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【短編小説】ノアと亡き夢の花屋 #1

 その日は「起きて」という言葉から始まった。
 ノアは少し寝ぼけながらも、体を起こして声の主を見た。
「起きて。ノア」
 日輪島の伝統衣装を身に着けたシノがそこにいたので、さすがにノアもびっくりした。着物と呼ばれる上着をアレンジした半袖の服に、袴に似せてあるスカート姿だ。一体どこから入ってきたのだろうかと思ったが、ラスターがよく窓から出入りしているのを思い出してちょっとだけ落ち着いた。
「アルシュが大変なことになってるの。もう無事なのはあなたぐらい」
「……アルシュが?」
 ノアは目をこすった。なんだかひどく寝起きが悪い。時計を見ると六時ちょうど。しかし文字盤は鏡に映ったかのようにして反転している。部屋の様子もどこか……言葉にするのは難しいが、妙な違和感があった。
「これは、どういうこと? 何が起きてるの?」
「夢の魔物がこっちに侵食を始めたの。現実にいる人たちを夢に閉じ込めて、手始めに都市を乗っ取ろうとしてるってことね。あたしもギルドに加護を加えてヤツの本体を探してたんだけど、ダメだった」
「ちょ、ちょっと待って」
 ノアはシノを制した。そして少し考えようとした。しかし、シノは待ってくれなかった。
「この街で夢に閉じ込められず、無事なのはあなただけ。……あたしの知る限り、だけど」
「つまり、その魔物を退治してほしいってこと?」
「してほしい、じゃないの。しないとならないの。あなたに拒否権はないから」
 シノの言葉には棘があったが、それは焦燥からくるものであった。イラつかなかったといえば嘘になるが、それでも「仕方がない」と思うだけの理由は分かる。
「ラスターだって夢に飲まれてるの。アルシュの地区のど真ん中で、バカみたいに幸せな悪夢を見てる。見てるだけならいいけど、多分この状況を引っ張り出した元凶がそこにいる」
「ラスターの夢に?」
 ノアは思わず枕元に置いてあった愛剣をひっつかんだ。
「そう。そいつはラスターの夢の中で、ラスターの思い出を構成する人物に成りすまして、アルシュを丸ごと飲み込もうとしている。あなたは今からあたしとアルシュに向かって、地区のど真ん中で寝てるラスターの夢に入るの」
「事情は分かったけれど、どうやって? 夢に入る魔術を使える人なんて聞いたこと……」
「あたしがやる」
 シノはそう言って、視線をそらした。
「……前に言ったでしょう。誰にでも、絶対に言えない秘密があるって」
「シノ、君は……」
 シノは何も言わなかった。だからノアも言わなかった。向こうにそのつもりがないのなら、わざわざこちらから秘密を暴く必要はない。
 シノが目を細めた。穏やかな笑いであった。
「あなた、本当に優しいのね」
「そうなのかな。あまりよく分からないけれど、君が言うのならそうなんだろうね」
「……損しない?」
「ラスターにも同じことを言われた。でも、後悔したことはないよ」
「……そう」
 シノは部屋のカーテンを開けた。紫色の空に藍色の雲が、赤い光を放ちながら渦巻いている。
「行きましょう」
 窓を開け放ち、二人は外へと飛び降りた。夢の侵食を受けている世界では、空を飛ぶのも容易らしい。
「アイツは絶対にあたしを狙ってくる。アイツにとって一番のお邪魔虫だから」
 シノはどこからともなく薙刀を取り出すと、こちらめがけて飛翔するコウモリを切り伏せた。ギルドで時折レベルの高い幻術を見せることはあったものの、腕っぷしも最低限はあるらしい。
 アルシュの表通りは妙に静まり返っていた。時折建物に体を預けて眠りこけている住人がいる。
 二人は特に言葉を交わすことなく、地区の方へと足を踏み入れる。表側があのありさまなのであれば、地区だって例外ではない。ノアはまず、ラスターの居場所を探そうとした。シノが「こっち」と、路地の方を示す。その時だった。
「!」
 後方に控えていたノアが即座に前に出る。障壁で防いだ一撃は銃によるものだった。銃弾に魔力を阻害させる薬が塗ってあるらしい。ノアが呻いたのを見て、シノは銃弾が飛来した方を見た。
 質量のあるものが地面に落ちたのが分かる。ノアはシノの方を見た。目に魔力の光が満ちている。
「何をしたの?」
 術の反動を食らったノアはふらついていたが、シノはそんなのお構いなしといった様子であった。
「瞳術で軽い幻覚をかけたわ、今は……」
 路上で大の字に眠っている。ノアは驚いた。その人物がよりにもよって顔見知り――コバルトだったからだ。瞼がひくひくと痙攣しているのを見る限り、本当に軽い術なのだろう。ノアはこのとき、コバルトの左腕が血まみれであることに気が付いた。
