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【短編小説】めぐる弾圧 #2


 地区の最も栄えているエリアで、ここ一週間ずっと水色の旗が大量になびいている。
 ミナーボナ運動と名付けられたそれは、地区に捨てられた子供のいのちを守るためのものだという。
 集団の中央には常にミナーボナ夫人が、従者のルルーと共に立っている。周りには子供の写真を持った親らしき人々がたくさんいるが、ほとんどが女性であった。
「分かるんです。もちろん子供を捨てることがそもそももってのほかであると。ですが、だからと言って捨て子を殺してもいい理由にはなりません」
「地区に捨てられた子供はどうして孤児院に行くことができないのでしょうか」
 様々なメディアの取材合戦。ミナーボナ運動の当事者寄りの社説が出れば、逆に地区住人側の社説も飛んでくる。
「まず、自分たちが子供を捨てられないように守ってあげるべきでは?」
「孤児院がない理由! そんなの魔術師どもがよーく分かってることだろうさ!」
 アングイスは爪を噛んでいた。強いストレスを感じたときに出てしまう悪癖は、分かっていてもやめられない。医師という職業に就いているのなら真っ先になんとかする必要があるのだが、それでも今のアングイスは爪を噛んでいた。
 いびつに、白く剥がれる。皮膚が巻き込まれて捲れていった。
「消毒しておきな」
 コバルトが優しく声をかけるが、アングイスは涙目になりながら叫んだ。
「もう散々だ! 一週間ずっとこれだ! 何がミナーボナ運動だ、全員死んでしまえ!」
 古いロッキングチェアに深く腰掛けたコバルトは、癇癪を起したアングイスを静かに見つめた。
「なんで何も言わないんだ!」
「言ったところで無駄だろうよ」コバルトは肩をすくめた。
「地区には代表者がいない。アイツらの声が地区に届かないように、ここにいる住人全員の声もあいつらに――」
 アングイスがキッとコバルトを睨んだ。
「届かない」
 だが、コバルトはひるまなかった。
「だったら! アイツらを全員殺してくれよ!」
「それこそ大問題になる。あの顔ぶれは大半が魔術師の名門だ。万が一アレを全員殺したとしたら、魔術師側が地区を潰す理由を得ることになる。それでいいのか? アングイス?」
 アングイスは歯をガチガチ言わせた。怒りの矛先が正しく定まらない。最も近い場所にいるコバルトが代わりに受け止める羽目になっている。
「だったらどうしろっていうんだ。あの馬鹿の主張を一生聞いて過ごせっていうのか!」
 コバルトは喉を、ぐうと鳴らした。
「……手段がないわけじゃない」
「だったら!」
「俺がこのナリで外にでたらパニックの原因になる。そして、お前さんの場合は頭に血が上りやすいから無理だ」
「じゃあ、もっと別の奴に頼めばいいだろう!」
 コバルトは窓に目をやって、ロッキングチェアから飛び降りた。その勢いのまま、彼はぎこちない動きで窓を開けた。ミナーボナ運動の参加者たちが声を張り上げているのが聞こえる。その中を、三つ目のカラスが一羽飛んできた。コバルトが使役する魔物・ネロだ。
 足には紙が括り付けられている。コバルトはそれをゆっくりとほどいて、中身を確認した。

 全入口封鎖。話聞かない。機密通路常に人目アリ。

「なんだ、それ? ラスターの文字か?」
「こっちに来てくれと頼んだのさ。まぁ、結果はこのザマだが」
 アングイスは戸棚からナッツを取り出した。ネロが待ってましたと言わんばかりにアングイスの傍による。
「あまり与えすぎないでくれ、最近太ってきた」
 そんなことないと言わんばかりに、ネロが「かー」と鳴く。外がうるさくなり、コバルトは窓からそっと様子を伺った。
 そして、頭を抱えた。
「どうした?」
 アングイスの問いに答えることなく、コバルトは窓をちょいちょいと示す。アングイスは思いっきり窓から身を乗り出した。顔が一気に輝きを増す。まるでヒーローの影を目にしたかのようにして。否、実際に彼らはヒーローであった。屋根の上を駆ける二つの影……といっても、片方は慣れていないらしく動きがやたらぎこちなかったが。
「っはぁ!」
 悲鳴のような笑い声が自然に漏れる。アングイスは手を叩いて笑った。もうめちゃくちゃに笑った。ミナーボナ運動の参加者たちがふたりを屋根から引きずり降ろそうとするが、何もかもが上手くいっていない。それがまた面白い
「コバルト、見たか! 来たぞ!」
「見た見た」
 ネロからナッツを取り上げながら、コバルトは息をついた。
「今度ノアが来たら、屋根の走り方を教えてやる必要があるだろうね」
 ネロが不服そうに鳴くので、コバルトは小さく指示を出す。ネロは青く光る眼を輝かせて、空の向こうへと飛び立っていった。
「何をしたんだ?」
「あの二人のサポートをしてやれと言ったのさ」
 コバルトはほくそ笑みながら、ナッツをテーブルに置いた。



