見出し画像

【短編小説】ふたつの殺人

 ナタージャ・ミストーネという魔術師が殺されたというニュースは瞬く間に各地を駆け巡った。ラスターが出先で新聞を五部(しかも全部違う会社のもの)も購入して戻ってきたときノアはおったまげたが、「有名人だから」と無理に納得した。
「ナタージャ・ミストーネが殺されるなんてなぁ」
 どの新聞もナタージャの功績をつらつらと語っている。毒舌でアタリが強い女性として知られており、怖い物知らずの勇敢な女。悪く言えば無礼で暴力的で自分の正義感を他人に平然と押しつける視野の狭いバカ。……ここまでこっぴどく新聞に書かれる有名人などそういないだろう。
 ノアも、ラスターが買ってきた新聞をひとつ手に取って読んでみた。

 ナタージャ・ミストーネ死亡
 教え子が襲撃手引き

「へぇ、この女……あんたの父さんと討論したことがあるのか」
 ノアが新聞から顔を上げるが、ラスターは気づかずに文字を追っている。ノアももう一度手元の新聞を読んだ。ナタージャはアンヒュームの襲撃に合って死亡したと書かれているが、その襲撃を手引きしたのが彼女のかつての教え子だったらしい。加害者は皆治安当局によって拘束されていて、動機については黙秘を続けているようだ。
「コイツ、アンヒュームに対しての当たり強かったもんな」
 アンヒューム。古代語で「愛のない者」を意味するそれは、生まれつき魔力を持たぬ者のことを言う。最近は「元々は人間は魔力をもたなかった。だからこそ自分たちが人間の源流だ」という主張から「ルーツ」という呼称も広まっている。
 テロス新報のようなお堅い記事とは違って、ノアが持っているのは三流ゴシップ新聞。あることないことの推測を面白おかしく語る文章が並んでいた。
「いやー、驚いた。まさかこんな死に方するなんて。刺しても死なないようなヤツだったってのに――」
 流石のラスターも、ノアの様子がおかしいことに気がついたらしい。新聞を手に取ってはいるものの、読んでいる風には見えなかった。
「何かあったか? もしかして結構ショックだったりする?」
「いや……確かに彼女から魔術理論を教わったことはあるけど」
「えっ、あ、そうなのか。ん? じゃあ何なんだ? 悲しいとか?」
「なんというか、当然だろうなって思っちゃって……」
 ラスターが目をぱちくりさせた。
「え? 何て?」
「いや、だから、必然というか……」
 ラスターがいよいよ大袈裟に驚き始める。背骨をピンと伸ばして、わざとらしく手に持っていた新聞を落として、「そういうエグいことは俺が言う担当じゃないの!?」とか言い出した。流石にノアも苦笑した。
「他人の手によって殺されていい人なんて存在しないけれど……彼女の場合は、……そうなってもおかしくないよな、って」
「えっ、えっ……? あの温厚で優しくて子供に水ぶっかけられても怒らない上に喉グウグウ鳴らすトンチキ情報屋に試されても全然気分を悪くしないノアが……? そこまで言うの……?」
 ついにラスターは自分の思いっきり頬をつねって「イッテエ!!」と言い出した。しっかり痕が残っている。彼は加減というものを知らないのだろうか。
 ノアは、何も言わずに神妙な顔で自分の持っている新聞をラスターに手渡した。ラスターは食いつくようにしてそれを読み始める。
 三流ゴシップ記事とはいえ、七割は本当のこと。
 残りの三割は、誇張だ。
 ラスターの穏やかな空色の目が文字を追っていく。時折、それがノアのことを捉えた。視線に気づいているというアピールだった。
「今までに彼女が傷つけた人たちは、良識的だったか、臆病だったか……ともかく、実際に彼女を殺そうとまではしなかった」
「あんたも何か言われた?」
 ノアは答えなかった。ラスターに続きを読むよう促した。