「シノ、彼を起こしてくれない?」
 コバルトの手にあった銃を没収しながら、ノアはそんなことを言った。
「何かあるの?」
「彼に聞きたいことがある。悪夢に囚われた人々が眠っている中で、彼が起きていたということは俺と同じ、ってことにならない?」
 シノは「そうね」と軽く答えて、術を解除した。飛び起きたコバルトは即座にシノめがけて発砲しようとしたが、先ほどの愛銃はノアの手の中だ。
「何でお前さんがあの女と組んでる?」
 忌々し気に訪ねてきたコバルトは別の銃を取り出した。ノアは慌てて答えた。
「彼女は――」
 しかし、コバルトはその答えを待たずにしゃべり始めようとした。が、
「それ以上言ったら、あたし直々にあんたを悪夢にぶち込むわよ」
 シノの圧力にコバルトは意地の悪い笑みを浮かべた。ノアは先に治癒の魔術を展開しようとしたが、コバルトがそれを制した。
「それはいい。応急処置は済んでるし痛みがある方がいい。今は眠りたくないんでね」
「コバルトは悪夢を見なかったの?」
「見たよ」憎々しげに目元を歪ませ、コバルトは左腕の傷を見た。
「いい夢だった。悪趣味でクソったれな夢だ。左腕を貫いてなんとか戻ってきたらこのありさまだ」
「よかったじゃない、浅い夢だったのね」シノが肩を竦める。「もしも悪夢が深かったら、あなた失血死してたわよ」
「あんなモンを見続けるくらいなら死ぬ方がマシだね。ところで……これはいったい誰の仕業だ?」
 紫色の空を見て、活気のない街を見る。コバルトの滲ませた殺気から目をそらさず、ノアは答えた。
「彼女が言うには、ラスターの夢の中に元凶がいるらしいんだ。そいつはラスターの思い出に関わる人の姿を借りて、こっちの世界を乗っ取ろうとしているみたい」
 コバルトはフン、と鼻を鳴らした。
「ラスターか。確かにいいエサにはなりそうだ。失ったものへの執着が強ければ強いほど、ああいう輩に狙われやすくなるんだろう? ――シノノメ・・・・
 コバルトの視線はシノに向いていた。彼女は小さく舌打ちをかますと、コバルトを睨みつけた。
「何であたしの本名を知ってるの? いったいどこ情報?」
「トップシークレットだ。もっとも、俺はギルドに出入りする奴のことはきちんと調べておくタイプなんでね。お前さんがアマテラス人ではなく精霊族であることも、夢と熱を司っていることも、幻の守護精霊であることも全部知ってる」
「……本名を短くしただけの雑な偽名だったのが悪かったのかしら?」
「いいや。お前さんが悪いんじゃない、俺の情報屋としての腕が良すぎただけだ」
 コバルトはそう言って、喉をグウグウと鳴らした。シノはぷいとそっぽを向いた。ノアはコバルトに向き直り、本題を切り出した。
「俺は今からラスターの夢に潜ってラスターを起こさないといけない。コバルト、もしもラスターの見ている夢について、何か推測できることがあったら教えてほしい」
「推測もなにもあったもんじゃないね」コバルトは得意げな笑みを見せた。
「俺はその、元凶とやらが嬉々として成りすましているであろうヤツのことも知ってる」
 コバルトは立ち上がり、シノの方を見た。
「案内しろ、シノノメ。あのバカを悪夢から引きずり出すんだろ」
「その名前で呼ぶのはやめて。あたしはここにいる限りずっと『シノ』なんだから」
 ノアは頭を掻いた。自分がラスターの夢に飛び込んだ後、果たしてこの二人はケンカをせずにいられるのだろうか。
 シノは何も言わず地区の奥へと歩いていく。ノアは慌てて追いかけたが、コバルトは悠然と歩を進めていた。
 地区の奥へと進んでいくと、呼吸がしづらくなるのが分かる。ノアは確かに、幻覚を引き起こす類の術式がこの空間に満ちているのを見た。うかつに動けば自分も夢の中に引きずり込まれるかもしれないが、シノが上手く対抗魔術を展開してくれているので何とかなっている。
「あ……!」
 その濃密な魔力の最奥でラスターは眠っていた。気味が悪いくらいに穏やかな寝顔だった。
「ラスターのすぐそばで横になって」
 シノの指示が飛ぶ。
「そのまま彼と手をつないで。そしたらあたしが術を展開する。あなたをラスターの夢に送り込む」
 ノアは言われたとおりにした。幸せそうに眠るラスターの顔は初めて見る。彼はいつも、まるで義務であるかのようにして眠ることが多いから。
「それじゃあ、行くわよ」
 安らかな寝顔を見つめながら、ノアは徐々に意識が遠のく感触を覚えていた。
「元凶は女の姿をしているだろうね。人畜無害でとぼけた女だ。行き先は――」
 意識が途切れる間際に、コバルトの声を聞いた。

「どこかの田舎の、チンケな花屋だろうよ」



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)