 ノアの足首をつかもうとしていた手を、ネロが思いっきりつついたのが分かる。
 慣れない場所を走るというのはこうももどかしいことなのか。先を行くラスターを見る。海を泳ぐ魚のような軽快な動きだ。ネロが頭をつついてきた。もっとがんばれ、と言われたような気がした。ラスターの姿が消える。屋根から下りたのだ。
「無茶な強行で悪いね、ノア!」
「屋根の上を走るとは思わなかったかな」
「練習しとけばよかったな。まぁ、でも……」
 ノアとラスターは振り向いた。追手たちがまごついている。ここは地区のA区域。言ってしまえばただの住宅街なのだが、無知な魔術師にとっては「危険エリア」の印象が強い。
「さ、言われたものを取りに行くぞっ」
「そういえば、それっていったい何なの?」
 ノアは問いを投げながら、小さな声で「左」と言った。ラスターは一度空を見た。ネロの姿がない。本当に賢い奴だな、とラスターは思った。彼が姿を隠したのは、自分の位置でノアたちがどこにいるかを示さないためだ。
「……地区の孤児院設立に対する反対署名のリストのコピーって聞いてる」
 ラスターがそう答えるのと同時に、ノアは近くの扉を引いた。明らかに人が住んでいない建物だ。
 ここが、コバルトの自宅のひとつである。
「絶対使ってないだろ、こんなの!」
 ラスターがぶいぶい文句を言うのも分かる。埃まみれの家具。部屋の隅には蜘蛛が巣を作っており、床には血痕がある。誰の血なのだろうか、とノアはいつも疑問に思うのだが、聞かない方が賢明だろうなと思っているのでそのままにしている。
「アングイスと同棲すればいいのになぁ」
 ブランケットを剥ぐのと同時に、ネズミが一匹飛び出してきた。すかさずラスターのペンダントから影が下りる。影の魔物・フォンがネズミを見事に仕留めたのだ。
「アングイスが嫌がったりしないかな」
「あいつは喜ぶさ」
 引き出しの中も空。ラスターが頭を乱雑にかきむしった。
「ほんとにここなのか?」
「俺が知ってるのはここと……。もう一か所は違うって話だから……」
「あの偏屈情報屋、いよいよ重要書類の隠し場所すら忘れたのか?」
「コバルトに限ってそんなことは……」
 ノアの言葉が途切れる。ラスターがライトでソファーの下を照らしたのだ。ノアはなんとなく息をひそめてしまった。ラスターの手はソファーの方に伸びる。
「あの野郎、なんでこんな分かりづらいところに、っ」
 べりり、とテープがはがれる音が響く。埃まみれのラスターが小さな木箱をノアに差し出してきた。ノアはそれを慎重に開けた。
 商業都市アルシュ 地区運営孤児院計画反対署名
「ビンゴだ」
 ページをそっと捲る。
 目当ての人物の名前はすぐに見つかった。
「ローラ・ミナーボナ、フルーカ・ミネット……間違いない、今のミナーボナ運動の代表参加者全員の名前がある」
「それだけじゃない」
 いつの間にかソファーの下から這い出てきたラスターが、二冊の資料を示しながら言った。
「何これ?」
「ミナーボナ運動の中心組織の帳簿と裏帳簿」
 とんでもないことをサラッと言い切った、という自覚はラスターにはなかったらしい。ノアが目を白黒させていることにも気が付かずに、帳簿を確認している。
「あー、やっぱりなぁ。過激なアンチ魔力ナシアンヒュームの連中から献金がある」
「ミナーボナ夫人はそれを知っていたの?」
「いや、あの辺りは多分知らないな。おそらく彼女を煽った黒幕みたいなのがどっかにいるはずだ」
 ラスターは箱から更に資料を取り出した。
「両組織の構成員名簿まで手に入れてたのか。用意周到すぎだろアイツ」
 名簿には赤い線が引かれている。コバルトの手によるものだろうか。どちらも同じ名前だ。
 ルルー・フールー。
「ミナーボナ夫人の世話係だ」
「……なるほどね。あいつが焚きつけ役ってことか」
 沈黙が訪れる。外がにわかに騒がしい。勇気をもって突撃してきた運動参加者がいるのだろう。同時に、コバルトがここを選んだ理由もよくわかる。こんな廃墟同然の家に人が住んでいるとは思えないし、思われない。実際、足音はこの建物を素通りしていくものばかりだった。
「さて、これからどうしようか」
 ラスターは資料を撫でながら語った。
「こいつを新聞社に売る? それとも組織を脅して金を得る? いくらでも夢が広がるぜ」
「ラスターって、時々発想が物騒だよね」
「まぁそれは冗談として、平和的解決をするなら一つだけいい方法があるぜ」
「その方法は?」
 ノアが声を潜めた。外から足音が聞こえたのだ。
「交渉だ」ラスターの目がぎらつく。
「地区の代表を適当に作るとかして・・・・・・・・・、交渉すればいい。孤児院を作ってもらえるように、ね」
 ノアは小さく頷いた。唇は「いいね」と語っていたが、それが声になることはなかった。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)