 大量の新聞があるせいで、部屋は紙とインクの匂いに包まれていた。新聞はどうしてここまで「私は紙です」という主張が激しいのだろうか。
「魔術の発動は精神状態に左右される。心を病んでしまった人は魔術師にはなれない。学会ではルーツよりも酷い扱いをうけることもある」
 ラスターが動きを止めた。
「アンヒューム以下ってことか?」
「愛を捨てた人ってことになるからね」
 ラスターの顔が険しくなった。そろそろ犯人の人物像に書かれたところまで読み進められただろうか。
「言葉は人を傷つけるってよく言うけれど、たった一言で再起不能になることだってあるんだよ」
 ノアは返事を求めていない。なんとなく耳に入れてもらえればそれでよい。ラスターが新聞を畳んだ。神妙な顔だった。
「犯人、若いな」
「そうだね」
「あんたと同い年」
「そうだね」
 ラスターはそれを聞いて、あと黙ってしまった。散らかっている新聞をまとめ始めたので、ノアは目を丸くした。
「答え合わせしないの?」
「してほしいのか?」丁度テロス新報を畳みながらラスターが問うた。
「してみようよ」ノアはどこか落ち着かない様子で答えた。
 ラスターは息をついた。新聞を畳むときの、あの紙がカサカサ云う音が鬱陶しく思えた。
「……仲良かったのか?」
 ノアはにっこりと笑った。直球だね、と彼が言ったので「答え合わせだからな」とラスターは答えた。ノアはラスターの代わりに、新聞を綺麗にたたみ始めた。ラスターのたたみ方は器用さがにじみ出るものだが、ノアのたたみ方は丁寧さが強く主張している。
「手紙のやりとりをしていたくらいには」
「彼は――」ラスターはそこまで言いかけて口をつぐんだ。扉の向こうから足音が聞こえてくる。通行人の気配だろう。そんなに防音設備が貧弱な家ではないのだが、彼らしい慎重さであった。
 扉の向こうの気配が消えた頃になって、ラスターは改めて口を開いた。
「彼は、どんな人だった?」
「誠実な人。自分の努力は表に出したがらないタイプ。明るくて気のいい性格。魔術協会の賢者になって、ヴィダル定理をひとつでも証明するのが夢だった」
「それが、できなくなったと」
「ナタージャ教授に酷く言われたらしい。ヴィダル定理の証明なんて、彼女ですらできなかったんだからね。彼女はあくまで、夢見る教え子に発破をかけるつもりだったらしい。でも……」
 ノアは自分の手を見た。新聞のインクで黒くなった指先が、血の跡か何かに見えた。
「彼女の助言は、彼を心から傷つけて、賢者どころか魔術師への道すら閉ざした」
 魔術師として生きてきた彼が、アンヒュームの戦法を真似ることは困難だ。だからこそ彼はアンヒュームの暗殺者の力を借りたのだろう。元々あの物言いでヘイトを買っているものだから、暗殺者も快諾したに決まっている。
「彼女の助言は助けを目的にしたものではなかった」
「……そうなのか?」
「助言は時に、自分の主義主張を誰かに押しつけるための手段として使われることもあるからね」
 ラスターがひょいと新聞を手に取った。
「ああ、その通りだ。……全くその通りだ」
 ノアはこのとき初めて、自分の手が止まっていることに気がついた。
「ねぇ、ラスター」
「ん?」
「ナタージャを殺して、彼は救われたのだろうか」
 ラスターは少し黙った。外では号外と叫びながらナタージャ・ミストーネの死を伝える新聞屋の姿がある。全身を震わせながら新聞を読む者に、もう一部くれと叫ぶ者。ほくそ笑んで歩き出す人もいた。
「ノアが同じ立場だったら?」
「万歳三唱で喜ぶと思う」
 疲れた声は、無理に気丈であった。
 ラスターは声を上げて笑った。大根役者のように笑った。外から通行人の「ナタージャが死んだってェ!?」という甲高い笑い声が重なって、奇妙な音楽の響きをもたらした。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)