見出し画像

【短編小説】壊れた酒場にて

 裏稼業の人間が集っていたはずの酒場は、今やもう見る影もない。カウンターでは瓶が割れて中身を散らかし、芳醇なワインの匂いをそこら中に撒き散らかしていた。客が集っていたテーブルはどこにもなく、あるのは戦闘の跡だけ。僅かに火薬と血の臭いがした。
「こりゃ酷い」
 ラスターはそう呟いて、カウンターを漁る。ほとんどの食器は破壊されていたが、無事なワイングラスをひとつ見つけた。棚の中にはウイスキーの瓶が一つあったので、ラスターは素直にそれを開けた。
 水ですすいだワイングラスに、ウイスキーを注ぐ。月明かりが眩しかったので、明かりを灯す必要がないのもありがたい。
「チグハグだな」
「飲めれば何だって良いんだよ」
 来訪者に動じることなく、ラスターは酒を煽った。安酒の味である。毒は含まれていないようだ。
「で、コバルト。これはどういうことだ? 何がどうなってる?」
 コバルト、と呼ばれた男はため息をつきながら答えた。
「それに関して、ちょいと調べてほしい」
 ふーん? とラスターは返事をする。
「そんなの俺より適任が居るだろ、ギルとガートはどうした?」
「死んだよ」
 その答えにラスターは勢いよく顔を上げた。
「死んだよ」
 コバルトは同じ言葉を繰り返した。
「それは分かった」ラスターは少し苛立った。
「何で死んだんだ?」
「拷問にかけられたのさ」コバルトは喉をグウグウと鳴らした。笑ってるときの声だった。
「あいつら、なーんにも喋らずに死んじまった」
 コバルトは左足を引きずりながら、ラスターの傍へとやってきた。カウンターの椅子によじ登った彼の姿を見て、ラスターはまた驚いた。
「アンタ、……呪いが進行してないか?」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「お前さんの目にそう映るなら、きっとそうなんだろうな」
 かつて、多くの女性を虜にした美青年の姿はそこにない。たちの悪い呪いによって小人の怪物に変貌したコバルトは、得意の暗殺業務すらできなくなった。彼は今、左足を引きずりながら路地裏を歩き、かき集めた情報を売りさばいて生計を立てている。
「治らないのか」
「治るんだったらとっくにそうしてるね」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。そしてマウンテンハットのつばを下げて、顔を隠した。
「これが俺が持ってる連中の情報だ」
 静かに輝く月の中で、ラスターは写真の人物を見た。この四人組――情報屋や盗賊、暗殺者が雑多に集まるこの界隈の中でも、特に危険度が高いとして知られている「ドゥーム派」のメンバーだった。
「そいつらが酒場に入った後、すさまじい音がしたという情報が入ってる。ギルとガートを引きずっていったのも……」
 そこまで言って、コバルトは手で顔を覆った。ラスターは安酒を持て余して、意味も無くワイングラスを傾けた。
「目撃されてる、ってことか」
 そして、コバルトの台詞の続きを呟いた。
 コバルトは静かに頷いた。ラスターは何と言えばいいのか分からなくなった。少しすすり泣く声に混じって、野犬の遠吠えが聞こえた。悔しいだろうな、とラスターは勝手にコバルトのことを思う。呪いさえなければ、コバルトの腕前だったらあの二人を助け出すくらい容易だっただろうに。
「なぁ、コバルト」
 ラスターはワイングラスをくるくる回して、ウイスキーが煌めく様子を見ていた。
「会わせたいヤツがいる」
「へぇ、それはもしかしてカルロス・ヴィダルの息子かい」
 鼻水を啜るコバルトに、ラスターは何も言わなかった。
「沈黙は肯定と取るよ」
「勝手にしろ」
「お前さんがカルロス・ヴィダルの息子と組んだと聞いたときは面白いことをするなぁと思ったよ」
「ノアだ」
 ラスターはウイスキーを飲み干した。コバルトはラスターの顔を見つめた。
「『カルロス・ヴィダルの息子』じゃない。ちゃんと『ノア』って名前がある」
「へぇ、そうかい」
 コバルトは興味なさそうに返事をした。
「それで、いつ会わせてくれるんだい?」
「分からん。依頼との兼ね合いもあるし、まずはアンタから頼まれた調査を終わらせたい。そうこうしてたら今すぐに、とはいかないだろ」
 コバルトはカウンターを指で叩いた。ラスターは気にせずにワイングラスにウイスキーを注いだ。
「楽しみにしてるよ」
 コバルトは再度、カウンターを指で叩いた。不自然に膨れ上がった指は固い物に少し当たるだけで大袈裟な音を奏でる。ラスターは何も言わなかった。虚空に向かって喋る趣味はない。勝手にやってきて勝手に喋りたいことを喋って勝手に去って行くのが今のコバルトだ。
 ラスターはウイスキーを一気に飲み干して、空のグラスを床に叩きつけた。
 突如降りかかった暴力にワイングラスはなすすべもなく粉々に砕けて割れる。ラスターはしばらく、その場から動こうとしなかった。夜闇に走る雲も、歩く月も、彼をなんとかしようとはしなかった。


この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,255件

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)