回に限って言えば寝入ったときの状況も酷いものだったが、これもまぁ、時には許される特権かもしれない。窓際に置いてある植木鉢を覗くと、新しい芽が少し増えていた。
 ラスターは足音を立てずに部屋を出て、階段を降りていく。台所から音がする。
「おはよ」
 今まさに水を飲もうとしていたノアの動きが止まった。
「おはよう、ラスター」
 彼は夢の中と同じようにして、問いかける。
 否、夢が現と同じようにしているのだ。
「よく眠れた?」

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気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)