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【短編小説】手中の刃

 最近この手の依頼詐称がなかったので、油断していたというのが正直なところだろう。普通、明らかに怪しい依頼はギルド側が弾いてくれるのだが、中には巧妙な表現でこちらを騙そうとする連中もいる。どこもいっしょだ。裏も表も。むしろ自覚がないだけこちら側の方がタチが悪い。
 ノアは、何も言わない。
 だから、ラスターも口を閉ざしていた。
「お願いします」
 依頼主は、頭を下げたまま同じ言葉を繰り返す。
「魔術実験の事故でおかしくなった母を殺してください」

   手中の刃

 魔術の新たな術式を組み立てる際の事故は珍しい話ではない。それが術者本人に跳ね返ったとき、単純な魔術であれば自身の魔力と相殺させることができるが、得体の知れない新作となると話は変わる。その魔術が氷なのかゆで卵なのか――つまり、可逆か不可逆かも場合による。
 依頼主の母親は、残念ながら後者であった。知能指数が著しく低下した母は、まだ歩き始めた子供のようにして振る舞う。娘である依頼主のことを「お母さんおかーしゃ」と呼び、おねしょをすることもある。
 依頼主は自分がいかにつらいか、こうなる前の母親がどんなに素晴らしい人だったかをノアとラスターに延々と聞かせた。
 同情で動くほど、ラスターは優しくない。そして、同情で動くほど、ノアは愚かではない。
 黙る二人にこれ以上言葉を並べるのは無意味だと思ったらしい。依頼主は頭を下げたまま、母を殺してほしいと訴える。
「……わかった」
 このまま固まっていても埒が明かない。了承の言葉を口にしたラスターに、依頼主はすさまじい速度で顔を上げ、ノアはもの凄い勢いでこちらを見た。
「ただし、こちらのやり方に従ってもらう。それでもいいか?」
 依頼主は「はい!」と返事をした。
 ――遠くで、誰かが童謡を歌う声が響いている。


「正気か!?」
 準備のために依頼主を部屋から出した瞬間、ノアは声を荒げた。ラスターは「珍しい」と思った。
「俺は本気で殺す気はないけど、話を聞いていたらちょっと思うところがあったからな」
「だからって……!」
「大丈夫だって。ノアは普通にあの婆さんを眠らせてくれればいい」
「俺は、加担できない……! 魔術事故の後遺症で苦しむ患者と家族たちを支える組織がある、それを紹介してからでも遅くないだろ!」
「いや、その前にやっておきたい」
 ラスターの手でナイフが踊る。銀の光が煌めいて、部屋を抉ろうと奔る。
 そのまま、ラスターはノアとの距離を詰めた。一切怯む様子を見せない彼に、思わず笑みがこぼれる。
「俺たちが殺すのは、彼女の選択肢だ」
 耳元でそう囁いたとき、ノアはぴくりとも笑わなかった。安堵もしなければ、納得の様子も見せなかった。彼の表情が見えなくとも、ラスターにはそれが分かったのだ。


 眠っている姿だけを見れば、ただの初老の女性に見える。
 しかし彼女はつい先ほどまで、ラスターたちがいた部屋の隣で童謡を歌い、動物たちがお誕生日パーティーをする絵本を読み聞かせてほしいとむすめに甘え、読み聞かせにキャッキャと声を上げて喜んでいた。
 ノアは神妙な顔をしている。彼女を眠らせたのは彼の魔術だ。数時間は確実に眠ったままだろう。……ノアが魔術の展開を間違えていなければ、の話だが。
 ラスターは依頼主を呼んだ。「手を出して」と優しく指示をした。
 恐る恐る手を差し出した依頼主に、ラスターは「はい」とナイフを手渡した。
 彼女はされるがままであった。その意味を理解していなかった。
「準備は整えた。あとはあんたがやればいい」
「な……!」
 娘より先にノアが声を上げた。カラン、と金属が落ちる音がする。娘がナイフを落としたのだ。
「動くな!」
 娘はナイフを拾おうとはしていなかった。ラスターが牽制したのはノアの方だ。眠りの術を解除しようとした相棒だ。
「どうするかは依頼主かのじょが決める」
 落ちたナイフを拾い上げたラスターは、再び娘の手にそれを握らせた。
「もしかして、どこに刺せばいいのかが分からない?」
「ラスター……!」
 ノアの目に少しだけ戸惑いと怒りが見えた。ラスターは手をひらひらさせて、ノアに指示をする。――関わるな、大人しくしとけ、と。
 ラスターはベッドの傍に娘を連れて、眠る老婆にかけられた毛布を捲った。胸元が規則正しく上下している。深い眠りにあることの証だった。
「首の、ここ。頸動脈っていう血管が通っている」
 恐怖に震える彼女のナイフを、眠る老婆の首にあてがいながらラスターは言う。声色は優しい。これが単なる授業であれば微笑ましい光景ではあるが、彼が教えているのは人の殺し方だ。
「もしくは――」
 ナイフの切っ先をゆっくり動かしながら、ラスターは娘の顔を見た。
心臓ここか、」
 可哀想なくらいに、血の気が引いている。
腹部大動脈このあたりだ。後は――」
 まだ言い終わらないうちに、娘は全力でラスターを振りほどいた。このとき彼女は何かを叫んだが、ラスターには聞き取れなかった。
 ……後になって、ノアにこの話をしたとき、彼女は「いや」と叫んでいたそうだ。ラスターは少し安堵した。嬉々として親を刺し殺すような娘でなくてよかった。そう、思ったのだ。
 泣き崩れた娘の元に、ナイフが落ちている。ラスターはそれを拾い上げて、腰のポーチへと戻した。ノアは老婆の毛布を直し、彼女になにかまじないをかけていた。眠りの術を解除しているのだろう。
「おかーしゃ……?」
 目覚めた母は、娘を呼んだ。ベッドから下りた老婆はむすめが泣き崩れているのを見て、心配そうによりそう。
「おかーしゃ、どちたの? いたいいたいの?」
 娘は答えなかった。
 老婆ははの「いたいのいたいの、とんでけー」という声が、何度も、何度も、繰り返される。
 ノアが顔を背けたことにラスターは気がついていたが、あえて何も言わなかった。

