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【超短編小説】流れの速い川にいる

 私はスターバックスの一角を陣取ってひたすらにTwitterと悪戦苦闘している。あの青い鳥の胸ぐらを掴んで「あの文章へのURL吐き出せ」と言いたいが、そんなことをしたところで探し物など出てこない。
 私の親指が検索ボタンをタップする。昨日見かけた小説を探しているのだが見当たらない。確かにTwitterで流れてきたのだ。あの情報の本流の中に、私の心に染み入る文章への扉が混じっている。なぜあのとき、ドアノブを即座に離してしまったのだろうか。中身を読んで満足して、ふと「また読みたいな」と思うまでの時間の中でも、「スタバのフラペチーノ売り切れてた」「絵描きました~」「コンビニスイーツ秋の最新作」「いよいよ本日、巨人vs阪神」などなど、無限の情報が濁流のようになってこの世界を駆け巡るというのに。
 TwitterでもInstagramでも、ともかくSNSと呼ばれる媒体の中で、私はいいねを投げるのがヘタクソな方に分類されると思う。良かったと思ったけれどもわざわざいいねをしなくとも良いだろうと思っていたのに、ふと「そういえばあの時の小説もう一度読みたいな」とか「あのときの絵をもう一度見たいな」と思ってしまう。
 そうして、一度手放したものを探すために、この情報の流れに手を浸すのである。
 もう一度、同じものを探すのは難しい。私は記憶を辿る。誰のリツイートで回ってきたのか、いつ頃回ってきたのか。タイトルは? 作者の名前は?
 奔流に身を任せる。すると、すぐ傍でInstagramを更新していた友人が私に声をかけてきた。
「ねぇ」
「随分難しそうな顔して、何探してるの?」
「実は――」
「あー、その小説見たよ。すごくよかった。今TwitterでRTするから待ってて」
 ……本物の川と違うところは、全く息ができないわけではないという点だ。


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)