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【短編小説】そして、勇者は帰る

 小学校の同級生に、タカシマという男がいた。タカシマは小説を書くのが好きなヤツだった。彼はノートに小説を書いて、僕たちはそれを回し読みして楽しんでいた。学校の図書室にはドストエフスキーとか森鴎外とか、そういったお堅い本ばかりが並んでいたから、タカシマの軽い文体は僕のような頭の悪い学生にもとっつきやすかった。
 タカシマが書いていたのは剣と魔法のファンタジーもので、主人公は僕の名前と同じであった。なぜなら僕がタカシマの小説のファン第一号だったからである。僕はタカシマの小説の中で、ゴブリンを蹴散らして、悪いドラゴンを退治して、助けたお姫様と一緒に魔王退治に向かっていた。
 今思えば、僕らはとても変わった子供だったと思う。年度途中で都会から引っ越してきた――はて、名前を何と呼ぼうか。僕は未だに彼を許すことができていない。僕が魔王を倒せなくなるところだったのは間違いなくヤツのせいなので、僕は彼の名前を出したくない。アイツの名前が世の中ではありふれてはいなかったのが救いだった。具体的に言えば佐藤とか鈴木とか、クラスに一人は居そうな名前ではなく、東海林しょうじとか薄田すすきだとか、珍しい名字の持ち主だった。坊主憎けりゃなんとやら、という諺があったような気がするが、僕はまさしくその言葉通り、×××という名の者にはちょっと先入観が生じて、なんだか身構えてしまうのだ。全国の×××さんには詫びないとならない。
 その×××はある日、僕たちにサッカーをしないかと聞いてきた。しかし僕たちは丁度、タカシマの新作が読めるとのことなので外遊びには興味がなかった。普通、こういった集団では休み時間になると外に飛び出していくアウトドア派と、のんびり図書室へ向かうインドア派に分かれるのだが、タカシマの小説は僕たちをまるっと一つにしてしまったのだ。勿論、タカシマの小説が来ないときは、折角だからと外遊びに出向くこともあるが。
 ×××はタカシマの小説を「チープな展開だな」と言った。僕はチープの意味が分からなかった。タカシマが「手厳しいな」と返したので、僕はチープという言葉には良くない意味が含まれているのだなと思った。でも僕は、タカシマの小説が好きだった。僕は最新話で、お姫様と一緒にダンスをしていた。舞踏会というやつだ。お姫様の名前は僕が大好きだったアイドルの名前で、この裏設定を知っているのは僕とタカシマだけだ。
 今思えば、×××は一緒にサッカーをしてくれない僕たちのことを嫌に思っていたのだろう。
 子供は残酷だと思う。最先端の都会では、田舎の僕らが知らない娯楽がいっぱいある。そういったもので目が慣れてしまった×××にはタカシマの小説はチラシの裏の落書き以下だったのだろう。×××は徹底的にタカシマの小説をこき下ろして、何人かはその影響を受けた。しかしタカシマの小説には妙な魅力があったのだ。僕がそれを一番よく知っていた。何の変哲も無い国語のノートを開くと、そこには異世界が広がっている。本屋に並ぶ文庫本とは違って、僕たちに馴染みのあるものだからこそ、より鮮明に世界が広がるのだ。「アフリカ象のひみつ」と書かれた二色刷のページを捲ると、「勇者ヒロシの冒険」が始まる。少し筆圧の高い文字で、僕は異世界で冒険を始めるのだ。僕は未だに一巻の出だしを覚えている。
「勇者ヒロシは王様に呼び出された。よく晴れた日のことだった。この世界は魔王の侵略に怯えていたため、王様は勇者の血を引くヒロシをお城に呼んだのである」
 僕は本当にこの話が大好きで、タカシマに頼んで「勇者ヒロシの冒険」が一冊終わるごとに彼から原文を借り、学校のコピー機で印刷して複製版を作っていた。「勇者ヒロシの冒険」は、このとき既に七冊目に突入していた。

 僕が七冊目の「勇者ヒロシの冒険」を複製して、タカシマに返却してしばらくした頃に事件が起きた。このとき、クラスでは嫌なイタズラが流行っていた。誰かが大事にしているものをこっそり隠すというイタズラだ。あくまでいじめではなくイタズラだったので、「ないんだけど!」という訴えが聞こえると「あ、ここにあったよ!」とわざとらしい正解が返ってくる。そういったお遊びだった。
 これに、「勇者ヒロシの冒険」第七巻の原本が巻き込まれたのである。
 最悪なことに、タカシマはその紛失に気づくのが遅れた。隠した本人の×××は隠し場所を忘れてしまった。取っ組み合いの大げんかになるかと思われたが、小説書きのタカシマとアウトドア派の×××では結果は一目瞭然だ。
「ここまで気づかなかったんだから別に紛失してもいい代物なんだろ」という×××の主張に対し、「人の大事なものを隠すという悪趣味な行為を面白がる時点で、お前の性根が腐っているのが悪い」というタカシマの主張は永遠にぶつかり合っていた。それはそうだ。
「ねぇ×××くん、本当に覚えてないの? どこに隠したか忘れちゃった時点で、×××くんが悪いよ」
 決着がついたのはクラスの女子の一言だった。×××は虚を突かれた顔をして、もごもごと何かを言った。僕はこのときめまいがしたのと同時に、自分の手元に複製版・勇者ヒロシの冒険七巻が存在することを奇跡だと思った。
 結論を言うと、×××は勇者ヒロシの冒険七巻を、なんと古紙回収ボックスに入れたのだという。タカシマは慌てて古紙回収ボックスを覗いたが、既に中身は空っぽだった。タカシマは古紙回収ボックスを覗き込んだまま動かなくなった。
「ま、ごめんな。ノート一冊だし許してくれよ」
 ヘラヘラ笑う×××の頬を、僕はグーで殴った。
 女子の悲鳴が上がった。
「やっちまえ!」と誰かが言う。「負けるな!」と誰かが言う。
 わーわー騒ぎになる中で、担任の先生がすっ飛んできた。時代が時代だったので、僕と×××は平等に先生のげんこつを一発食らってケンカ両成敗となった。

