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【短編小説】ダンボール箱の子猫

 都市と言うには見窄らしく、田舎と言うには栄えていた町で、僕たちは育った。毎朝登校班を組んで学校に行き、授業を受けて、友達と遊んで、帰りは変質者情報が出ない限りは友達と一緒に帰った。僕らはいつも五人でつるんでいて、その中のリーダー格がNという女だった。Nはこのグループを自分のものだと思い込んでいて、僕たちが何をして遊ぶかは彼女の裁量によって決まった。「今日は鬼ごっこをしよう。あんたが鬼ね」といった具合にして。
 僕は彼女の正義に隠れた粗暴さに薄々気がついていたが、実害がなかったのでほうっておいた。友人のマサキとは「あいつ、ほんとウザいよな」という会話をぽつぽつとすることがあったが、それ以上は続かなかった。僕たちはだらだらと五人でつるみ、走りたくもない坂を走って、食べたくもない実を食べるフリをして、ほしくもない花の冠を授かったりしていた。

 僕たちはよく公園で遊んでいた。そこは一応公園という体裁がほしいのか、それとも子供にも楽しんでもらえるような何かしらがほしかったのか、広場の一角には申し訳程度にブランコとシーソーがあった。子供というのは単純で、僕らはよくそこに集ったのだ。ブランコとシーソーで遊びたくても、Nの一声で遊べないことの方が多かったが。
 その日もそうなるのだろうと思っていた。しかし現実は時折飛行機雲のようにして、僕らの予想の斜め上を行くのだ。

 秋晴れが爽やかな一日だった。公園の木々は色とりどりに紅葉こうようしていて、僕は子供心にそれを美しいと感じた。
 Nの手には小汚いダンボール箱があった。僕らは皆でそれを覗き込んだ。中には子猫が二匹居て、僕らは顔を見合わせた。Nがなんと言いだすのか予測がついた。
「猫を捨てるなんて可哀想」……ごもっともだ。
「この中で飼える人いない?」僕らは再び顔を見合わせた。全員無理だと分かっていた。僕の父は猫が苦手だし、みっちゃんの家はアパートなのでペットは禁止されている。ゆーちゃんの家には大きな犬がいるけれど、当時の僕にはそれが猫を飼えない理由になるかどうかの判別がつかなかった。マサキは素直に「俺んち、かーちゃん厳しいもん」と言った。
「みんな薄情ね」とNは言った。マサキが「じゃあNが飼えばいいだろ」と食いついた。
「私はもう家に猫いるもん。二匹。捨てられてたのを拾ったの」
 Nは勝ち誇ったようにそう言った。
「アパートのミナコちゃんは仕方ないとして、マサキかイチローのどっちか、引き取れないの?」
 このとき、みっちゃんはあからさまにほっとした顔をした。
 マサキは腕で大きくバツを作って「無理でぇーす!」と言った。僕も慌てて、父が猫嫌いであることを言おうとした。しかしNが憤慨して頬を赤くする方が早かった。彼女の顔は地面に落ちたモミジの色によく似ていた。
「なによそれ! こんなカワイイ猫ちゃんが、可哀想じゃないの!?」
 マサキは口を尖らせた。僕はマサキが口を尖らせる様子が好きだ。彼の口笛は見事な腕前で、流行の曲とかを美しく演奏してくれる。しかし今回ばかりは事情が違った。
「別に、カワイソウじゃないとは言ってねーだろ。オレの家じゃ飼えないって言ってんの。かーちゃん怒るとえーもん。それにオレは猫より犬の方が好きだし」
「何よそれぇ……結局、自分の身が大事って事ね!」
 Nはマサキを侮蔑するようにして吐き捨てた。すると、ダンボール箱の猫が「ぴゃあ」と鳴いたので僕はその猫を飼いたくはなくなった。
 Nはマサキはどうにもならんと思ったのだろう。すぐに自分を取り繕って、僕に対して甘い声で尋ねた。
「ねぇ、イチローはどう? 猫ちゃん、可哀想でしょ。一匹でも良いから助けてあげてよ」
 僕は困った。先述の通り僕の父は猫が苦手だ。近所の猫に腕を引っかかれた際にそこがものすごく腫れて、とにかくエラい目に遭ったらしい。その話を聞いた僕も、なんとなく猫が苦手になってしまった。
「僕の家も、お父さんが反対すると思う……。お父さん、猫嫌いだから……」
 Nの顔がパッと輝いた。マサキが「お前バカだな」という顔をした。
「じゃあ、可能性はあるって事だね!」Nは上機嫌だった。
「な、ないないない! 無理だって!」
「お父さんを説得すればできるでしょ? この世に猫嫌いの人なんて居るわけないもの。猫嫌いだったけど飼い始めたらメロメロって、よくある話なんだよ!」
 僕はダンボール箱の子猫を見た。Nは満足げに笑っていた。頬の紅潮は興奮によるものではあったが、そこにもう憤怒は存在していなかった。
「きっと気に入ってくれると思う!」
 目ヤニでぐじゅぐじゅの猫の瞳は化け物のようだった。これを世話するとなったら酷く骨が折れるだろうなとも思った。小学校四年生の僕には荷が重すぎる。
 Nが僕にダンボール箱を差し出す。僕はそれを受け取れなかった。子猫二匹の命は僕の両腕には重すぎて、きっと支えきれないと分かっていた。
 秋の雲がゆっくりと流れて、アキアカネがその辺を飛び回っている。Nがダメ押しに「はい!」と言った、そのときだった。

