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【短編小説】六秒間

 珍しくノアの機嫌が悪い。
 それも、はたから見て分かるレベルなので相当である。紅茶を淹れようとしてお湯をこぼしたり、つい先ほど手近な戸棚に寄せておいた本の在処が分からなくなっていたり、枚挙にいとまがない。見かねたラスターはノアを連れて商業都市アルシュまでやってきていた。気晴らしになるかならないかは置いといて、負の感情を鈍らせるにはよい判断だろう。ノアの雰囲気が幾分か和らいだ頃、ラスターは思い切って口を開いた。
「何かあったのか?」
「……ちょっとね」
 どうやらノアの中では共有するつもりがまだないらしい。ラスターはぽつりと呟いた。
「……『小規模コボルト退治』」
 ノアの表情が固まる。
「『依頼人、イレート・ゴーキー』」
「……分かってるんじゃないか」
「拗ねるなよ。他の理由が考えられないだけだって。何があった?」
 ノアは小さなため息をついてから、事情を説明し始めた。
 ……魔物退治屋のことをどれだけ信頼するかは客によって異なる。絶大な信頼を寄せる人もいれば、本当に魔物を退治してくれたのか確認しないと気が済まない人もいる。
 イレートは後者であった。退治の報告をしたノアに対して、コボルトの巣窟になっていた洞穴を一緒に見にいきたいと言い出したのだ。
 この時点で報酬以上の働きになる。ノアは迷った。金が欲しいのではなく、「正当な働きには正当な報酬をもらうべき」というラスターの教えが頭をよぎったのだ。その様子を見たイレートは、ノアの足元に銀貨の袋を投げ捨てたそうだ。
 ラスターは「その場にいなくてよかった」と思ってしまった。もしもその場にラスターもいたら、そいつの顔をぶん殴っていたことだろう。
「それで、銀貨の袋はどうしたんだ?」
「魔術で浮遊させて受け取ったよ」
 ラスターは思わず笑ってしまった。何が何でも頭を下げないというノアの強い意志を感じる。
 さて、そんな険悪な状態でも二人は洞穴に向かったという。
 洞穴の確認でも、イレートは人の神経を逆なでした。戦闘で生じた傷にケチをつけるところから始まったそれは、温厚なノアを苛立たせるくらいの小言。いよいよ耐えきれなくなり声を荒げてしまいそうになったノアに、イレートはこう言った。
「六秒」
 一瞬、ノアはその言葉の意味を理解できなかった。
「六秒よ。人間の怒りのピークは六秒。六秒我慢するだけで人間関係を壊さずに済むのだから、覚えておきなさい」
 ノアは疲れ果てたときのようなため息をついた。ラスターは心底彼に同情した。
「それでイラついてるってわけか」
「うん……。怒りのやり場がないというか、なんだか理不尽だったなって」
 二人は自然に地区の方へと足を向けていた。
「どこに行きたい?」
「俺はまだまだ地区には詳しくないから――」
 ノアの言葉が途切れたのは、何か重いものが落ちる音が原因でもあった。しかし、路地の奥から聞こえる悲鳴のような声に、二人は思わず顔を見合わせた。
「六秒よ! 怒りのピークは六秒。六秒我慢するだけで過ちを犯さずに済むのだから!」
 いろいろとツッコミどころは多い。
 まず、なぜイレートがここにいるのか。なぜ、彼女がよりにもよってコバルトのところにいるのか。ノアとラスターは物陰から二人の様子を伺う。どうやら、コバルトはこちらに気が付いたようだ。だからと言って接触してくることはなかったが。
「六秒我慢すればいいってことかい?」
 イレートとの会話を続けながら、コバルトは愛銃を握っている。さすがに命の危機を感じているらしく、イレートはその場にへたり込んだまま動けないでいるようだ。
「そうよ。ゆっくり数えて。一、二、三……」
 コバルトはちょっとだけ笑っていた。イレートは少し安心した様子でカウントを進める。その数が「六」になった途端、コバルトはイレートめがけて発砲した。
「本当だ……」
 悪趣味な笑みがコバルトの顔面に張り付いている。ノアとラスターは思わず顔を見合わせた。
「お前さんの言う通りだ、六秒が怒りのピークらしい」
 二人は同時に顔をコバルトたちの方へと向けた。幸いにも、というよりはハナから命中させるつもりはなかったようである。彼女の座る位置から数センチずれた箇所に銃弾がめり込んだのを、ノアもラスターも見逃さなかった。……ノアが即座に助けに向かわなかったのは、多少の私怨もあったかもしれないが。
「それで、……六秒経過してもムカつきが収まらないってことは、冷静にお前さんをブチ抜いてもいいってことだな?」
 あー、楽しそうだなぁとラスターは思った。こういう屁理屈をこねくり回して人を苦しめる時のコバルトは本当に生き生きしている。遠慮のない拷問をしでかすラスターのことを「悪趣味」と称した口から、精神攻撃が繰り出されている現状に疑問は尽きないが。
 ノアの視線がこちらを向いた。そろそろ助けなくていいのか、という問いだった。ラスターが答えを返す前にイレートは悲鳴を上げながら路地を駆けだした。もつれた足での全力疾走、と考えるとやたら速い。火事場の馬鹿力というやつだろう。
 幸いにも、彼女がノアとラスターに気が付くことはなかった。
「……銃弾を一発無駄にした」
 憎々しげな独り言は、独り言にしては大きい。その意図をラスターは分かっている。
「その銃弾で俺たちはスカッとしたけど」
 物陰に陣取ったまま話しかけるラスターに、コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「なんだ、別に撃ち殺しはしないぞ。出てきたらどうだ」
 コバルトが拳銃をしまったのを確認してから、ラスターは一歩踏み出した。それにノアが続く。
「イレートと何の関係が?」
「ないよ」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「勝手に迷い込んで、人のことをバケモノ呼ばわりしてきただけさ」
「……まぁ、暗がりからあんたが出てきたらバケモノって叫びたくなる気持ちは分かるかも」
 ノアがラスターの足を小突いた。コバルトは先ほどしまった拳銃を取り出した。
「え」
「水臭いなぁ、ラスター。死にたいなら死にたいとそう言ってくれれば早いだろうよ」
「待って? ちょっとしたラスターちゃんジョークじゃん」
 救いを求めたラスターの視線に、ノアがぴしゃりと言い放つ。
「人の外見をからかうのはよくないよ」
「えっ、ちょ、まっ」
 慌てた様子のラスターが、声高らかに叫んだ。
「六秒っ! 六秒が人間の怒りのピークらし――」
 ラスターの横顔スレスレのところを、銃弾が勢いよく駆け抜けていった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)