 落ち着いた娘に、ノアは「魔術事故後遺症家族のつどい本部」の住所を記した紙を手渡す。
「私たちにできることは、もうこのくらいしかありませんが……」
「いえ……ありがとうございます。充分におつりがくるくらいです、本当に……」
 娘の土気色の顔はまるで死体のようだった。ラスターは部屋の外でノアを待った。ラスターを視界に入れた娘はまともに喋ることができなくなっていたので、仕方ない措置と言える。
 子供に戻った老婆が紙で作った人形を差し出してきたので、ラスターはそれを軽く直してやった。
「おにーしゃ、おいしゃさん?」
 小首をかしげて問いかける老婆に、ラスターはおどけた口調で答えてやった。
「そうだよ、私はお人形のお医者さんだ!」
「すごい!」
 目を輝かせる老婆の姿はなかなかにチグハグだった。一種の不気味さすら感じさせる。次から次へと紙の人形を持ってくる老婆の相手をしていると、後方でドアの開く気配がした。


 あの娘ほどではないが、ノアも随分と疲れているように見える。悪いことをしたかもしれない、とラスターは思うが、今更そんなことを考えても遅い。善行よりも悪行を成す機会が多く、その数少ない善行ですら手段は殺人や窃盗だ。
 夕暮れの町は本当に穏やかだ。空は眠る準備をして、人々はゆっくりと帰路につく。ラスターとノアもおんなじだ。
「本当に、彼女が母親を手にかけたらどうしようかと思った」
 意図的に背筋を伸ばしているノアがそんなことを言い出したので、ラスターは肩をすくめた。
「普通の人間ならそんなことできないさ。例えどんなに憎い相手だって多少はためらう。大好きな肉親なら尚更」
「……それにしても、よくあんなことができたね」
「他人だからかな」
 しれっと酷いことを言ってのけてしまった気もするが、ノアは特に気にしていないらしい。
「……もしも俺がああなったら」
 夕暮れに向かって、ノアが声を出した。すぐ傍を通りかかった人々は彼の言葉をきにしない。遠くで誰かが童謡を歌っている。子供と母親の声だった。
「俺は、ラスターに殺されてもいいなと思うし、ラスターには殺されたくないな、とも思う」
「へぇ? そりゃどうして?」
「苦しまずに終わらせてくれそう」
「いや、そっちじゃなくて」
 ラスターの目には、少しだけ好奇心が詰め込まれていた。
「どうして俺だとダメなんだ?」
 ノアはそれをしっかりと確認してから、再び正面を向いた。
「罪を背負わせたくないから、かな」
 秋風のような乾いた笑いがラスターの口元から零れた。ノアは正面を向いたままだ。
「そんなのもう沢山背負ってる、今更ひとつやふたつ増えたところで変わらないさ」
「そうかもしれないけれど、きっと違う意味を持ってしまうだろうから」
  ラスターは同意を示さなかった。ただ「ふーん」と間の抜けた相槌を返した。一瞬納得した己を愚かだと思った上に、ノアだったらどうするのか、と考えただけで憂鬱になった。ノアは迷わず願いを聞き入れるだろうな、と分かるからこそ嫌だった。そしてたったひとりで、潰れそうになりながら生きていくところまで分かる。そりゃあもう手に取るように分かる。
「俺は、どうしようかな」
 テコでも動かないような星々に願いを込めるようにして、ラスターは呟いた。
「どうするの?」
 風に舞う花びらのような声色でノアが尋ねるので、ラスターはやたら真剣な顔をして答えた。
「そんなことにならないようにする」
 少し大袈裟なくらいに、穏やかなモーヴの目をじっと見つめながら。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)