「ねぇ、Nちゃん。どうして分からないの」

 ずっと沈黙を保っていたゆーちゃんが口を開いたのだ。Nは目をまんまるくして、ゆーちゃんの方を見た。僕もマサキもみっちゃんも、みんなゆーちゃんの方を見た。
「私たち、誰一人としてこの子を助けられないの。どうして分からないの?」
「じゃあここで見殺しにしろって言うの!?」
 Nが食ってかかった。しかしゆーちゃんは冷静な瞳でNの事を貫いた。僕はそれにドキリとしたし、マサキは「おおぅ……」と声が漏れていた。
「誰もそこまでしろとは言ってないよ。私たちにできるのは、おまわりさんに相談するとか、保健所に連絡するとか、そういうことぐらいだよ」
 保健所、という言葉でNのスイッチが入ったらしい。Nの頬に憤怒の気配が戻ってきた。膨張する熱は夏のそれに近しいものがあったが、季節はもうじき冬である。夏はもう僕らの元から去ったのだ。
「保健所に行った猫がどうなるか知らないの!? サッショブンされちゃうんだよ? 殺されちゃうんだよ!? あんたこの子猫が死んでも良いってことなんだ!? へー、そうなんだ、ユキちゃんは猫が死んでもいいんだ! ひどい! 鬼! 悪魔!」
 興奮するNに対して、ゆーちゃんはどこまでも冷静だった。Nは延々と暴言を吐いていた。いつの間にか彼女は泣き叫んでいた。
 アキアカネがゆーちゃんの頭に止まったので、僕はそれを追い払おうとしたが、マサキに止められた。
「自分の想像で物を語らないで。私、猫が死んでもいいなんて一言も言ってないよ」
「そう言ってるようなものじゃない!」
「あのね――」ゆーちゃんは静かに息を吸った。僕はこの後、とんでもない一撃がこのブランコやシーソーのところに放たれると覚悟した。ランドセルの肩紐を握って、僕はその一撃に備えた。マサキが僕を盾にするような位置を陣取ったのも分かったが、ゆーちゃんの頭に止まったアキアカネはのんびりと身体を休めていた。
「生き物を飼うことがどれだけ大変なのか、Nちゃんも分かってるでしょ? 私は猫を飼ったことないから、分からないけど……でも犬もそうだから同じだと思う。動物って可愛いだけじゃないの。命を預かるっていう責任が果たせないと飼えないの」
 僕はもう、Nの顔が見られなかった。ゆーちゃんの頭に止まったアキアカネを見ていた。アキアカネは髪飾りのようにしてゆーちゃんの頭で動かないで居たが、時折自分がトンボであることを思いだしたかのようにして翅を動かしていた。
「世話ができないっていうのに飼うのも、保健所に送るのも、私は同じだと思う」
 ゆーちゃんがふぅ、とため息をつくと、アキアカネはついに空の飛び方を思い出したらしい。秋風に乗って遠くへ飛び立っていった。
 Nは「もういい!」と言って段ボールを置いた。
「私、ここでこの子たちの世話をするから」
「私も手伝う!」とみっちゃんが言った。Nは大袈裟に「ありがとう……」と言った。僕は気がおかしくなりそうだった。
 マサキは「へー、頑張れよ」なんて言ったが、ゆーちゃんはとても悲しそうな顔をして言った。
「やめた方が良いよ、お巡りさんに――」
「あーあ、無責任なヤツはほんと無責任!」
 Nはゆーちゃんの言葉を遮って、ゆーちゃんを睨んだ。そして僕らに背を向けて「猫ちゃん、大丈夫だよ。私たちが助けてあげるからねぇ~」と、取り繕った甘い声を出した。僕はその声を聞いた途端、安い駄菓子の味を思い出した。砂糖で無理矢理ねじ伏せるようなあの、気味の悪い甘さをNの声からも感じたのだ。
「余計なことしないでよ! さもないと、あんたたちのこと猫殺しって呼ぶからね!」
 いつしか、日が暮れかかっていた。夕暮れの公園は皆影を伸ばして、空にはカラスの群れが居た。僕はNの影に被さりながら、ダンボール箱の子猫を思った。
 そういえば、子猫は「ニャー」とは鳴かないのだなと思った。「ぴゃー」と鳴くのだな、と思った。