 僕は×××を許せない。タカシマが小説を書かなくなったこと自体もそうだが、それを「所詮その程度だったってことだよ」と言って笑ったことも許せない。あいつは花を踏み潰しても「踏んだ俺じゃなくて弱い茎が悪い」というタイプだろう。このとき僕は初めてそういった邪悪な人間の存在を知った。ヤツの悪行は他にもある。僕がタカシマの力で勇者になれなかったことも、世界を救えなくなったことも、全部×××のせいなのだ。それなのにアイツはヘラヘラと笑って学校に来るし、本当に気が狂いそうだった。
 僕はタカシマに複製版勇者ヒロシの冒険第七巻を渡したのだが、タカシマは曖昧に笑うだけだった。続きはまだこない。
 続きがないならどうしようと、あれこれ悩んだ結果、僕は僕の手で勇者ヒロシの冒険を完結させることにした。僕はそれまで頻繁にタカシマへ「続きはまだ?」と聞いていたのだが、タカシマにとってはそれが負担だったらしい。「この先どうなるかだけ教えてくれ」と聞いたら、物語の構造を全て教えてくれた。勇者ヒロシはこの後、伝説の剣と伝説の盾、お姫様は伝説の魔道書を手に入れて魔王と対決。見事勝利を収めてめでたしめでたし……らしい。
 しかし僕は知らなかった。小説を書くというのは非常に骨が折れる作業だった。国語の教科書でしか小説を読んだことのない僕が物語を紡ぐというのは、サッカー未経験者にリフティングを十回やれと言うようなものだ。僕は小学一年生の教科書を引っ張り出して戦った。しかし金属に木材をくっつけたかのような違和感は消えない。ここからはヒロシが書きましたというのが出てきてしまう。僕はもう一度勇者ヒロシの冒険を全部読んだ。自分の頭にタカシマの文体をねじ込んだ。喋り方が小説臭い、と同級生から言われるまでになったのだが、文章はあまり上達しなかった。
 それでも僕は戦った。勇者ヒロシが魔王と対決するように、僕は小説と戦った。伝説の剣と伝説の盾は現実にないし、お姫様のモデルになったアイドルはいつの間にか消えていた(後で知ったが未成年飲酒で干されたようだ)。僕はひとりぼっちで勇者ヒロシの道を書いた。季節は移り変わって冬になろうとしていた。僕は書き上げた勇者ヒロシの冒険をタカシマに叩きつけた。
「読んで」
 秘密を共有するときの緊張に似た感覚が、僕の胸の中で渦巻いている。
 タカシマは僕の顔をまじまじと見つめた。そして貴重な書物を紐解くようにして僕の書いた勇者ヒロシの冒険を開いた。タカシマはじっと読み入っていたが、僕は緊張で倒れそうだった。タカシマもこういう気持ちだったのだろうか。僕が夢中になって目をキラキラさせている間、タカシマもこういう気持ちで僕を見ていたのだろうか。
 タカシマは全て読み終えるまで何も言わなかった。僕はその間、ずっと窓ガラスの向こうの景色を見ていた。雪がしんしんと降り続いていた。牡丹雪は重たい身体をゆっくりと地面に横たえるのだ。僕はその様子をじっと見ていた。だから牡丹雪に詳しくなった。
 タカシマが最後の一冊を閉じたとき、彼は目を閉じた。その僅かな、僅かな衝撃で彼の目から涙が伝った。
「ありがとう、ヒロシ。ありがとう……」
 教室にタカシマの嗚咽が響いた。
「俺が書きたかった作品そのものだ、ありがとう」
 異変に気づいたクラスメイトたちが何人かこちらの様子を窺ってきたが、机の上に並んだ「勇者ヒロシの冒険」を見て、事情を察したようだった。彼らは何も言わなかった。
 僕はタカシマにハンカチを渡そうとしてポケットを探した。しかし僕のポケットにハンカチは入っていなかったのだ。慌てふためく僕に「はい」とハンカチを貸してくれた女子は、僕の好きだったアイドルと同じ名前をしていた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)