 あの一件以降、僕たちはつるむことがほとんどなくなっていた。僕とマサキは変わらず仲がよかったが、ゆーちゃんは別の女子グループへするりと移籍してしまったし、Nとみっちゃんとは喋ることがなくなった。僕たちは走りたくもない坂を走らずに済み、食べたくもない実を食べるフリをすることも、ほしくもない花の冠を頭に乗せることもなくなった。
 そんなとき、マサキがとんでもないことを言い出した。
「あの猫、どうなったんだろうな」
 アキアカネが空に見えなくなった頃、僕たちは冬の到来を待っていた。随分ともの悲しくなった木々は天に手を伸ばしているように見えた。僕らは秋に、アキアカネを手に止まらせようと人差し指を空にかざす遊びをした。今の木にはそんな気配があった。
「Nに聞いてみたら?」
「絶ッ対やだ」
 即答だった。
「どうせあの段ボールの中に居るんだろ、様子を見るくらいならいいんじゃないか?」
 丁度Nは風邪を引いて学校を休んでいた。今年の風邪は症状は控えめだが長引くと保健だよりに書いてあったのを僕は思い出した。僕とマサキは久しぶりに例の公園に立ち寄った。段ボールは木々の間に隠すようにして置いてあった。
 僕たちは二人、宝物を覗き込むようにして段ボールの中を見た。
 先に悲鳴を上げたのはマサキだった。僕はマサキの悲鳴に驚いて自分の悲鳴を出すのを忘れてしまった。段ボール箱の中には猫の死骸がふたつあった。僕は昔、猫が死んでしまう物語を読んだことがある。その猫は「眠るように」死んでいたらしいが、段ボール箱の猫は残念ながらそうには見えなかった。
 僕とマサキは逃げるようにして、というか逃げた。とにかくその場から離れたくて、何故か学校の方へと戻っていった。二人揃って、学校なら安全だと思ったらしい。心臓がキリキリ痛むのは全速力で走ったからだと信じたい。途中、マサキの給食袋が落ちていることに気がついたので、僕はそれを拾ってマサキに続いて逃げた。
 すると、学校前の長い花壇の道で、マサキが立ち止まっているのが見えた。僕はヘトヘトになりながらマサキに近づくと、そこには丁度下校するところだったらしいゆーちゃんが居た。
「あれ、二人揃って忘れ物?」
 ゆーちゃんは、かつて僕らが五人で遊んでいたときのようにして話しかけてきてくれた。僕は首を横に振った。首を横に振りながらマサキに給食袋を押しつけた。
「猫が、段ボール箱の猫が、……」
 僕はそれを言うのがやっとだった。それでもゆーちゃんはそれで何があったのかを全部悟ってくれたらしい。
「Nさん、学校休んでたからね……世話する人がいなくて、カラスとかにやられちゃったのかな」
 ゆーちゃんはそう呟いて、僕たちのことをじっと見た。
「猫はどうしたの?」
「そのまま……」と言って、僕は怖くなった。まるで僕が猫を見殺しにしたような錯覚に陥って、僕は何も言えなくなってしまった。
「そう、ならよかった」とゆーちゃんは言った。
「Nさんが一度自分の目で見るべきものだと思う」
「オレたちが触ったってバレないかな」とマサキが言った。
「バレないと思うよ。だって、中身が……そういうことになってたんだし」
 ゆーちゃんはさらりと言ってのけて、マサキも「だったらいいんだー」と言った。僕の心臓はまだドキドキしていた。
「イチローくん」ゆーちゃんが僕の名前を呼んだ。ゆーちゃんは真っ直ぐに僕を見た。それはNが僕を見るときの視線によく似ていたけれど、Nは自分の正義を貫くために、相手のどこに何を刺せば良いのかを探すような目つきなのに対して、ゆーちゃんのそれは僕の扉をゆっくりと開くような、そういった優しい動きを彷彿とさせるものだった。
「今日のこと、ショックだと思うけれど、イチローくんは悪くないからね。悪いのはきちんと猫を保護しなかったNさんと、そもそも猫を捨てた誰かだから」
 ゆーちゃんの言っていることは正しいと僕は思う。しかしそれでも考えてしまうのだ。あの時、僕は父が猫嫌いなのを理由にしてあの猫たちを助けるのを拒否した。しかし父は言うほど猫嫌いではないのかもしれないとも思うのだ。テレビで猫が可愛らしい仕草を見せるとにんまり嬉しそうにするし、なんなら家の軒先に野良猫が居ても父はそれを追い払うことはしない。
 僕はもしかしたら猫たちが助かる可能性を閉ざしてしまったのではないだろうか、と思う。もっと上手く動くことが出来たのではないか、とも。
 僕の考えは、ゆーちゃんにもそれとなく伝わっていたらしい。ゆーちゃんは、やはりあの寄り添うような眼差しで僕の瞳を撫でていた。
「できないことは、悪いことじゃないよ。できないことは、無理にできなくてもいいってお母さんが言ってた。できない代わりに、何ができるかを考えるのが大事なんだって」
 ゆーちゃんは優しい。それなのに僕は小さな声で「うん……」と言うのがやっとだった。

 あれから猫がどうなったのかは分からないが、Nは相変わらずの様子であった。もしかしたら風邪を引いたことで猫のことを忘れてしまったのかもしれない。僕はあの後一人で段ボール箱を確認しに行ったのだが、どこを探しても箱はなかった。
 五年生になって、クラス替えがあった。僕はマサキと離ればなれになったが、ゆーちゃんとは同じクラスだった。マサキは「げっ、Nと一緒か」と言っていた。
 僕はその年の夏休み、自由研究で「保護猫や保護犬」をテーマに選んだ。もしも捨て犬を見つけたとき。捨て猫を見つけたとき。できること、してはいけないことを一枚の模造紙にまとめたのだ(これは余談だが、その自由研究は先生にも評価されて、県の「夏休み自由研究・自由工作展覧会」にまで出品されることになる)。
 夏休み明けの教室、僕が「僕の自由研究のテーマは犬や猫を保護することに関してです」と声を張ったとき、ゆーちゃんがとても暖かい笑顔を浮かべていた。その表情を僕はどこかで見たことがあったのだが、結局最後まで分からずじまいであった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)